イヴはそのまま泊まるということなので、セリムは、メーシャを送りながら帰途に着いた。一旦は保護地区に戻ったものの、宣伝も兼ねてこちらへと戻ったメーシャは、今はリースのところに居候している。
はじめの頃は、王府の方で手配した宿泊施設で生活していたのだが、とりあえず、騒動に一段落つき、メーシャ本人はこの先も地上で暮らすことを望んだため、独り立ちへの援助として認められた。
送っていくのは、頼りないながらも、護衛も兼ねてのことであった。人魚と知られているメーシャは、反発を受けることも多い。宣伝塔には、相当の覚悟が必要だった。
「セリム」
「うん?」
「いろいろと、ありがとう」
正面切って礼を言われるのは初めてだと気付いて、意外に思った。既に、何度も言われたような気がしていた。
海から吹く風に押されながら、軽く肩をすくめる。
「俺は、自分のためにやっただけだよ」
「突き詰めればそうでも、私達を救ってくれたのは、確かにあなたよ。・・・弟さんのこと、まだ、気にしてる?」
「それはね。忘れられるものでもないよ。忘れちゃ行けないことでもあるしね」
「だけど、悪意があったわけじゃないんでしょ?」
「いいかい、メーシャ。君たちをさらって売りさばいていた中にも、悪意だけじゃなかった奴もいるかも知れない。さらった先の方がいい生活だと考えていたかも知れない」
驚いて、歩くことも忘れて見上げてくるメーシャを、そのまま見つめ返す。
「善意を持っているからいいことをしているとも、悪意を持っているから悪いことをしているとも限らない。幸い、最近ではないけど、戦争なんてその最たるものだね。あれは、極言すれば、善意と善意が戦っているようなものだ」
「だけど・・・」
「良かれと思って荷物を移動させたら、それにつまずいて大怪我をした人がいた。それはいいことか? 嫌いな奴が悪戯を仕掛けたから、成功させまいとして仕掛けを取り除くのは?」
「え・・・」
「意志と結果は関係ないよ。俺に感謝してくれるのは嬉しいけど、気にしなくてもいいんだよ」
何故か泣きそうな表情に、少し困る。思っていることを言っただけでも、傷付けてしまうのだろうか。
「それに、俺がやったことはどう考えても酷いことなんだから、他に何をやったところで、相殺はできないよ。あれはあれで、これはこれ。別のものだから」
あのときのことは、確かに後悔している。今の言動に結びつく多くのものは、あの失態を悔やんだことを素地に成り立っている。それは、間違いない。
「でも・・・弟さんが、そんな風に悔やまれることを望んでるとも限らない」
「まあそこは、色々とからかわれるところではあるけどね。ひねくれてるってことで納得してくれてるし」
「・・・え?」
「え?」
訝しげに見上げたメーシャに、こちらは不思議そうに首を傾げる。
ちょっと待って、と、セリムを押し止めるかのように、空中を掌で押さえる。
「弟さん。いないのよね?」
「ああ。今は、俺が行ってたのと同じ学校に行ってる。そろそろ、長期休みで帰ってくると思うから――もしかして、死んだと思ってた?」
言葉さえ読み取れそうなメーシャの表情の移り変わりに、推論を口にする。当たったらしく、怒ったような視線を寄越した。
「知らない」
足早に去って行くメーシャを、こみ上げる笑いをこらえつつ、追いかけるセリムだった。