青空に白い月


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「あれ。お久しぶりです、水無瀬さん」

 和希が乗り込んだのとほぼ同時に発車した国産セダンの中で、そう挨拶を告げる。和希を家まで送り届けたものとは別の車で、そのときの運転手に言伝して、来ていてもらったものだ。

「和希君、今度は何に巻き込んでくれたんだ」 

「せっかくおしとやかに挨拶したのに、それ無視するなんて酷くない? それに、ボクは水無瀬さんが戻ってること自体知らなかったよ。巻き込んだのは、お祖母様あたりでしょう?」

「悠長にしてていいのか。とりあえず走らせろ、としか聞いてないが」 

「これ見て行って」

 淡々とした反応には慣れているので、和希もさっさと、モバイルパソコンを取り出し、幸に渡した発信機の居場所を拾っていることを確認し、左肩越しに運転席に差し出した。

 水無瀬巽は、昔、地方議員をしていた祖父の秘書の息子ということだった。しかし、和希の実感としては、「よくわからないけど家にいて遊んでくれるくれるお兄さん」だ。

「事故を起こしたくないなら、前に来い。そもそも、二人しかいないのに後ろに座るなよ」

「それくらいいいじゃない」

 ひょいと、運転席と助手席を掴んで、それらに挟まれた空間に、手を軸に体を浮かせ、滑り込む。巽は、眼鏡越しにそんな和希を一瞥し、これ見よがしに溜息をついた。

「和希君、何歳になった?」

「えー、ひどい、覚えてないの?」

「…もう十六歳になるのに、馬鹿なことをするな。その程度の常識は、叩き込んだと思っていたが?」

「はぁい」

『たから!』

 ぴくりと、イヤホンからの声に、体が動く。理論に反して一時間強で特設効果の切れた盗聴器が、再び音を拾い出す。受信圏内に入ったらしい。

 安定した運転を続けたまま、巽は、耳を澄ます和希を横目で見遣った。

「事情説明はなしか?」

「友達を助けに行く」

「了解。一応、シートベルトしてろ」

「はい」

 素直にベルトを引き寄せる。すっかり忘れていた。

 やはり、頼りになる。

 巽と和希がはじめて顔を合わせたのは、幼稚園に通っているような年齢のときのことだ。巽は当時、中学一年生。祖父から子守を押し付けられた形になる少年は、しかし、真面目に和希の相手をし、異常な記憶力を知るに到っては、面白がって暗記対決をしたりもした。もちろん、和希の圧勝で、手を抜けば怒られた。

 一貫して、巽は和希の、頼れる師匠だった。

 その師匠が、目線を上げる。  

 そこは、北上市でも珍しい高層ビルだった。もっとも、北上市で珍しいだけであって、もっと人口が多くて交通の盛んな都市部に行けば、ありふれたものに違いない。

 現在は兵庫県に住んでいるはずの巽は、だが、それを見上げて嘆息した。

「俺のいない間に、変なものを作ってくれたもんだ」

「否定はしないけど、ビルのオーナーが聞いたら怒るよ」

「考えてみろ。無背まで行けとは言わんが、少し動けば土地はたくさんあるんだ。だだっ広いところにひょろ高いビルなんぞ建てて、何になる。誕生ケーキのロウソクでもあるまいに」

「それだったら、おめでたかったんだけどねえ」

「いっそ、なくなったほうが喜ぶな、これは」

「あー、否定しないけど」

 どう考えたところで片田舎の駅前にはふさわしくないビルの前で、モバイルを置いてきた和希と、車を置いてきた巽は、のんびりと穏やかでない会話を交わしていた。

 相変わらず耳に押し込んだままのイヤホンからは、既に何度か聞いた音声が流れている。盗聴器は既に露見し、親切にも、情報提供を兼ねて、一定時間の会話を繰り返し聞かせてくれているらしい。

 幸はこのビルの中で、杉岡とは、再会と呼んでいいものか躊躇うような再会を果たした後、閉じ込められているらしい。――おそらく。

 素直に正しい事態を教えてくれているとは限らないが、聞こえた会話を繋ぎ合わせれば、そういうことになる。 

「さて、和希君。どう行く?」

「とりあえず、真っ向から受付?」

 はじめは巽は車で待機の予定だったのだが、既にこちらの存在が知られていると判った時点で、同行することになった。こうなるとほとんど意思を変えない、という態度で同行を告げた巽に、幸の気持ちが少しわかったかも、と、和希は溜息をこぼした。

