青空に白い月


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 笹と紫陽花で飾り立てられた校舎は、一挙に日常から異次元へと変化していた。民族学でいうなら、「ハレの日」が今日だ。

「驚くぐらい具のでかいたこ焼きだよー」

「甘味処のしらたま屋、二階の右突き当たりですよー。どうぞ寄ってってくださいねー」

 賑やかな喧噪が、校舎を包む。日曜ということもあり、生徒以外の姿も見受けられる。

 基本的にはありふれた文化祭のそれと変わらないのだが、生徒が、二人一組で同じ趣向の衣装に身を包んでいるのが一つの特徴だ。七月の七日に一番近い日曜に催されるのが、無背高校名物の「梅雨祭」。ちなみに、文化祭はまた別にある。

 二人一組の仮装は、その中の明らかな主眼だ。

 そもそも梅雨祭というのは、無背では旧暦に行なう七夕行事ではなく、奈良の時代にあったという、水乞いが元になっているらしい。梅雨にもほとんど雨が降らず、農作物のために一夜を祈り通し、命の代わりに天を動かしたのが、まだ若い一組の男女だったという。

 無背以外から通う者には、時として七夕伝説とごっちゃにされてしまうのだが、無背高校の裏にある祠には、その二人が祀ってある。

「あれ? 真田さん、長良幸知らない?」

「長良君? さっきまでそこにいたと思ったけど…」

「あ。店番、交替か。どこ行ったかなんて知らないよね?」

「ええ。ごめんなさい、わからないわ」

 浴衣に前掛けをつけた同級生が、そう言ってすまなそうなかおになる。和希は、礼を言って教室を後にした。

 祠の二人を元とした生徒の仮装は、当日の午前中に投票でクラス代表を決め、午後には全校でのステージ発表と投票が行なわれる。クラス投票は、正午までに投票を済ませておくことになっているのだが、幸の投票用紙は、荷物の上に無造作に残されていた。

 朝一番のクラス出店の店番を終えた和希は、忘れ物を取りに戻った際に気付き文句を言おうとしたのだが。一学年が四クラスの比較的小さな高校とはいえ、名物のお祭り騒ぎで、校舎の人数は、下手をすれば倍以上に膨れ上がっている。

 これは探し出すのは無理か、と決めかけた時に、校庭に見たことのある服を見つけた。萌葱色が中心の、和希が造り上げた衣装だ。

「見つけた!」

 一年生のクラスは、生憎と最上階だ。今から駆け下りても移動していそうだし、声をかけると余計に逃げてしまうだろう。いっそこのまま飛び降りて、と無茶なことも考えたが、幸が、誰かと話し込んでいる――というよりも、詰め寄っている風なのを見て取って、駆け出す。間に合うかも知れない。

 昨日捻った足は、丹念にマッサージをしたら、違和感もなく治った。もともと、手当するほどのことでもなかったのだ。

「今すぐ帰れ!」

「やあ、よく似合ってるよ」

「撮るな!」

 たどり着いてしばし、目の当たりにしている光景が信じられなかった。あの幸が、親しげな空気を伴って話をしている。内容はこの際、関係ない。

 布地のたっぷりとした衣装と、長髪の鬘を身につけた幸を前に、楽しそうに、写真を撮るというのも凄い話だ。凡庸に見える男は、怒る幸を軽くいなしているようだった。

 鬘と衣装でがらりと印象が変わり、一目では長良幸と判らない見掛けに、騙されかけてから気付いた生徒は、例外なくぎょっと目を剥いている。

 声をかけたものかどうか迷っていると、不意に、男と目が合った。しばらく見つめ合ってしまった後、にこりと笑いかけられた。青筋を立てている幸の隣をひょいと抜けて、歩み寄ってくる。

「はじめまして。もしかして、幸の友達?」

「え――はい、とりあえずそう思ってます。同じクラスの、竜見和希です」

 突然の質問に驚いて詰まったものの、そう素直に応えると、にこりと、男は微笑んだ。三十前後といったところだろうか。しかし、あまりにも落ち着いた雰囲気からすると、童顔で年齢はもっと上なのかも知れない。

 不器用な医師のような、そんな印象を受ける。

「幸にも友達がいたんだ、良かった。家では何も話してくれないものだから」

「家って…長良君の保護者さん、ですか?」

「ああ、ごめん。うん、幸の保護者というか後見人というか。杉岡です。連絡先しかないけど、良ければこれ、名刺」

 渡された小さな長方形の紙片には、言葉通りに「杉岡宝」という名前と、確認に一度回されただけのクラス名簿に載っていた、幸のものと同じ住所と電話番号が書かれていた。メールアドレスは、世界有数のフリーアドレスだ。

