レイが意識を取り戻したとき、枕元にミレイユがいた。
少年は、レイが目覚めたことに気付くと、ほっとしたようなかおを見せた。そうして、全身に酷いやけどを負っていることと、丸二日眠り続けていたこと、その間に教会は完全に燃えてしまったこと、ここがセレーヌの家であることなどを告げた。
声を出そうとしたが、喉が干乾びていて、かすれた唸り声しか出せなかった。ミレイユが、ゆっくりと水をあてがってくれる。蜂蜜が入っているのか、ほのかにそんな味がした。
「一応、眠っているときにも、水を含ませてはいたのですが」
申し訳なさそうな声に、気にしないでほしいと首を振ろうとして、しっかりと巻かれた包帯に、身動きがとれず、しわがれた声を出して伝えた。
何故か、ミレイユは泣きそうなかおをした。
「ふたり、は・・・?」
「お二人は、教会の跡を埋めに行かれています。火の始末には、注意が必要ですから」
「・・・・・・きょうし、は?」
「・・・逃げました」
「ごめん」
「どうして、あなたが謝るんですか。責められるべきなのは、僕です。そのために・・・来たのに。役に立ったと言えるのは、あなたの手当てくらいしか」
「あなた、が?」
にこりと、少年は微笑んだ。しかし淋しそうで、体が動いたら、ありがとうという言葉と共に、手を伸ばすのにと、思った。
レイを拾ってくれたディーンは、お礼を言うときには必ず、頭を撫でてくれた。
「ありがと」
「・・・ありがとう」
礼を言われる筋合いはないと思ったが、泣き出しそうに顔を歪めたミレイユを見ると、何も言えなかった。
そうしているうちに再び眠りに落ちてしまい、しばらく、レイは寝たり起きたりだけの生活を続けた。その間にレオナルドには会ったが、シラスは、早く解放しろと自制が利かなくなりそうだからと、顔を見せることはなかった。
レイの怪我は、全身には及んでいたものの軽かったが、剣を握り締めていた右の掌は火傷が酷く、治っても痕は残るだろうということだった。
それを見るたび、剣を握るたび、あの想いを思い出すだろうと思った。
「あなたは、この後はどうされるのですか」
レイの怪我を丹念に見たミレイユは、薬草などを片付けながら、そう言った。
レイはこの数日、身動きが取れなかったためにいくらか上達した言語能力を動員する。
「二人を殺して、旅に出る」
「あの。僕が言うのも妙ですけど、その剣は殺すのではなく、解放するものだと思いますよ。感謝はされても、殺すだなんてことは――」
「殺してるんだ。誰が忘れても、私は覚えてなくちゃいけない。剣が沈む感触を、他のものにすり替えたら駄目だ」
「・・・出過ぎたことを言いました」
レイは黙って、首を振った。ミレイユはそれを、目を細めるようにして、微笑で受け止める。
「僕は、戻ります。戻って、ここのことを――あなたたち以外のことを全て報告します。どんな処分が下るかはわかりませんけど」
「やめないの?」
「調べようと想ってるんです。古い記録に、許されざる――いえ、不死者のことが記されているかもしれませんから。・・・僕は、何も知らない」
「私も。どうして不死者がいるのか、調べようと思ってる」
そう言って、レイはかすかに笑った。
そして、傍らに置いていた剣を、左手で引く。右手も動かせるのだが、左手よりも酷い火傷の痕が痛み、この数日で、以前よりも利き腕ではない方を使うようになっていた。
「ありがとう、ミレイユ。そろそろ、戻るよ」
休息も休養も、終わりだ。ディーンの死から立ち上がったように再び歩き出さなければと、意識したわけではないが、思う。
そのためには、約束を果たさなければ。
慌てて、もう少し休んだ方がいいと止めるミレイユに、緩やかに首を振る。回復する分だけ、未練が強くなると判っていた。
ただ、寝台から立ち上がろうとしてよろめいたのが、少し恥ずかしかった、この数日はほとんど寝たきりだったのだから仕方がないのだが、ミレイユに心配そうな言葉を重ねられてしまった。
首を振る。
「私も、戻るんだ」
不死者を殺していくことになる、新しい日常に。
立ち上がったレイに差し伸べられた手を、首を振って断った。ミレイユもようやく、それでもまだ渋々といった様子で手を引っ込めた。
「ミレイユ。私は、あなたの――あの人も殺す」
「――はい」
哀しげに目を伏せたミレイユの横を抜け、レイは、思い体を引きずって教会の跡へと向かった。
そこにいるのだろうと、何故か判っていた。ただの思い込みに違いないのだが、結果的には間違っておらず、そう経ってもいないのに、懐かしい思いで二人を見遣った。変わりようのない二人の姿に、笑みを浮かべようとして歪んでしまった。そこに重なりかける涙を、必死にこらえる。
「ごめん」
「いきなりなんだ。体は、もういいのか」
「――待たせた」
飄々としたレオナルドの言葉も、顔を上げては聞けなかった。ただ、どうにか声を搾り出し、剣を抜く。鞘はそのままに、床に落とした。
顔を上げる勇気などなかった。だが、見て、覚えておかなければならないのだと、わかってもいた。
レイを見るシラスの瞳には、やはり狂気の色が見えた。狂喜するそれを、ただ見つめる。
レイは、剣をシラスに突き刺すのではなく、誓約を唱えるように、目の前に掲げた。剣を使えなかった理由が、己の怯えだったと、今なら判る。レイは、自分を必要としてくれる二人を殺してしまうことを、失うことを、避けたかっただけなのだ。
「闇よ降り来たり、此の者を包め。永きの鎖、尽きぬ夢よ、永久の時の前に跪け」
一度目を閉じ、開き、病み上がりに重い鉄の塊を振りかざす。シラスは、ただそれを待っていた。
肉を切る感触に、呆気ない消失。物と化して崩れ落ち、塵になるそれを映して、レイは、剣を引いた。
のろのろとレオナルドに視線を転じると、何故か哀しそうに、微笑していた。
「レイ。俺はいい」
痛む手に剣を握り、苦労して持ち上げる。レオナルドは、ゆっくりと首を振った。
「俺は、いいんだ。まだ、ここにいたい。レイ――泣いても、いいんだぞ」
言っていることが理解できるまでに、大分かかった。
ようやく解ると、レイは、重さに剣を持ち続けることができずに手を離し、膝から力が抜けてその場に座り込んだ。レオナルドが、左手で宙に浮いた剣をつかみ、衝撃を和らげようと、レイを抱きかかえる。
レイは、体温のない体にしがみつき、ただひたすらに涙を流し続けた。