 ちなみに、借り物の国産セダンは、本来の持ち主を呼びつけて番をさせている。当然のように他人をあごで使う巽に、和希は毎回、漫画で定番の悪の生徒会長みたいだなあと、中途半端な感想を持つ。

 視線に促されて自動ドアをくぐると、まだ今の季節冷房でもないだろうが、がらんとしているせいか、冷え冷えとした空気に当たった。

 入ってすぐの受付には、妙に垢抜けた女性が座っていた。巽はともかく、和希を見て目を丸くする。なにしろ、自己流山菜摘みの格好のままだ。

「すみません、高見響さんにお会いしたいのですが」

「…お約束はおありですか?」

「どうでしょう。竜見といいます。お手数ですが、確認していただけますか」

 笑顔で返すと、戸惑った様子のまま、制服だろう薄いピンクのシャツに白いベストの女性は、受話器を取った。

 短いやり取りは予想通りのもので、受話器が戻されたると、案内が来ると告げられた。 和希は、巽と視線でやり取りすると、来客用に置かれたのだろう無駄に豪勢なソファーに腰を落とした。受付の女性は、まだ少し、不思議そうにこちらを見ている。

「健在なりし竜見志郎、か?」

 皮肉を言うわけでもなく、淡々と口に出されたのは、和希の祖父の名だ。

 和希は、こちらは口の端を歪め、肩をすくめた。

「さあ。過去の亡霊か、竜見和希の名か。わざわざ呼びつけたのだから、後者だと思うけど」  

「高見ってのが当面の敵か?」

「本当かどうか怪しい情報によると、そうらしい。水無瀬さんも聞いてみる? ボクが見たのと同一人物なら、黒眼鏡に黒スーツで、まだ若い人だったけど」

「ちなみに、今まで会った中には?」

「覚えがない」

 そうか、と言って、巽は腕時計を見た。飯食い損ねたな、と言うが、正午など疾うに過ぎている。

 硬質な床はよく足音を響かせそうだが、案内人が来る気配はなかった。それにしても、平日の午後だというのに、人の動きのない会社だ。さっきから受付嬢以外に、人の姿を見ていない。 

 和希は、軽く反動をつけて立ち上がった。

「トイレ、どこだと思う?」

「お姉さんにでも訊いて来い」

「はーい」

「あ。ちょっと待て」

 真っ直ぐに受付に向かいかけた腕をつかまれ、首を傾げる。薄いガラスを一枚隔てた瞳は、遠慮容赦がない。これで、眼鏡さえもなければ、和希は逃げ出していたかもしれない。

 ふっと空気が緩み、見透かしたままの視線で、意地の悪い笑みを浮かべた。

「友達って、女の子か?」

「残念、男の子。ロマンスは芽生えそうにないよ」

 笑って立ち上がると、やる気をなくす話だ、と呟いて、ソファーに背を預ける。

 和希は、ずっと見ていたらしい受付嬢のところへ行って、トイレの場所を訊く。そうして、そちらに足を運び、そのまま、近くの階段を下った。

 閉じ込めるなら地下だろうと、そんな安直な考えによる。違っていれば、誰かが出て来て案内してくれるだろう。あるいは、連行か。どうせ、気付かれずに忍び込めるとも思っていない。それは巽も判っているだろうから止められるかと思ったが、案外お咎めなしだった。

 地下に行けば電波も拾えないだろうと、ようやくイヤホンを外す。普段使うことがないため、変に付きまとっていた違和感が、やっとなくなる。

「ここで合ってるといいんだけど」

 なんとなく呟いた声が、聞き取れはしないものの思ったよりも音として反響して、和希は慌てて口をつぐんだ。何をやっているのか。

 自分で突っ込みに浮かべた疑問は、道を逸れて、いつの間にか、曖昧なものに摩り替わった。

 何をやっているのか。

 本当に、幸を助けようと思っているのか。助けられるのか。これはただの思い込みで、やはり彼には、余計なことでしかないのかもしれない。そもそも、助け出すといっても、何から。和希は、一方的に友人と宣言した少年のことを、あまり知らない。

