人魚の言い分


         追記 番外

 自分でも、何をやっているのだろうと思う。

 動物よりは優秀、しかし人間よりも劣る、というのが一般区分の人魚が一人。――いや、その区分に倣うなら「一体」か。路頭に迷ったところで、セリムの人生には、何ら関わりがない。

 アサギマダラが根絶しようと、ユリカモメが絶滅しようと、ミノタウロスが断絶しようと、おそらくは関係がない。

 しかし、出会ってしまえば話は別で、見過ごせない。

 それは、人魚でも人でも雨蛙でも関係はなくて、そういうものなのだ。倫理や論理がどうといった問題ではなくて、これは、ただの自己満足だ。

「クビくらいじゃ済まないなぁこれは」

 不景気に呟きながらも、五人目になる見張りの男に拳をお見舞いする。きっちり急所に当てて気絶させると、起きたときに備えて、両手足を拘束して隅に転がしておく。

 全て、アイクから学んだものだ。地方で傭兵をやっていたという老人は、趣味だったのか思うところあってなのか、時間が空けば、セリムに色々と叩き込んでくれた。

「まさか、実践するときが来るとは思わなかった」

 溜息混じりに呟きながら、常備の針金で鍵をこじ開ける。開いたらすぐに、体を滑り込ませた。

「セ――セリム?!」

「やあ、お姫様。待たせて悪いね。ここから出るならお供するよ。白馬に乗った王子様じゃなくて悪いけど」

「何を、言って・・・本当に・・・無茶苦茶・・・」

 泣き笑いに顔を歪めるメーシャには、見られる範囲での怪我はなかった。そのことに安堵して、手を差し伸べる。見たところ、拘束もなく、閉じ込められているだけのようだった。

 それなのに、ゆるりと首を振る。

「ダメ。足が――戻ってる」

 下半身に、水の入った小さな水槽があてがわれている。服に隠れて、戻っていることまでは気付かなかった。

 通説のように、水から出せば魚同様窒息死する、ということはないが、乾かすには、時間がかかる。かといって、この状況では、苦痛を伴う状態で運ぶことも、水槽事運ぶことも困難だ。

 水に濡れて一層青みを増した海色のワンピースの下に覗く、青い尾に視線をやって、メーシャは、泣きそうに顔を歪めた。

 しかしセリムは、メーシャの浸かっている小さな水槽を見て、部屋の隅に立てかけられているカートを見て、それに手をかけた。運んだまま放置していたのだろうが、杜撰だ。

 それに気付いて、メーシャが慌てた声を上げる。

「だ、ダメだって! それ、物凄い音がするのよ! すぐに気付かれる!」

「平気平気。最短距離は判ってるから、突っ走ればいいだけ。さあ、行くよ」

 カートに水槽を乗せて、扉を出てすぐに思い切り加速する。

 メーシャの言った通りに凄い音で、雷のように人を呼び寄せるが、余りの光景に、見た瞬間は呆然とする。我に返ったときには目の前を通り過ぎてしまっている。

 慌てて飛び道具を探るが、セリムが、一風変わった同僚からもらったガスで、火器類の使用は不能にしてしまっている。刃物であれば使えたが、誰も、火器を投げ捨ててナイフを遣うなどと、思いつくことはないようだった。

 そうやって二人は、堂々と密輸業者のアジトを抜けて、そのまま、閣議場の近くの王たちの休息塔まで走り抜けた。

 途中、いくばくかの視線は浴びたが、本物の人魚と思うよりも何かの趣向だと思うものが多く、特に問題はなかった。平和惚けの功罪半ばといったところだろうか。

 厳めしい問の前でカートを止めて、弾む息を押さえて、できるかぎり堂々と、言葉を押し出した。

「セリム・リグ・ムアです。ベントラッセ王に取り次いでいただけますか」

 目を見開いて、仰天している門番に言う。

 その声で我に返ったのかセリムの存在に気付いたのか、青年は、疑うような視線を寄越した。

「何者だ」

「セリム・リグ・ムアです。これ、身分証。アダム・ベントラッセから話が通してあると思います」

 王立博物館学芸員の証明証を手渡すと、リーダーに通して確認する。情報は即座に読み取れ、長方形のカード状の証明証は、丁寧に返された。

「確認が撮れました。お進みください」

「ありがとう」

 促されて、カートを押して進む。何か言いたげにそれを見ているが、咎めないのは、アダムが手を回しておいてくれたのだろう。

 アダムは、王の一人のイヴ・ベントラッセの弟だ。

 そしてイヴは、セリムが以前付き合っていた相手でもある。正直、イヴと別れたときには、それが一方的なものだっただけに、アダムとの縁も切られるものと思っていたが、そんなこともなく今に至る。

