青空に白い月


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「会長?」

 家に帰りついたところで門前に立つ自校の生徒会長を発見し、首を傾げる。車は降りて、徒歩で帰宅する途中のことだった。

「ああ、竜見」

「何やってるんですか、こんなところで。下手したら熊が出ますよ、この辺」

「…どこに住んでるんだお前」

「ええ? 日本にだって、熊くらい出ますよ。学校だって、出てもおかしくないじゃないですか」

「熊沢ならいるけどな」

「面白くないです、会長」

 一教師の名を挙げる力也を冷たく見やって、門を開ける。とりあえずどうぞと、招き入れた。もっとも、普通の者の目には、祖母が丹精込めている庭も、外の山地と大差なく見えるだろう。

「人がいないから、おもてなしには期待しないでくださいね」

「お構いなく」

 当たり障りのない受け答えだが、先程の冴えない反応といい型にはまりきった応えといい、どうにも様子がおかしい。そういえば、告白されたときもそうだったと思い、和希は、胸の内で短く舌打ちした。

 思い出したら、対応がぎこちなくなりそうだ。

 とりあえず客間に通すと、台所に走り、お茶を蒸らす傍ら、残っていた明月堂の栗洋館を切って皿に乗せた。

 力也とは、生徒会の関係で親しく口を利くが、とりわけ個人的な関係は、今までもこれからもないものと思っていた。先日、告白されるまでの話だ。しかし、その後にしても、あと一年もしないうちに、力也は卒業を迎える。それで終わりと、思っていた。

 お茶をもって行くと、羊羹を認め、いささか強張りながらも、笑顔を見せた。

「明月堂?」

「ご名答。甘いもの、平気ですか?」

「うん、ありがとう」

 それからしばらく、沈黙が続いた。

 内心で溜息をつき、和希は、それをお茶と一緒に飲み込んだ。

「で、何があったんです?」

「え?」

「わざわざ家まで来たんだから、何かあるんでしょう?」

「…うん」

 こちらも、猶予はあっても時間は惜しい。直截に切り出すと、それでもまだ躊躇いながらも、やがて、力也は真っ直ぐに背筋を伸ばした。

「俺と付き合えないって言ったのは、長良と付き合ってるからか?」

「何も、そんなことを確かめに来なくても」

「違うなら、いいんだ。理由は、何でも。俺が嫌いだからでも、他の奴が好きだからでもいい。だけど、あいつだけは――関わらない方が、いい」

「何を知ってるんです?」

「怒らないのか?」

「はい?」

 予想外の方向から飛び込んできた幸の情報に、とりあえず耳を傾けるつもりでいた和希は、肩透かしを喰わされたようで、繕うこともせずに、訝しげな目線を向けた。

 力也が、戸惑ったようなかおをする。

「言いがかりをつけてるって、思わないのか? 俺は…これで完全に嫌われるだろうと、思ってた。話も、聞いてもらえるかと…」

「話を聞いてみないと、判断もできないじゃないですか。それに、嫌がらせで家になんて押しかけてこないでしょう? 違います?」

 勿論、そういった手合いも、いないことはない。だが、短い付き合いながら、和希は、力也にそれはそぐわないと、そう、思う。どこの記憶を引き出してもいいが、その片鱗さえ、見出せないだろう。和希が知らないだけということもあり得るが、そのときはそのときだ。

 力也は、ふっと表情を和らげ、泣きそうな笑い顔を一瞬だけ見せて、真剣なかおを向けた。

「実を言うと、俺も良くは判らないんだけど。長良は、見張られてる」

「誰に?」

「…少なくとも一人は、俺の叔父だ」

 今度は、驚かないんだなとは、言わなかった。

 和希は、軽く首を傾げ、先を促した。

「叔父は、去年の夏、無背に移って来た。近くなんだからって、家に来ることも多かったし、東京で大きな研究施設に勤めてたのに、どうしてこんなところになんて、質問攻めにしたりも。そのうち、叔父の様子から長良を知ってるって気付いて、そうして注意してみてると、どうにも、見張って、どこかに報告してるようだってことが、わかったんだ」

 去年の夏と言えば、幸と杉岡が引っ越してきた時期だ。もっとも、夏と言っても幅広い。そう告げると、力也は、頷いて、言葉を継いだ。

「そう思って、俺も、長良川が引っ越して来た時期を調べたんだ。叔父が移ってきたのは、その一週間前。偶然かもしれないけど、それでも、たまたま、引っ越してくる一週間前に引っ越してきて、たまたま、その当人たちを知ってて、その付近で姿が見え隠れするってのは、ちょっと偶然が過ぎないか? ないとは言わないけど、だけどそれなら、長良川のことを知らないなんて言わなくてもいいはずだろ?」