 何度も考えながら、努めて忘れてきた疑問。自分だけでなく、他の人まで巻き込んだ今になって考えるには、遅すぎる。

 階段は、二階分下ると行き当たってしまった。注意しながら、平行移動する。物置に使われていそうな地下二階は、予想以上に埃っぽかった。

「何か御用ですか?」

 足音もなく、部屋からか出てきた男が、静かに声を投げかけた。

 和希は、そんな男をじっと見つめた。二十代か、せいぜいが三十を過ぎたくらいだろう。そう推測するが、はっきりとは判らない。何しろ、日も差さない地下だというのに、色の濃いサングラスを掛けている。

「ここの会社は、黒服に黒眼鏡が制服?」

「竜見和希さんですか」

「返答の必要、あるかな」

「こちらへ」

 午前中に顔を合わせた二人とは異なり、こいつらは宇宙人話に付き纏う黒服の男たちを意識でもしているのかと、意味のなさそうな擬態に首を傾げる。質問はあっさりと無視されたが、本当に制服だったらどうしよう。多分、どうもしないがセンスは疑う。

 とりあえず大人しく、男を追う。

 開け放された扉は、和希がくぐると閉じられた。入ってすぐに階段で、皓々と人工灯に照らされながら、男を前に、無言で下る。

 長々と続くそれに飽きてきた頃に、ようやく扉にたどり着いた。無骨な分厚い扉を、男がさほど苦もなく押し開ける。体は細いが、実は筋肉質だろうか。

「違法建築じゃないのかな、これ」

 そのあたりの法律は、見聞きしたことがないので判らないが、軽くビルの三階分くらいは下る階段のある隠された地下室など、認められるのだろうか。

 期待はしていなかったが、男からの返事はなく、続いて扉をくぐった和希は、思わず目を瞠った。

「エレベーターあるし!」

「はい」

 十メートルほど離れた壁面のそれに目を留め、じゃあ歩かせるなよとぼやく。しかしそれよりもと、広々とした部屋にごちゃごちゃと並ぶ計測器や手術器具のようなものを、うんざりと見渡した。

 拘束器具のついた台に、メスやピンセット、鉗子などの載せられた台、指示薬や薬品の並ぶ棚、呼吸器具や心電図。カメラやノートの置かれた事務机もある。

 手術室と化学実験室をごちゃ混ぜにして広げたような場所だ、と思う。拘束器具の間隔から見ても、人体実験にうってつけのようで、見ていて厭になる。

「実はここ、製薬会社だったとか? 密かに地下で実験してます、って、都市伝説の域だ」

 言ってみるが、やはり返事はない。

 男の目的地はここではないようで、エレベーターの向かいにある衝立を、無造作に横にのけた。その向こうにも、扉がある。

 開けた先は、打ちっぱなしのコンクリートの、牢獄だった。

「…やあ」

 和希が見たのと同時に相手も認めたらしく、数時間前に別れたクラスメイトは、頑丈そうな鉄格子を隔てて絶句していた。

 狭い通路で、二つある檻のうちの、幸が入っていない方は空なので、平気で背を向ける。快適さを求めなければ、ライオンも入れそうだ。

「…どうして」

 虚ろな声に首を傾げると、幸は、鉄柵を掴み、火がついたように言葉を継いだ。

「何故来た、罠だと判っていただろう、本当に危険になったら逃げると、そう言っただろ!」

「馬鹿だなあ、信じたのか」

「ッ!」

 怒るというよりもむしろ、泣きそうな幸の指先は、柵を強く握りすぎて、早くも白くなっている。

 和希は、それを緩めようとするかのように、そっと手を重ねた。

「ここまで来たんだ、ボクが納得のいくまでつき合わせてもらうよ。君は、神にでも祈るといい。願いを叶えてくれるかもしれない」

 そうして、手を離す。

 振り返ると、案内してきた男が、入り口に立ったまま待っていた。和希の視線を受けて、手で示す。

「ご案内します」

「今度こそ、エレベーターだろうね」

「ええ」

 それならと、ついて行こうとして、思いついて幸を見る。人に怯える動物のようで、和希は、どうしようもなくて苦笑した。

「ボクは君が好きだよ、長良幸」

 だから、気付いてと。そう願うことが正しいのか、和希には判らなかった。


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