青空に白い月


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「お茶発掘したよ。水無瀬さん、寝泊りしてる割には、ここ何もないんだけど?」

「そりゃあ、寝るだけだからな」

 はぁ、と溜息をついてみせる。

 しかし気を取り直して、幸と巽とを交互に見遣った。

「何か話、した?」

 湯気を立てる湯呑みを三つ載せた盆を一度畳に置き、幸に確認をとってから、上体を起こすのに手を貸す。その間に、巽は自分の湯飲みを手にとっていた。じろりと見ると、肩をすくめて、盆の上から別の湯飲みをとって幸に差し出す。

 幸の視線が探るようなものであることに気付き、何も話していないのかと訝った。

「この人は、ボクの幼い頃からの知人の水無瀬巽さん。いろいろと手を借りてて、杉岡さんも、今は水無瀬さんの知り合いのところに保護されてる。状態は、まだ判らないけど。地下から、幸を連れ出すのも手伝ってくれた。…覚えてない?」

「いや…お前がいたのは、多分…」

「それは残念。活躍してたのに」

 素知らぬ顔で茶を啜る巽に苦笑して、ほとんど一息で空になった幸の湯飲みを、自分用に持ってきていたものに替える。

「だから、水無瀬さんには大まかに話したよ。幸のこと」

 怒られるかと思ったが、一瞬、息を詰まらせたような様子はあったが、沈黙が返される。

 なんとなく、和希は肩をすくめた。

「勝手につれだしたけど、この後、どうしようか」

「…何も考えてなかったのか」

「あのね。ボクは、ただの女子高生だよ? ここまでやってのけただけで、とてつもなく凄いと思わない?」

 ぼそりと呟いた巽を、そう言って和希は睨みつけた。

 実際、自分でも考えなしだと思うが、かといって、あれこれと考えてしまえば、身動きが取れなかっただろうとも思う。

 自分どころか他の人の身も危険にさらし、友人の命さえも左右しかねない状況を、ただただ走り抜けて何が悪い。走られただけもうけものだ――というのは、いささか強引だとしても。

「今の日本で、隠れ住むってのも難しいよねえ。かといって、欧米に逃げるのは余計危ないし。実験材料にされるよ。国外逃亡するなら、やっぱり南米か東南アジア?」

「パスポート持ってるのか?」

「あ。水無瀬さん、ハイジャックってしてみたくない? 旅客機じゃないやつで」

「阿呆、それなら金持ちの子供かペットを誘拐する」

「あ、なるほど。さすが」

「さすがって何ださすがって」

 完全な冗談ではないのだが、何故か、巽と話すと冗談にしか聞こえなくなる。当人でそうなのだから、傍から聞いていれば如何ほどかと、和希は、胸のうちで溜息をついて幸を見た。

 だが幸は、ただひたすらに険しいかおをしている。呆れも怒りも見られず、あるとすれば、焦りか。

「幸?」

「…何故、こんなことをした」

 はあと、和希は盛大に溜息をついた。すっと、立ち上がる。

「終わったことに拘ってどうする? どうせ心配するなら、この先にしてほしいね。今のところ、ハイジャック案しか出てないんだから。相手が、これで終わってくれるようならそれでもいいけど」

 言って、空になった三つの湯のみを盆に載せ、一旦二人に背を向けた。巽も立ち上がり、ついてくる気配があった。

 そのまま、先導でもするような並びで台所へと移動した。幸は、起き上がれないのかそのつもりがないのか、とりあえずは布団の中にいたようだが、この後はどうだろう、と思う。

 だが、それで逃げるなら逃げるで、押し留める権利も、自分にはないような気がしていた。

「あのさー水無瀬さん?」

「あ?」

「この家、お茶すら埃被ってたのはいいんだけど、冷蔵庫と戸棚一杯のアルコール飲料は何?」

「俺の心の友だ。文句あるか」

「心の友を消費するのか」

 半ば意識して、笑う。肩の力が抜ける。

 そのまま、和希は、先ほどの日本茶と一緒に発見した、缶入りの紅茶を手に取った。やかんに水を継ぎ足して火にかけていると、巽が、当然のように缶ビールや日本酒、ブランデーを手に取っている。呆れ顔をして見せた。

