月を仰ぎて夜を渡る


         10 11 12 13

 翌朝は、やけにきれいに晴れて、レイは思わず、高い空を見上げた。

 朝夕は風も冷たくなっており、そろそろ野宿がきつくなる。宿無しの者にとっては、懐の寒さと身体の寒さが直結する、危険な季節の到来でもある。

「おい、危ないぞ」

「ごめん」

 上を見て歩いていたら、木の根につまずいた。レオナルドが片手で支えてくれたため、転倒は免れる。

 昨夜、レイだけが行くことで話がついたものと思っていたら、朝になって、レオナルドもシラスも当然のように宿を発ち、驚いた。そう告げると、いよいよ呆れたように見られたのだが。

「あと少しだよ。気をつけて」

 足元なのか、村人たちや教会からの者を警戒するのか、判断がつかないままにレイは肯きを返した。両方に注意すればいい。

 獣道のような村への道を抜けると、小ぢんまりとした、炭焼き小屋のような家が立ち並んでいた。人の動きが感じられないのは、本当に誰もいないのか、動いていないのかどちらだろう。

 中央に、こんなところにしては立派な教会が建っていた。年季の入ったそれは、百年ほど前に主流だった、シンプルな尖塔型のものだ。

「・・・とりあえず、教師さん、訪ねてみる」

 教会の体制の中で、伝道者で一番低い位階を口にする。小さな村では、それで妥当だ。

「そいつも、なってるんだよな?」

「そう聞いた」

 肩をすくめ、どうぞと促される。

 王家や領主の目の届かない僻地では、教会がそういった権力の末端をも兼ねる。それほどに、王家の支持するカストリア教は、今や、生活と切り離せないものになっている。その宗教名に冠された唯一神の名は、本来は名もない天上の神が、地上で人の姿を借りていたときのものなのだという。

 レイが神というものをはじめて知ったとき、永遠にあるものと聞き、不死者のようなものなのかと思った覚えがある。今では、そんなことを口にする危険性は十分に判っている。カストリア教は、不死者を目の敵にしているのだから。

 すうと、教会の前で息を吸った。木製の扉は、風雨にさらされ、おそらくは本来のものでない色合いになっていた。

「すみません、誰か――」

 扉を開け、そのまま釘付けになる。

 中には、見渡せる程度の広さに、十数人の人がいた。本来置かれているはずの長椅子は壁側に集められ、人々は、石畳に直接跪いている。生気のない、悲しみさえも見られない、ただ絶望の映る瞳が、こちらを向いた。

