月を仰ぎて夜を渡る


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 昼下がりを、四人は村外れの小さな丘で過ごした。レイとミレイユの分の昼食を携えてのことで、状況さえ忘れてしまえば、のどかなピクニックだ。

 レイの分のパイを手渡し、ミレイユは、木陰に立つレオナルドとシラスを、胡乱そうに見遣った。

「僕を連れ出して、何を企んでいるんですか」

「企むなんて、人聞きの悪い。それにしてもお前、よくのこのことついてきたな。殺されかけたってのに」

「取り乱すことくらい、誰にでもあるものです。そのくらいのことを許せる度量がなくては、神にお仕えすることはできません」

「手前で手前の度量の広さを自慢するなんざ、たいした器の広さだ」

「じ、自慢じゃありません!」

 ミレイユは、レオナルドにからかわれていると気付かないのか、簡単に引っかかり、くるくると表情を変える。レイは、その様子をなんとなく眺めながら、やはり保存食をふんだんに使ったパイに、かぶりつく。

 セレーヌの手製で、彼女たちは今も教会にこもり、祈りを捧げている。ミレイユを通じて、このパイと夕食分のシチューの存在を知らされた。

 老女は、レイが眠りについていた間にそれらを作っていたのだ。話し合いは早朝、祈りに集まった折に行われ、すぐにも村を出ると考えた老女からは、シチューは無理でもパイは持って行って、とも伝えられた。ごめんなさいね、とも。

 何故、そんなにも優しい彼女が、こんな苦しみを与えられなければならないのか。

 食事を摂れば、シラスに協力してもらい、剣を使えるよう努力するつもりだった。シラスから申し出てくれたことで、まだわずかにでも間に合うかもしれない望みと、失敗すればシラスに切りつけるだけに終わり、何もできないということに、表裏一体の絶望を感じた。

 ミートパイの最後の一かけらを飲み込む。とてもおいしかった。

「シラス、お願い」

「ああ」

 ごめんと、胸の内で呟く。どんな結果が出ても謝らないことと、それだけ、事前に約束させられた。

 剣を抜いて、構える。今ではすっかり手に馴染みながら、本当の能力を使いこなせない剣。目の前に立つのは、大好きな、けれど別れるために出会った人。

 とんだ皮肉だ。

「な、何をするんですか?! 剣の練習なら、素手だと危ないですよっ?」

「黙ってろ」

 言うだけでなく、手でミレイユの口を無理やり塞いだレオナルドを視線の隅に留め、シラスの心臓に刃を突き立てる。シラスは、痛くないはずはないのだが、表情を消していた。

「――闇よ降り来たり、此の者を包め。永きの鎖、尽きぬ夢よ、永久の時の前に、跪け」

 待っても何もなく、シラスは首を振り、レイは、伝った血に濡れた剣を引き、拭うと鞘に戻した。

 ごめんなさいと、口にしそうになる。

「後で、また試してみよう」

 ね、とシラスに言われ、言葉もなく頷いた。惨めで、何かに押し潰されそうだった。

 レオナルドが、用意していた器を渡し、シラスが飲み干す。失った血とわずかな肉片を補うためだ。ミレイユは、その中身を見てしまったらしく、おののくように、二人から体を離そうとしている。しているのだが、レオナルドに口をふさがれたまま捕まっているので、叶わない。

 もがき暴れ、ようやく解放された。顔が蒼白だ。

「あ、あなたたちも、許されぬ身なのか?!」

「お前たちの言葉で言うなら、そうだな。おっと、そいつは違う」

 そう言って、レイを指差す。

 セレーヌが教師に告げなかったのか、教師がミレーユに話さなかったのか、少年には初耳だったようだ。

「さっきの、呪文は・・・」

「サギシからの脱却を図る、マホウのおまじない」

 ふざけた返事に、少年は、酸欠の魚のように、虚しく口を開閉させた。既に傷口の塞がったシラスが、いささか気の毒そうに見遣った。

「さて真面目な話、そいつは、俺らを解放できる剣を持ってる。使いこなせてないから、今はただのありふれた武器だがな。なあ、お前は、不死者は正当な罰を受けてると思うか? この剣に救いを求めることは、悪だと?」

「・・・」

「この村の奴らを見ても、そうだと言えるか?」

「・・・けれど。罪を犯し、その罪に報いるために・・・神の下した、罰、だと・・・」

「本心からそう思うなら、それでいい。せいぜい、裏切られないよう祈って生きろ」

「裏切るって、誰に、ですか」

 再び顔を青ざめさせた少年は、のろりと言葉を吐いた。レオナルドは、むしろ哀れむように言い捨てる。

「神だ」

 立ち尽くす少年を、無表情に見つめる。

「俺の過去を教えてやろうか。今から、大体七百年前。カストリア教が国教に定められた直後、俺は、いつかは教主になるかもしれないと、目されるくらいには優秀だった。多分、ほとんどの記録からは末梢されてるだろうがな。レオナルド・テューダー。闇を覗く覚悟があるなら、調べてみるといい。そんな俺が不死者に変じたことは、教団の汚点で脅威だろうな。もっとも、上層部だけは今でも知ってると思うが」

 ただ淡々と、レオナルドは言葉を重ねる。

 それは、レイの初めて目にする、レオナルドの狂気だった。静かに、狂おしい想い。

「ある日、突然だった。床に伏しながらも、生の執着に目だけぎらついてた母がようやく亡くなったと思ったら、こんな姿だ。元は、赤毛だった気がする。俺はマジメで熱心な教徒だったから、そりゃあ絶望して、屋敷に火を放って死のうとした。ところが気がつけば、ぼろぼろの格好で、道にころがってたんだろう死体の腐肉を食らってた。仕方がないから、どうにか本山に行って、殺してもらおうと思った。でも、変わっちまった姿で行けば大混乱になるのは判ってたから、忍び込んで、教主のところを目指した。可愛がってもらってたからな」