「これからどうなるか判らない状態にそれって、どうなの」

「あの生真面目君、酔わせたら面白いと思わないか?」

「それ以前に飲まないと思う」

「いいや、飲ませて見せる」

 その自信はどこから、と和希が言うよりも先に、きっぱりと背を向けられてしまった。仕方なく、その背を見送る。

 湯飲みは片付け、ティーカップを、一応三客。巽はグラスを持っていかなかったが、缶ビールはともかく、瓶入りの日本酒やブランデーはどうやって飲むつもりかと、グラスと、これも冷蔵庫にあった天然水とを手に取った。

 それから、あちこちを探索して、食べられそうなもの――主に、乾き物の酒の肴をみつけ出し、それを一まとめに袋に入れる。何往復もするのは面倒で、こうすれば一度に持てそうだ。

「これから、どうするかな」

 湯の沸きかける音を聞きながら、呟いてみる。

 日常に戻れるなら、喜んで。問題は、それが認められるかというところ。認めないと主張するだけなら勝手だが、行動が伴えば、和希の日常は、手を伸ばす間すらなく崩壊するだろう。昨日今日のように。

 恐くないと言えば、完全な嘘だ。巽や祖母や節子らを、失うかもしれない。自分のことは、何が起きても自業自得と思うからか、さほど惜しめもしないのだが。

 幸の得体の知れない側面も、恐い。「長良幸」は怖いと思わなくても、別の面に「それ」がある以上、切り離せもしない。

 だが、その彼を平然と傷つけ、痛みをひとかけらも考えようとしない「彼ら」には、怒りは覚えても、恐怖はない。あるとすれば、嫌悪感、あるいは気持ち悪さ。

「さて。どうしようね」

 呟いて、和希は、やかんの湯をティーポットとティーカップに注いだ。今は使われていないだけで、下手をすれば無駄に、食器や小物の多い家だった。

 小道具、という言葉から、舞台演劇を連想する。

 舞台の上で、あからさまに創られた世界を、現実として演じる。どこか今の状態と似通っているようにも思えた。誰もが嘘と知りながら、じっと、「現実」を見つめる。一度その場を離れれば、そこにあるのは何一つ変わらない「日常」。

 一歩を踏み出すことさえ恐れるほどに怯えている一方で、どうにも実感に乏しい。だから、そんなことを考えてしまうのだろうか。

「みんな、タイミング良すぎるんだもんなあ」

 呟いてみて、和希は、そうかと納得した。舞台が整えられているのだ。

 せいぜいが親しく話す程度だった幸の保護者――杉岡と出会った翌日に、彼が拉致され、こともあろうか、幸自身も連れ去られようとした現場に遭遇。そして、同時期に、関西に出ていた巽がこちらに戻っていた。長期休みの時期でも、試験休みの時期でもないというのに。生徒会長もそうだ。実にタイミングよく、情報をくれた。

 偶然、あるいは必然。

 ただそれだけだ。それをあまりにも嘘くさく感じてしまうのは――全てを、鮮明に諳んじることさえできるからだろうかと、和希は、ひっそりと自嘲じみた息を吐いた。

 それを帰着点にすることのほうがよほど、無理やりだと思いながら。 

「戻るか」

 完全に沸いたやかんの火を止め、温めるために注いだポットとカップの湯を捨て、ティーポットに茶葉と湯を注ぎ入れた。蒸らす際にポットの被せるカバーまで置かれていて、おばさんは――もしかしたら、おじさんかもしれないが、とにかくどちらかは、紅茶が好きだったのだろうかとぼやりと推測する。

 両親を共に喪ったというのは、そういえば同じ境遇だと、和希は今更ながらに思い至った。違うのは、そのときの年齢と、庇護者が肉親か他人か、だろうか。もっともそれは、同一人物ではあるのだが。

 カバーのかかったポットとティーカップ三客、残念ながら牛乳はなかったがスティックの砂糖、ティースプーンにグラスが二つ、天然水の二リットルボトル、つまみの入った袋。袋以外は、全て盆の上だ。

 ずしりと重いそれらを一度に持ち、和希は、どうにか歩き出した。 

 これで、扉を開ける必要があればさすがに無理があっただろうが、廊下へは短い暖簾がかかっているだけで、布団を敷いた部屋のふすまは閉まっていたが、声をかければ開けてもらえた。