 そうして、男はしげしげと、和希の着ている衣装とみづら風に結った髪を見つめた。

 隣では、不機嫌そうに、それでいてどこか不安そうな様子で幸が佇んでいる。身長は、わずかに幸の方が勝っているようだった。

「良くできてるね、その服。幸の分も、作ってくれた?」

「はい。目玉なんです、生徒の仮装。生徒会や新聞部の配付している資料に詳しくありますけど、昔、水乞いをした男女に因んでるんです。午後には、体育館で衣装審査のステージ発表がありますから、時間が合えば見ていってくださいね」

 外向きの笑顔を向ける。実は、その双方に和希が関わっていた。新聞部には、今までの学校新聞を見せてもらいに入り浸っているうちに部員になってしまい、生徒会では、クラス委員ということで雑用に使われた。

 そのおかげで、おそらく和希は、今、校内で一番梅雨祭の由来や変遷について詳しいだろう。そもそも無背で育った以上、梅雨祭には何度も来ていたし、概要も知っていたが、詳細や多説の全てまではあまり知らずにいた。

 唐風に作った衣装も、一応は、その二人が大陸から流れ着いた術師だった、という一説を基にしたものだった。自らではなく、村人たちに人身御供に奉り上げられた、行きすがりの人物だと伝えるものもある。伝承は、そんなあやふやさが面白い。

 真実や事実は、一つしかないように思いがちだが、実際には人によって異なることが多い。捉える側によって、時によって、それらは変化する。

「そうだ、これ」

 投票用紙を差し出すと、杉岡は興味を覚えたように覗き込み、幸は、煩わしそうに顔をしかめた。

「誰に入れてもいいから、投票参加は頼むよ」

 当初の目的をようやく差し出して、受け取ったことを確認してから、杉岡に笑顔を向ける。

「これ、うちのクラスのチラシです。割引券ついてますし、どうぞ」

「ありがとう。幸は、何もくれないんだ。今日だって、何一つ言ってくれなかった」

「即刻帰れ」

 杉岡は、笑って肩をすくめる。これは勝ち目はないなと、和希は苦笑を堪えた。

 それに気付いたものか、杉岡は、にこやかな笑顔を和希に向けた。

「迷惑でなければ、案内をしてもらえないかな。幸は、この通りだから、期待できなくて」 

「是非、と言いたいところですが、残念ながら、用事を頼まれてまして。午後の準備があるんです」

 心底、残念だと思う。普段にはない、幸を大いに見られそうな、折角の機会だというのに。

 杉岡は、そうかと、少しだけ残念そうに言った。

「無理を言ったね」

「そんなことはないです」

「ありがとう。衣装審査には、二人も参加するのかな?」

「午前中に、クラス内で投票があるんです。その結果次第ですね」

 その言葉に、謀ったわけではなく、揃って、幸の手にしていた投票用紙に視線が向いた。

「あの紙?」

「そうです」

 心持ち幸を睨むと、わずかにたじろぐように身を引いた。杉岡も、非難するように見たことが大きな理由だろう。

 和希は、何とはなしに、杉岡と顔を合わせて苦笑した。一種、共犯のような空気が流れる。もう少し話してみたいと、幸のことを抜きにしても思った。

 しかし、スケジュールを詰め込みすぎの梅雨祭一日目は、どうにも慌ただしい。元々は衣装コンクールのみだったものが、クラスでの出店も加わって煩雑になったためもある。

「そうだ。校内図、新聞部か生徒会の配ってる冊子に載ってますよ。ここからだと、新聞部の配布場所が近いです。そっちの校舎に入ったらすぐのところに机置いてます。よければどうぞ」

「ありがとう」

 三人が立っているのは、一般教室が主に配置されている校舎と、特別教室や職員室が配置されている校舎との間の中庭だ。向かい合った校舎は、それぞれ端に近い二カ所の渡り廊下で繋がっている。

 そんな校舎の、校門に通じる通路の反対側は、山になっていた。その境のあたりに、今日の基である男女の祠が建っている。中庭からは、園芸部の温室が目隠しになって見えなかった。

