月を仰ぎて夜を渡る


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  老婦人は、沈んだ様子ながらも、かいがいしく世話をしてくれた。夫君は、先日亡くなったということだ。

 寝台は夫婦のものが一つずつと来客用が一つしかないと知り、それなら適当に藁でも敷いて寝るからいいと言うと、怒られた。

「女の子が、そんなことを言うものではありませんよ」

 そう言って、眠りのない自分には必要がないからと、寝台を全て明け渡そうとする夫人に慌てると、シラスがやんわりと、自分たちにも必要がないと告げた。

「何をおっしゃるの。お疲れでしょう? 休養は大切ですよ」

「我々には、必要がないのですよ。あなたと同じ理由で」

 はじめは何を言っているのか判らなかったようだったが、夫人は、気付くと、いたわりと共感めいたものと、純粋な驚きを見せた。

「まあ――あなたたちも・・・?」

「この子は別です。彼女には、寝るところと食事をお願いします」

「そういうことだ。ええと、セレーヌ夫人。俺たちは、しばらく席をはずさせてもらうぜ」

 そう告げて、シラスと連れ立って外に出る。日が沈みきるまでにはまだ少し間があり、夜目が利くとはいえ、その間に村人の話でも聞いてくるのだろう。

 そう判断し、座ろうと椅子を引くと、その音で我に返ったらしい老婦人が、ばね仕掛けのように振り向いた。

「あ。ごめん椅子、座っていいですか?」

「え、ええ。そうだわ、食事。すぐに作るわね」

 そう言って、老婦人は再びレイに背を向ける。こまめな動きは、積み重ねられた年月を思わせた。

 家の中も同じで、ゆるやかに年を重ね、一生懸命ながらに穏やかな日々が想像できる。そうしてそれは、今は打ち砕かれてしまったのだが。

 老女の住まいは、最近になって寂れたような、そんな気配がした。うっすらと埃が積もっているのは、教会にこもっているからだろうか。あまり、家というものに定住した覚えがないため、レイに読み取れるのはその程度でしかない。

「どうぞ」

 しばらくして供されたのは、時間をかけずにできる田舎料理だった。

 夫人が食べる様子はなく、用意されたのは一人分だけだ。不死者は食べなくてもやっていけるのだが、逆に、食物が直接に肉体となる分、必要もなく食べれば変に肉がつくことになる。もっとも、婦人がそのことを知っているかは疑問だが。

 レイは、顔の前で手を合わせた。食事前のそれは、ディーンの癖だった。

「ありがとう。いただきます」 

 ゆでたジャガイモとにんじんと、同じくゆでたベーコンと。塩で味を調えたそれらは、湯気を立てている。量があり、よくある家庭料理だが、これから冬の来る時期に、保存食と調味料を惜しげもなく使うところに、諦めを見取った気がした。もう必要ないと、己に言い聞かせるような諦観。

 レイには、それを和らげる術も思いつかず、ただ黙々と料理を平らげる。素朴なそれは、温かく、おいしかった。

「ごちそうさま」

 老婦人は軽く、応えるような肯きを返した。無口なのは、元々か、こんなことになってしまったからか。 情報を集めるために、老女から話を聞いたほうがいいとは思うのだが、レイには、上手く言葉が見つからない。苦しんでいる人を、これ以上悲しませないで話を聞く言葉など、何一つ思い浮かばない。

 沈黙自体は慣れたものだが、今は、気ばかりが焦る。

「ただの田舎村なのにねえ」

 ぽつりと、呟きがこぼれる。

 レイが顔を上げると、老女は、かすかに笑んだ。まるで、それが精一杯だと言うように。

「こんなことになるなんて、誰が考えたかしら」 

「いつ、気付いたんですか?」

 夫人には、既に覚悟ができている。諦観としても、受け容れることを決めていた。

 下手な同情は、失礼だ。

 老女はやはり、かすかに笑う。

「一月ほど前だったかしら。その数日前に夫がなくなっていて。ふと、気付いたの。何日食べていないかしらって。気落ちしていたからそんなことも忘れていたのかと思って、食事を作ったけれど、食べる気にもなれなくて。仕方がないから顔でも洗おうかしらと思って、井戸に水を汲みに行って、髪と目の色が、変わっていることに気付いたの」