「うわ酒臭!」

 長々と考えに耽ってはいたが、何十分と空けたわけではない。それなのに、既に部屋には、アルコールの匂いが漂っている。

「言い忘れてたけど、水無瀬さん。幸、一応ボクと同じ学年だよ」 

 未成年者の飲酒は法律で禁じられています、と言って、和希は、あいている床に盆を下ろした。つまみの袋も腕から外し、くっきりと残る跡に、少しばかり顔をしかめる。

 巽は、ふん、と鼻で笑った。手元のビールは、既に二缶目と推測された。

「俺よりずっと年上だろうが。なあ?」

「まあな」

「―――――――!?」

 頃合かと、自分の分の紅茶を注ごうとしていた和希は、ようやく気付いて絶句した。

 銀を散りばめたような瞳、明らかに幸のものとは異なる、それどころか人とは一線を画した、硬質な気配。何故今まで気付かなかったのかがわからない。

 ぱくぱくと口を開閉させるに終わった和希の目の前で、ゆるりと、「それ」は缶のビールを飲み干している。にやりとした、巽の声が聞こえた。

「どうだ、飲ませたぞ」

「――でも、もし戸籍があれば、やっぱりボクと同じ年齢だと思うよ。そうすると、法的には未成年。未成年者の飲酒は、勧めた人にも罰則があります。まあそれよりも、空きっ腹で飲むと悪酔いする」 

 不意打ちからとりあえず立ち直り、探し当てたつまみを広げる。材料さえあればしっかりとした食事を摂りたいところだが、何もないのだから仕方がない。

 ちらりと「それ」を見ると、黙々と、ビールを飲み干した次は、日本酒に取り掛かろうとしている。和希は、溜息をついて、つまみを押し出した。

 あの威圧感はやはりあるのだが、嫌悪感は薄れている。

「あなたも。朝ごはんさえろくに食べてないのに、酒だけ飲んでると倒れてもおかしくない。わかってる?」

「……お前たちは…何者だ」

「そう訊かれて、正確に語れる人間がどれだけいるんだか」

 あっさりと質問を逸らし、和希は、紅茶を注いで砂糖もたっぷりと入れた。頭を動かすには、糖分が必要だ。

 巽を見ると、こちらもあっさりと、肩をすくめた。

「言っとくが、無理やり外させたわけじゃないからな。話して、その末のことだ」

 そう言う巽と「長良幸」の間の畳には、ありふれた銀色の腕時計が転がっている。和希は、なんとなくそれを拾い上げ、嵌めてみた。ただの時計だ。

 「それ」は、そんな和希、というよりも腕時計を、厭そうに目を細めて見遣った。

「わざわざそれを外そうなどという人間には、はじめて会った」

「え? 杉岡さんは?」

「あれはましな部類だが、それでも、吾と会うことは避けていた」

 そう言えば、怖がっていたと言っていたなと、和希は思い出す。

 淡々とはしているが、話すこと自体を忌んでいる様子はなく、それが少しばかり意外だった。だがそれはそれとして、和希は、思い出して紅茶を啜り、砂糖を入れすぎたと顔をしかめた。

「でも、これ自体は昔からあったわけじゃないですよね? そもそも、あなたは――って、どう呼べばいい?」

「………吾か?」

「それ以外に誰がいるんです。幸と同じだって言うならそう呼ぶけど、ちょっと違うでしょう? 水無瀬さん、飲むなら食べる」

「はいはい」

 話を聴いてはいるが、会話をしようとはしない水無瀬は、黙々とアルコールを消費している。和希は、それを睨みつけ、スルメを契って噛むところを見守り、ようやく視線を戻した。