 思い込みと取れないこともないが、力也の中では、確信があるようだった。

「叔父さんって、会長と同じ名字なんですか?」

「いや。母方だから、違う」

「なんて名前なんです?」

 じっと、目を覗き込まれた。

 真っ直ぐで、羨ましいほどに力強い視線。健やかに育って伸びる、青竹を想起させる。

 真っ直ぐに、力強く。和希には、手に入れることのできないものだ。和希は、竹の子の時に、歪んで伸びてしまっている。そのことで誰を怨むつもりもないし今の自分を否定するつもりもないが、羨望めいた感情はある。

「竜見。何か知ってるのか」

 和希は、逆に覗き込んで、にっこりと微笑んだ。

「何をですか?」

 少しの間見つめあったが、やがて、溜息と共に、力也の方が目を逸らした。

 幸ではないが、和希も、これ以上人を巻き込むつもりはない。覚悟を決めての人でなければ、尚更だ。

 力也は、深々と息を吐くと、苦笑を浮かべて肩をすくめた。

「悪い、色々とわけのわからないことを言ったな。そろそろ帰るよ」

「そうですか? ああ、会長。はっきり言って置きますけど、幸とは付き合ってませんよ。少なくとも、今は。そもそも、今までに恋愛対象で見られた人っていないんですよね」

「え?」

「折角来てくれたから白状しますけど、祖父に男の子として育てられたものだからか、なかなか、そういった風に思えなくて。女の子が好きってわけでもないですけど」

 力也の、驚くというよりは、理解できていない顔を眺めて、ここで笑ったら失礼だよなあと、密かに思う。少し、間の抜けたかおになっているのだが。

「元々祖父は、息子がほしかったんですよね。それは、希望というより義務感みたいなものだったと思いますけど。時代がかって聞こえるかもしれませんけど、跡継ぎは男児じゃないと駄目っていう、強迫観念。でも生まれたのは、娘が一人だけ。これがボクの母ですね。でまあ、だからって虐待したり存在を無視したりするような人ではなかったんです。頑固者で、そんな意識があったから、優しい父親ってわけでもなかったみたいですけど」

 当たらず触らずの親子関係といえばいいのかもしれない。祖母は祖母で、愛情を見せることが苦手な性質だから、母は、淋しい思いをしていたかもしれない、とは思う。だが和希には、それらのことを母から聞いた記憶は一切なく、全てが父母以外からの伝聞と推測だ。

「それでもまあ、成長して。母には、結婚したいと思う人ができました。でも、祖父は反対したんです。それはもう、強固に。相手の問題というよりも、母が家を出ると言ったからのようですけどね。父の勤務先のことがあったらしいです。祖父の強迫観念に火がついた。後は、駆け落ち、絶縁。そうして和解、ってなる日があったかもしれないけど、そこは、夫婦揃っての事故死でなくなってしまいましたね。祖父母は、娘夫婦の葬儀を行って、ボクを引き取りました」

 分類されることなく、起こった通りに再生されるそのときの記憶の中で、祖父は、能面のようにただ、厳しいかおをして座っていた。どこか虚ろに見えた。祖母は、集まった人などに指示を出しながら、それでも眼のふちが赤かったから、どこかでそっと泣いていたのだろうか。

 あの葬儀から、竜見和希は始まるのだ。

「祖父は、それで――取り違えたんですね。娘だったから、家を投げ出したから、こんな不幸が降りかかったんだ、と。まあこれは、ボクの推測ですけど。だから、たった一人で女の子のボクを、男として育てようと決めた」

 嘘だろうと、言いたげな力也の瞳を、ただ見返す。

 思うに、母の早い死で、祖父は一種、気が狂ってしまったのだろう。密やかな狂気に、呑まれてしまったのだ。それでも、悪い人ではなかった。

「節子さんや祖母は気にしていたようだけど、祖父は何しろ頑固な人でしたから。ボクが妙だなと思い始めたのは、小学校に上がってからですね。それでも、しばらくは気付きませんでしたけど。さすがに高学年になると、祖父の方針と世間一般がずれてることは、はっきりと判ってましたね。中学の制服なんて、そのおかげで両方作るところだったんですよ。学ランを着て出て、どこかでセーラーに着替えなきゃなあ、雨の日は大変だ、なんて思ってたんですけど。その前に、祖父が亡くなってしまって、唐突に問題はなくなってしまいました。残されたのは、さてボクは男なのか女なのか、ってことですね」

 生物学上は、間違いなく女だ。だが意識はと言えば、男になりたいわけではないが、男の子っぽいどころでなく男に偏っており、女と知ってはいるが、どこかうそ臭い。性同一性障害と言うにも、違和感のある中途半端な状態だ。