 一歩出たら、夕闇も迫っているとはいえ、空は晴れ渡っているのに、色ガラスの小さな明り取りがあるだけの建物の中はひどく薄暗い。

 海の底に光を入れたような、蒼い光に満たされた空間で、祭壇に立った青年が、目を細めてレイたちを見つめる。碧い瞳に、金の髪。

「あなた方は?」

 何故か言葉を失って、レイは立ち尽くした。背を理由の判らない悪寒が這い、ただただ、穏やかな顔つきの青年を凝視している。

 へえ色男、というレオナルドの呟きと、それをたしなめるシラスの囁きが耳に入り、ようやく平静になる。

「旅人の協会に仕事を頼んだのは、あなた?」

「それは・・・では、あなた方には不死者を滅する力がある、と?」

「・・・わからない」

 用心というよりも、これは本心だ。

 一度も成功したためしはないのに、剣は間違いないと保証される。だから未だに、どちらにも肯定できないでいる。

 教師は、そんなレイの返答に、訝しげというよりも沈痛な面持ちになった。

「私たちに必要なのは、不死者を滅する技だけです。そうでないのなら、どうぞお引取りください」

「そんなに滅びたいなら、火をつけるか、教会の大本に通達すればいいだろうが」

 挑発じみたレオナルドの言いように、青年教師の顔がひきつる。シラスも顔をしかめ、レイは、ただそれらを眺めていた。

 教会には、二十に近い人がいるというのに、あまりに静まり返っている。

 不死者は息をしなくても平気なのだと、思い出して気付く。しかし、呼吸の気配はあった。誰もが、息を押し殺しているが、ないのではない。生者のときの名残か。

 村人たちの、絶望に打ちのめされた瞳に、心が冷えた。

「不死者なんてものは、神の罰なんだろう? だったら、望まれる通りに苦しんで死ねばいいじゃないか? そうしないで助けを待つなら、何故教会にこもる」

「苦痛による死を望む人々を、私が止めたのです。彼らは、それまでの罪になることなど行っていない。十分に苦しんでいます。これ以上は、酷すぎる。そんな試練など・・・」

「ふうん、教師サマから非難が聞けるとはな」

 冷たく言い放つ。教師は、それを甘んじて受けるつもりなのか、碧の瞳を、わずかに伏せただけだった。

 レオナルドの視線と言葉は、一層に温度を失った。

「それでもあんたは、白衣(びゃくえ)を脱ごうとはしないんだな」

「何を着、どこに居ようとも、最早、意味はありません。ただあるという、どれだけのことです」

 顔を上げ、レオナルドを見つめる。

 対峙する二人は、どこか似ていた。髪と瞳の色だけでなく、片方は長い髪を束ねて黒い上下の服に白衣と呼ばれる白い長い上着と、清潔なきちんとした教会の正装をしており、もう片方は、短い髪に実用性が重視の生成りの、旅で汚れた格好だというのに、何かが。

 レイは、どうしたものかと思う。自分に、本当に不死者を殺すだけの力があるのか、実のところ、判らない。しかし、放っておくのも何か違う。来ると言い張ったのはレイだ。

 シラスが、溜息を漏らして仲裁に入ろうとしたときに、扉が開かれた。押さえる者がいなくなったことで勝手に閉まっていたそれが、外側から開く。

 幸い三人は、大分内へと踏み入っていたため、当たることはなかった。

 黒の上下に、黒の長い上着。白衣と同様に教会の紋様が目立つ場所に密かに縫い取られたそれは、教会関係者の外出用の上着だ。レイと同齢に見える少年は、緊張した面持ちだった。

「失礼します。東方第一管理部のものです。先月の十一日以来、今日を入れて二十二日に渡って、連絡がなかったとこについて伺いに来ま――先輩!」

 覚えた言葉を間違えないようにか、棒読みに文言を吐き出していた少年は、教師の姿を認め、驚き、喜ぶように顔を輝かせた。そのまま、軽くカールした亜麻色の髪に青い瞳の少年は、子犬のように教師の下へと駆け寄った。

「お久しぶりです、先輩。リコの村にいらしてたんですね、僕、ぜんぜん知りませんでした」

「ミレイユ。・・・君が、管理部に?」

 茫然と、教師は少年を見つめた。

 教会は、幾つかの部門に分かれている。大きな組織になってしまうと、役割の分担は不可欠だ。その中の管理部は、教師などの各地への派遣、本部や教会学校、聖地などへの必需品の手配、祭典の仕切り、証明書の発行など、裏方と思われるものを一手に担っている。その中で異彩を放っているのは、違反者や造反者、異教徒への対処を行うものだろう。

 ここへ来たということは、その俗に言う「黒い部署」に配されたということなのだろうが、邪気の乏しい少年は、笑顔を返した。

「はい。説教が下手だから教師は無理で、管理部にも無理やり入れてもらえたんだと、後で先生に言われました」

 少々恥じるように、笑う。期せずして、己の無知をさらけ出してしまっている。

 つまりは、使い捨ての戦闘要員なのか。

 レイは、二人の会話をこのまま聞き続けるか割って入ってでも流れを変えるべきかと、思案してレオナルドたちを見遣った。シラスは驚くように軽く目を瞠り、レオナルドは皮肉気味の笑みを浮かべている。ついと教師を見ると、目が合ってしまった。

 それを契機に、教師は我に返ったようだった。失敗した、と咄嗟に思ったが、今更どうしようもない。

「今日の祈りはこのくらいにしておきましょう。セレーヌ夫人、旅の方々をお頼みしてもよろしいですか」

 青年教師の穏やかな頼みに、跪いていた老婦人のうちの一人が肯く。

 では、と、教師はレイたちに微笑みかけた。

「この村には宿などありませんから、村長の家でお休みください。ミレイユ、君は教会でいいでしょう?」

「はい!」

 目的を見失ったらしい少年は、やはり子犬のようで、レイですら、その言動には疑問を感じずにはいられない。ついでに、教会に対するイメージも、いくらか壊された。

 やがて、のろのろと散会する村人の中から、セレーヌ夫人と思しき金髪の女性に案内され、三人は、無言の村人たちに紛れた。


         10 11 12 13


一覧
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送