 「それ」は、ふうっと遠くを見ているかのようだった。和希の視線に気付き、微苦笑を浮かべた。

「アサギ」

「浅葱?」

「…そう呼ばれていたことが、あった」

 そこで一度口を閉じた。先がありそうで、待った和希は紅茶に口をつけ、うっかりと甘さを忘れていて、再び顔をしかめた。そうして、甘さを覚悟して、飲み干す。

 塩辛さを求めた和希があられの小袋を開けていると、ぽつりと言葉が落とされた。

「…少し、話をしてもいいか」

「どうぞ」

「水瀬、といったか」

 本題に入るかと思いきや、話を振る。巽がどこか面白そうに頷くと、浅葱は、一度目を閉じた。

「この辺りの郷士か。そういう一族がいた。土地に因んで、そういう号を名乗っていた。水の瀬、と」

「え? 水の無い瀬、だよ。この辺りには、大きな川もないし」

「字を変えたか。吾がいなくなったからな。川は多分、枯れたのだろう」

 本当に水神なのかと思うが、これ以上遮ろうとも思わず、和希は、短く応じて続きを待った。あられを噛み潰す。

「あの娘は、その家の出だった。なんでもないことで笑って、泣いて。いつも幸せそうだったのに――吾といるところを見られて、その後はずっと、泣いていた。吾は――水無瀬の家に囚われ、いつ頃までだっただろう。時だけが流れ、その石が発見され、あとは、ほとんど眠っていたようなものだ。ろくに覚えてはいない」

 流れた年月に比べ、短く簡潔に過ぎる言葉。和希は、そんなところに幸の姿を見て、考えずに口を開いていた。

「幸は?」

 名を読んだ後で、ゆっくりと頭が動き出す。

 浅葱が話すのは、もしかすると、梅雨際の大本の出来事だったのかもしれない。龍神を捕らえ、水を制御する力を手に入れ、故意にか偶然か、引き裂かれた男女が悲劇の主人公へと反転した。

 だが本当のところ、和希にとって、それは今はどうでもいい。知りたいのはただ、浅葱が昔から生きてきたとして、では、長良幸は何なのかと、そういうことだ。

「眠っていたと言うなら、幸は? 夢の中のことだった? 杉岡さんと一緒に暮らして、甘いものがやたらと好きで、無愛想で、ボクと梅雨蔡に出たのも、全部夢?」

「夢――ああ。そうかも知れない」

「…」

「長良幸は、何も知らない。吾がどうして囚われたのか、水気をどう扱うのか。そんな厄介なものを外せば、怯え暮らす必要もないことも。――吾は少し、あいつが羨ましい」

 少し顔を俯かせて、浅葱は、和希の腕を取った。小さな金属音を立てて、腕時計を外す。

「水無瀬。過去の因縁と諦めて、もう少しばかり、付き合ってくれないか」

「ご指名か? 悪いが俺は、先祖かもしれないというだけの奴らが犯した罪に責任を感じるほど、善人じゃないぞ」

「善意で付き合えというつもりもない。退屈はしないだろう?」

「なるほど。いいだろう」

 一人でブランデーの瓶を空けた巽は、わずかに頬を上気させ、にやりと笑う。つまみにはろくに手をつけていないが、それを怒る和希の言葉もない。

「和希。あいつらが来たら、これを外せ」

「何故ボク?」

「今のところ、誰かに外されても許すのは、杉岡か和希くらいのものだろう。自分で外せというのも、少し酷だ。――辛いなら、水無瀬にやってもらうが」

「ええ、俺?」

「お前は、長良幸にどう思われようと歯牙にもかけないだろう」

「その通りで」

 皮肉気味な笑みが向けられる。和希は、ぼんやりとそれを見ていた。

 仲が良さそうで、なんだかずるいなと、意識の端で考える。少し話しただけだろうのに、通じるものがある。和希は、一人置いてけぼりを食らったような気持ちになっていた。

 ああ、違うそうじゃなくてと、和希は息を吐いた。

「浅葱さん、あなたは何をしようとしているんです?」

「借りを返すだけだ。当然の権利だとは思わないか? どうやら、この後も邪魔をしてくるようだしな」

「それは、判るけど。わざわざそれを嵌める必要はある? 幸に戻っても――意味はないでしょう? むしろ、手間が増えるだけに思える」

 努めて平然と放った言葉に、ふうと、浅葱は笑った。

「吾は、長良幸が羨ましい。長良幸には、大切なものが沢山ある。吾は、亡くしてしまった。――長良幸が認めてくれるなら、吾は、眠っていたい。長良幸の見る世界を夢見て、眠っていたい」

 え、と、和希は声を漏らしていた。

「そう、長良幸に伝えてくれ」

「って待ってえちょっ…!」

 和希が手を伸ばしたときには遅く、既に、浅葱の右腕には腕時計が嵌められていた。勢いでがっちりと肩を掴んでしまい、思いがけず至近距離で、夢から覚めたような表情の幸と目を合わせることになった。