 第二次性徴も過ぎているのだから、そのうち慣れるだろうと構えているのだが、そのあやふやさのせいでが、そもそも成長が遅いのか、具体的な恋愛感情を持ったことはない。男女どちらにしても、仲間や同類との思いが先に立つのだ。

 初恋めいたものは、節子だったような気がするのだが、それは、母への思慕と混ざっている気もしないでもない。

「…そんな、こと」

「冗談や誤魔化しじゃないですよ?」

「ああ。そんなことで騙さないだろう。でも、どうして、誰も…学校の先生に言ったりとか、どうにかなったんじゃないのか」

「駄目ですよ。そんなことをしたら、祖父が悪者になってしまう。ボクは、あの人が嫌いじゃないですよ。教えてもらったことも色々と、面白かったし。厳しい先生でしたけど」

「…」

 何と言っていいのか判らない、と、そんな顔をする。節子にしてもそうだ。祖母は、表情を崩さないよう、強く口元を引く。だが和希は、自分が可哀想かもしれない状況にいたと知っている上で、それでも、祖父のやり方も、なんとなくわかるような気がするのだった。

 祖父が、祖父なりの愛情をもって育ててくれたと、知っている。だからこそ、気付いた後でも、誰にも話せなかったのだ。

「そういうわけですから、外れくじですみませんってことで」

「外れてなんか、ないだろ」

 どこか呻くような声に、和希は、軽く肩をすくめる。現時点では、恋愛対象としては明らかに外れだと思うのだが、そうとらないならそれでも構わない。

 力也は、途方に暮れたように和希を見つめた。

「どうして、俺にこんな話を…?」

「忠告をいただきましたから。誠意には誠意で返すべきでしょう? それがこんな話で、申し訳ないですけど」

「…俺が、他の奴に話すとは考えないのか」

「話すんですか?」

「いや」

 苦笑を零し、力也の空気が和らいだ。真っ直ぐに、和希の目を覗き込む。

「なあ、竜見。お前の思春期が来たころにも俺が好きでいたら、望みはあるわけだな?」

 和希がよく目にする、生徒たちに人気の生徒会長のかおに戻り、そんな事を言い出す。和希は焦って、思わず前のめりになった。

「待ってくださいなんですそれ、どうやったらそんなことになるんです!?」

「まあ、それまで保つかなんて判らないけどな。お前に好きな奴ができてる、なんて可能性もあるわけだし?」

「そうですね」

「とりあえずしばらくは、気長に待たせてもらうよ」

「え」

 気を軽くしてくれようと、そういった趣旨の発言じゃなかったのかと、勝手に予測していた和希は、今や、珍獣を見る思いで力也を見ていた。本気だろうか。

 しかし、すっかり調子を取り戻した生徒会長は、考えを読み取らせてくれることはなく、笑顔になると、和希の頭を軽く撫でて、立ち上がった。

「じゃあ、帰るよ。羊羹、ご馳走様」

 しばらく、和希はぽかんとそれを見送っていたが、我に返ると、時計を見て立ち上がった。目指すは、自室のモバイルパソコンだ。知人からもらったソフトを入れてあるそれでは、GPS追跡ができるようになっている。

 それと、盗聴器の受信機。これは、すぐにイヤホンに繋いで音声を拾う。これももらい物だが改造品で、一時間程度なら、通常のものよりも離れた場所でも音が拾える。

 どちらも、電波が完全に遮断される場所に行かれてしまえば、意味を成さないのだが。

『うするつもりだ』

『なに、もとのせいかつにもどってもらうだけだ』

 盗聴器は、明瞭にとは言わないが、とりあえず意味が取れる程度には聞き取れる。

 和希は、モバイルの電源を入れて起動を待たずに机に戻すと、箪笥の引き出しを開けた。飛行機乗りが被るような耳付の帽子と、ゴーグル。それと、丈夫な手袋。あとは、これも丈夫なジャンバーを取り出し、ポケットにバンダナを二、三枚と絆創膏を放り込む。

 実は、山菜取りに出掛けるときの格好だったりする。モバイルをベルトについたポーチに入れて腰に固定すると、それで準備は完了だ。

 なんとか、盗聴器の時間制限が過ぎる前に、山を下って待機しているはずの車に乗り、普通に音が拾える範囲までは行きたいのだが。

『どうせおまえはなにもかんじないのだから』

 黒スーツだろう男の声が聞こえ、イヤホンをむしり取って罵りたい気持ちに駆られながらも、意味がないと押さえる。それよりもよほど、早く家を出た方が有意義だ。ただでさえ、力也との会話で時間を割いている。

 見くびっててくれると助かるんだけどなあ。

 そう思うが、こういった場合、しっかりと見張られていると予想して行動したほうがいい。そうでなければ無駄足だが、それはそれだ。

 さあ、山を越えるか。

 胸の内で呟いて、和希は、こっそりと家を出た。


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