 そう言って、固く編み上げてある金の髪に触れ、レイを見た。

「もうほとんど、白くなっていたのよ。目はずっと、灰色だった。驚いたわ」

「それが証と、知っていたんですか?」

「いいえ。慌てて教会へと駆け込んで、そこでお聞きしたわ」

 そうして、教師は混乱する老女をなだめ、村へと赴き、村中の変化を知った。それから連日、教会へとこもり、祈っているのだと。

「家に戻ったのも、久しぶりだわ」

「あの人――教師は、いつからここに?」

「一年――そろそろ、二年になるかしらね。お若いのに、とても立派な方なのよ」

 青年教師を褒める言葉には、嘘は感じられず、温かい。その感情は心地良いのだが、素直に受け容れられず、心苦しくなった。

 達観しすぎているような、落ち着いた態度。教師のそれは、本当なのだろうかと、何故か根拠もないのに、思ってしまうのだ。はじめに顔を合わせたときの、悪寒。明確な形を取らない疑念は、打ち消すにしても、より多くの情報が必要となる。

 レイは、己の内を危ぶみながら、手探りで言葉を探した。

「村の人は、みんな、変わってしまったんですか?」

「ええ。誰一人、逃れられなかった」

「みんな、髪と目の色が変わって?」

「いえ。この辺りは元々、金の髪と碧の瞳が多いのよ。ただ、そうね。白髪の混じっていた人も、若返ったようにきれいな金の髪になっていたわ。でも、明らかに変わってしまったのは、私だけ」

「それなら――何故、判ったんですか」

 不死者と生者の違いは数多いが、見た目は、意識のはっきりした者なら、あまり変わりはない。

 レイに、老女はひっそりと笑い返した。

「教師様が、ご確認されたの。指先を針で突いて――血をぬぐったら、傷跡も残っていなかったわ。そのくらいのものなら、何も食べなくても回復するのね。はじめは疑っていた人もいたわ。だけど、お腹は空かないし、眠くもならないの。教師様がいらっしゃらなければ、みんな、狂ってしまったでしょうね」

 微笑が、口元に浮かんでいる。それ以外を知らないかのようで、すうと、レイは背筋が冷えるのを覚えた。

 死ねないということは、それだけで何か別物に変えてしまうのだろうか。その変化には、カストリア教の教義も関係しているのかもしれない。これは罰なのかと、恐れる心が。

 では、人を追い詰める神とは何だろう。

 思考が逸れたことに気付き、レイは、生じた疑問をとりあえず脇にのけておくことにした。考えることを止めれば愚者だが、状況に合わない思考は、逃避かただの馬鹿だ。レオナルドの、皮肉な口調を思い出す。

「教師は、以前から不死者に詳しかったんですか?」

「どうかしら。お説教も素晴らしいし、知識深い方だから、とりわけということではないのではないかしら。書をたくさんお持ちで、私たちにも自由に読んでいいと言ってくださったわ。残念ながら、誰も読めなかったけれど」

 返答とちらりと向けられた視線に、ほのかな猜疑を感じ、下手につつかない方がいいと判じる。質問の仕方一つで、人々は貝のように口を開閉する。それは、レオナルドと出会い、ひときわ強く感じたことだ。

 後は二人に頼もう。頼り切るのは気が引けるが、口先のことなら、レオナルドの方がよほど得意だ。シラスも、意外に話し上手だった。もっとも、レイよりも口下手な人間の方が少ないのかもしれない、とも思う。

「どうもありがとう」

「・・・どういたしまして」

 不意を突かれたように、少しばかり目を瞠る老婦人に、何か間違えただろうかと、レイは首を傾げた。

 お礼を言う、これは問題ないはずだ。では、タイミングか。すぐに感謝を伝えるのは、おかしいことだっただろうか。――掠めながらも、唐突さという点に気付かずに、首を捻り続ける。

 老婦人は、レイを見て、苦笑を漏らした。笑いじわが、一層深く刻まれる。

「あなたは、良い子ね」

「・・・?」

 不思議そうなレイの手を、夫人がそっと取り――取ろうとして、触れる寸前に、はっとしたように引っ込めた。

 代わりに、言葉を口にする。

「この村は、呪われてしまったのかしらね。あなたは――早くここを出た方がいいわ。呪われてしまう前に」

「あなたは。呪われていると、思うんですか」

「ええ。とても恐ろしい呪いよ。私は、あの人の後も追えない」

「・・・死にたい?」

「そうね。生きたいと、そればかり思っていたのに。今は、死ねなくなってしまったことが、とてつもなく恐ろしいわ」

「不死を望む人に、会ったことがある。何も食べずとも生き続けられる、なんてすばらしいんだと、そう、言っていた」

 それに返事はなく、老女はただ、笑みの浮かぶ口元はそのままに、黙り込んだ。

 不死者は涙が、感情によって流れることはないのだと、レイは思い出した。泣いて、幾ばくかの感情を外に出してしまうこともできない。

 レイは食事中に、剣帯を解きはしたが、手元に置いていた。その柄を、知らずに握り締めていた。

「もしも――もしかしたら――私に呪いが解けるなら。あなたを、きっと解放する」

「ありがとう」

 今、できる限りの誓約に、老婦人は、大輪の花のように、あでやかな笑みを浮かべた。


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