 ふっと、感情のない笑みを浮かべた。

「テューダーはもう駄目だ。いつものようにしろ」

 ミレイユが、怯えるように一歩引き、自分の立てた足音に怯え、身をすくめた。それでも、レオナルドから目を逸らすことはできないようだった。

「それから、いろんな奴を見てきた。どれも、突然に変化した。共通点を探せば、どんなことをしても生きたがった奴の、死のすぐ後。そして、その近しい人物だったってことくらいだ。俺の知ってる中に、例外は一つしかない」

 わずかな語調の変化に、レイは、わずかに逸らしていた視線を戻した。狂気はほとんど見られず、そこにいるのは、この一月ばかりを共に旅した青年だった。

 他の二人は気付いていないのか気圧されたままなのか、張り付いた恐怖のようなものが窺える。しかしレオナルドは、不思議に思ったレイに気付き、目だけで、よくやったと言うように微笑んだ。

「南の小さな部族の話だ。そこは、特殊な儀式があってな。仲間が死んだら、その後を引き継ぐ、共に生きるって意味を込めて、死体の一部を分けて食べるんだ。そこに現れた不死者は、むしろ尊敬されて、変わらずに日常を送る。ところがあるとき、なったばかりの一人が言った。俺は、死にたいと思う。だけど死ねない。どうか皆、ばらばらに切り刻んで、俺を食べてくれないか、と。その男は、愛する人を失って不死者になった。そのことを誰もが知っていたから、説得を重ねても肯んじないとなると、それも一つの選択だと、皆が従った。――翌朝、村中の者が不死者になっていた」

 理解するまでに少しかかり、しかし言葉を飲み込むと、三人ともが、この村との符合に気付き、目を剥いた。

 村中の者が一夜にして、変化する。

 顔色を変えて何か言いかけたシラスとミレイユを手を挙げて止め、レオナルドは先を続けた。

「はじめは戸惑った人々も、すばらしいことだと受け容れ、すぐに日常を取り戻した。ところが数日して、体の不調や記憶の欠落を訴える者が出てきた。しばらくすると、正気を失い、誰彼構わず殺して食おうとする奴が出てきた。村人たちは、そうなったらこま切りにして燃やして排除して、いつ誰が狂うか、次は自分かと、怯え、仲間を惨たらしく殺すことに苦しみ、いつしか残されたのは、元から不死者だった者だけ。しかしそれも、村の終わりを目の当たりにして――狂った」

 沈黙が、降り立った。

 既に覚悟を決めていたのだろうレオナルドを除き、どの顔も、青ざめ、視線が彷徨っていた。

「だから、俺は疑ってるんだ。誰かが、故意に葬儀の食事に不死者の血肉を入れたんじゃないか、と」

 会食のスープは、牛の肉と血を使う。入れてしまえば、判別は難しいだろう。まして、そんなことは疑っていなかったに違いない。

 レイは、そう考え、納得できることに怯え、同時に怒りを覚えた。その誰かのせいで、あの優しい老女は、苦しみ、辛い死を選ぼうとしている。

「それ、を」

 まだ目の焦点の定まらないミレイユが、唐突に声を絞り出す。

「どうして、僕に・・・僕だけに、教えるんですか・・・先輩にも、知らせるべきじゃないですか。先輩だって巻き込まれて、被害者なんですよ、どうすることができなくても、自分のせいでないと判れば、それだけで、救われるかもしれない。それなのに、どうして・・・先輩に、言わないんですか・・・」

 子供が、どうしようもないことに遭遇したときのように、涙を滲ませて、叫ぶように言う。だが最後には、うなだれ、黙り込んでしまった。

「お前を通じて知らせてもらう、とは考えないんだな。まあ、そんなつもりもなかったけどな」

「・・・」

「それなら、お前の中にも疑いがあったってことだ」

 何を言っているのかと考えかけて、すぐに、二人が教師を疑っているのだと気付く。優しげで、落ち着き払った、村人に尊敬される、若い教師。レイも、知ろうとした。

 どうしてと、叫びたかった。

「セレーヌ夫人以外の村人ってことも、考えられないでもない。夫人が変わったのは、食べた後だからな」

 葬儀を行うまでに二日や三日を置き、実際に埋めるのはそれから、というのが一般的な作法だ。その間に、別れを惜しむらしい。

 他の村人たちは、元々金髪碧眼だというのだから、変化は隠すこともできる。セレーヌでは、夫が亡くなった翌日に変わったとして、すぐに他の村人に異変を気付かれてしまう。

 だが、と、レオナルドが続ける。

「昨日聞いた話だと、調理に関わったのは、セレーヌ夫人以外の女性が八人。一人きりになったことはない、ってことだ。ふてぶてしい鼠が出て、それを追い払うためにも、最低二人はいたらしい。そうなると、食材のすり替えは、教師が運んできたときには完了していたことになる。手渡されたらしいからな。そしてそれを、保管庫から直前に出して真っ直ぐに運んだってことは、外でパンを焼いてた男たちが証言している。野盗を怖れて、どんな辺境でも、保管庫には厳重な鍵をかけて管理する。それとも、ここの教師はずぼらで、やる気がないのか?」

「・・・・・・・・・僕の知っている先輩は、どんなことでも熱心にされる、素晴らしい人です」

 泣き声混じりの言葉は、内容とは裏腹に、教師への疑いを晴らすことはなかった。


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