 中庭や校舎前には各クラスや部活が店を広げていて、おそらくは、出店参加の半数近くがここや運動場に出て来ているだろう。新聞部は、校門の横辺りに陣取りたかったのだが許可が下りず、中途半端に校舎の中を割り振られてしまっていた。

 ちらりと校舎に設置された時計を確認して、和希は軽く頭を下げた。

「それじゃあ、すみません、失礼します」

 ひらりと浅葱色の衣装を翻して、二人に背を向けた。

 小走りに駆けていく先には、体育館がある。小さな学校にふさわしく、こぢんまりとしている。用があって尋ねた市内の大きな高校には、トレーニングルームや運動部の部室、第二体育室などといった、複合の体育館を見たこともあるが、それにはほど遠い。

 体育館は、梅雨祭の開会宣言のために生徒を集めたきり、閉じられている。

「あれ、まだ誰もいない?」

「残念、一番になり損ねたか」

「!」

 集合場所の扉前にたどり着き、呟いた途端の声に、ごくごく当然の流れで振り返った和希は、思わず吹き出していた。

「か、会ちょ、何です、それ」

 不格好なほどに短いスカートと、わざわざへそを出している短い上衣。飾りの付いたヘアピンで留めた髪。キャラクター化された「女子高生」のようなそれに、笑いを押さえるのも必死だ。

 朝、開会宣言の時は普通に制服だった覚えがある。

 無背高校生徒会長の橋本力也は、なかなかに美人な顔に、にこりと笑みを浮かべた。

「仮装だ、文句あるか」

「ないですないです。笑えるだけで」

「ふん、好きなだけ笑っとけ。結果発表の時に悔しがっても知らんからな」

「へえ、自信満々ですね。クラス発表もまだなのに」

「俺に入れずに誰に入れる。――おう、遅いぞおまえら」

 力也は、続々とやってくる生徒会役員と各学級委員たちに気軽に声をかけ、ある程度揃ったところで扉を開けた。

 中は、ありふれた体育館だ。使い込まれ、床が深みのある飴色をしている。ステージには、濃紺の緞帳。片隅にはピアノが載っている。

 今は何もないこの空間に、クラス代表たちが歩く花道をつくらなければならない。元々のステージだけでもいいようなものだが、そのあたりは、慣例とこだわりだ。

「よっし、やるか、皆の衆!」

「あっ、馬鹿会長、スカートに気遣いなさい、誰も中なんて見たくないのよ!」

 身軽に動く力也に、副生徒会長も含め、手際よく準備が進められる。

 今期の生徒会はこの梅雨祭で事実上引退となるため、生徒会の主要メンバーの三年生は、作業を進めながらも、感慨深そうだった。無背高校に通う生徒は大半が地元の出身で、幼い頃から梅雨祭に足を運んでいるため、一年生でさえも、そんな空気に同調していた。

 和希は、一歩引いてそんな感想を持ってしまう自分に、違和感を憶えた。何故、同調しないのだろう。

 どうでもいいことだとは思う。他者との一体感といったところで、実際には思い込みの類だ。感じたからといって、何があるわけでもない。ただ少し、それでは淋しい。

「働いてるか?」

「働いてます、きっちり。ほら、副会長呼んでますよ」

 単純作業が割り振られている学級委員と違い、生徒会役員たちは、放送部や職員と機材の配置や進行の最終打ち合わせもしている。忙しいはずなのに、わざわざ声をかけにやってきた力也を、和希はあっさりと追い払った。

 不服そうに口を尖らせながらも、大人しく呼ばれた方へ行く。

 力也が生徒会長というのは、優秀な補佐がいて、という前提付きではあるが、適任だと思う。人心を掌握するものがあり、さぼるが、ここぞというところではきちんと力を発揮する。

 付属品の威光ではなく、自身の能力だ。

「あー、やだなあ」

 意識せずに、間近に人がいないことを知って、ぼそりと呟く。誰かと比べることは、その違いを補う意志と手段がなければ、自虐か優越感に浸るかでしかなく、気晴らし程度の効能しかない。そして、自虐での気晴らしは、好きになれない。

 高校に入って数ヶ月、生徒会と関わるようになったこともあり、どうも人に「あてられて」いるようだ。

 小さく首を振って、和希は、準備に専念しようと努めた。

 お祭り騒ぎは好きだけれど、始まると、逃げ出したくなるのは何故だろう。早く終わらないかと、つい願っている自分に気付き、和希は、口の端を歪めた。


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