「…やあ?」

「っ、なんっ、何やってんだお前っ!?」

「逃げられたーッ! 一方的だずるいッ!」

「た、辰見?」

「カズ、少年面食らってるから」

「あ。ごめん」

 言われて、半ばしがみついていた体を離す。

 改めて友人を見ると、驚いたかおは教室にいたときと変わらず、何故だか、泣きそうになった。上手く言葉が浮かばず、助けを求めて巽を見る。旧友は、肩をすくめて笑った。

「少年。話はできたよ、ありがとう。話した内容を聞きたいか?」

「…俺にも、酒」

「勝手に飲みな。浅葱の飲みかけもあるし。ああ、浅葱ってのがもう一人の君の名前らしいぞ、少年」

 幸が苦いかおをしているのは、馴れ馴れしく話しかけられるからか、気分でも悪いのか。和希は、そう考えてから、自分の呼び方も変わっていることに気付いた。むしろ、戻っている。

 幼年時のそれ。そう呼ばれていたときは、和希も「たつにい」と呼んでいた。やめろと言われ、今の呼び方になってしまったのだ。

 和希は、グラスに半分ほど残っている上から更に注ぎ、一息で飲み干してからなみなみと注ぐのを見て、溜息をついて自分用に紅茶を入れた。

 巽はウイスキーを舐めながら、簡潔に先ほどのやり取りを告げた。

「で、どーするよ?」

「……何?」

「それ外してたら、少年は意識ないんだろ? それなら、答えは俺たちが伝えないとだろう? 外さないとしたら、何か対策を立てる必要もあるしな。どうするんだ?」

「…宝は。本当に、無事なんだろうな」

「だから言っただろう? 連絡がない以上、無事だけど連絡の取れない状態かこれを折ることもできない状態になってるかだって。悪いが、俺にはそれ以上は判らない」

 無責任と言えば無責任な言いようだが、巽があまりに堂々としていて、責めることも考え付かないかのように見える。幸って押しが弱いからなあと、和希はこっそり溜息をついた。

 巽が持つのは、乳白色をした燐寸棒ほどのものだ。中央部分に浅く溝があり、折りやすくなっている。これが巽の友人が新開発に携わったという代物で、とりあえず現段階では、対となる物に変化があれば、もう片方も変化するというものだ。巽はそれを、折る回数を決めて通信機に代用したのだ。

「ぐだぐだ考えたって、なるようにしかならんさ」

「だからってタツ兄はいい加減すぎ」

 巽が空けた二本目のウイスキーボトルを奪い取り、和希は、まだ半分中身のあるティーカップに注いだ。もはや、紅茶のにおいはほとんど打ち消されてしまっている。

「そりゃタツ兄は、その人たちを信頼してるからいいだろうけど、幸は全く知らないんだよ。不安にもなるってものだ」

「そう言うカズは、心配してないみたいだけど?」

「してないってことはない。相手が大掛かりで鬱陶しそうなのは判ってるし。でもボクは、タツ兄のつてならまあ大丈夫かなと、うっかり思い込んでしまうくらいの素地はあるんだよ。立ち位置が違う」

「それなら、カズの信頼してる俺の信用してるやつらが匿ってるから大丈夫だってことにしておけ、幸少年」

「詐欺師みたいな口調になってるよ、タツ兄」

 そいつは酷いと、巽は破顔した。そうして笑うと、いくらか幼く見える。表情や口ぶりに騙されるが、本当のところ、巽は童顔なのだ。

 唐突に、幸が盛大に息を吐いた。何事かと、和希が思わず注視する。

「お前たちを見てると、馬鹿らしくなってくる」

「…褒め言葉ではなさそうだなあ、それって」

 あまりにも生真面目なかおで言われ、和希は、反応に困った。巽を見ると、何食わぬかおで酒を飲んでいる。

「もう少し、考えさせてくれ。とりあえず、あいつらが来たら――これは外すから」

 浅葱は、幸が自分で外すのは酷だと言った。浅葱の覚醒を促すことは、つまりは「長良幸」の消失を招きかねないのだから、当然だろう。

 頑なに聞こえる幸の決断に、だから和希は、強いと思っていいのか、自棄と取れるのか、判断に迷った。ただどちらにしても、自分の言葉では覆せそうにもないなと、漠然と淋しく思った。

 だが、そこで諦めるつもりもない。

「幸、覚えておいて。ボクは、キミのことが大好きなんだよ」


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