 数度、警備の者に身元確認をされながら通されたイヴの部屋には、アダムも来ていた。メーシャの姿を見て、かすかに驚きの表情を見せたアダムに、セリムは肩をすくめて見せた。

 部屋の鍵を閉めて、ようやくカートから手を離すと、左側のソファーに座る金髪の女性に、軽くお辞儀をした。

「久しぶり、ベントラッセ嬢」

「どんな厄介事を持ってきたのかは知らないけど、はじめに一つだけ、質問させてもらっていいかしら」

 既に一つ質問してるよ、とは言わず、どうぞと短く答える。

 イヴは、深い緑の瞳で、ひたとセリムを見据えた。

「何故、あなたはお兄様のところへは行かないで、私のところに来たのかしら?」

 セリムの兄の一人は、サガン・リグ・ムア。これも王の一人で、ただ単に王に用があるのであれば、彼でも良かったはずだと無言の裡に言う。

 当然の質問に、肩をすくめる。

「残念ながら俺は、あの人が信用に足るかを知らないからね」

「それなら私は、信用してくれてありがとうと、お礼を言うべきかしら」

「会ってくれてありがとうと、俺の方が言うべきだね」

 皮肉に、本心を返す。わずかに、自嘲の色が混じっていた。

 イヴの顔は、仮面のように無表情になってしまった。

 今見ても、イヴ・ベントラッセは美人だと思う。綺麗で、とても魅力的な女性だ。大学で知り合って、アダムの姉と知り、頻繁に会うようになって、気付くと付き合っていた。

 一方的に、ほとんど強制的に別れを告げたのは、セリムの方だ。

「少し手順を無視したけれど、これは、訴えととってほしい。個人的なことで来たんじゃないんだ」

「そう」

「話を始める前に、タオルか何か、貸してもらえないか? この子の体を乾かしたい」

「乾かすって――人魚でしょう?」

 イヴの冷ややかな視線を不自然にならない程度に遮って、ああと肯く。

 道中、メーシャと話はしてあった。もう一度苦しむことになるが足を乾かすかという問いには、躊躇いもなく肯きが返された。足がなければ、地上では不利になる。

 座ったままのイヴの代わりにアダムが動いて、バスタオルを投げて寄越す。それをソファーに敷いてから、メーシャを抱き上げて座らせた。

「人魚の尾は、かなりの苦痛を伴うけど、乾かせば人と変わらない足になる。大昔、ここを収めていた王家に、人魚と結婚した人がいるという伝説も、あながち嘘ではないと思うよ」

「――」

「早速本題にはいるよ」

 そう言って、セリムは、一連のことをかいつまんで話した。凍り付いたような表情のままだったイヴは、吟味するように目線を向けていたが、セリムの出した大量のマイクロチップの中身を確認するに及んで、血の気を失って青ざめた。

 それは、セリムがメーシャを探している途中で回収したものだったのだが、密輸業者と役人との会話が収められていた。保険のつもりか、記録を残していたのだろう。

 押し黙ってしまったイヴとアダムと、ヒレが乾き始めたのか、声を押し殺して痛みを堪えるメーシャ。二人の視線は、メーシャにも向いていた。しかし、長くは見ていられず、すぐに逸らしてしまう。

「なかなかに大掛かりなことだ。その上、保護区は王府直属。王の誰かが、確実に関わっていると思う。もしかすると、一人じゃないかも知れない」

「――あなたは、どうして、私は違うと判断したの? それとも、本当は疑っていて、他に頼れるところもないから、来たの? 探るために?」

 取り乱した声に、静かに首を振る。

「違うよ。イヴ、君は、こういったことはやらないだろう? 少なくとも、俺の知ってるイヴ・ベントラッセはやらないしやれない。だから来たんだよ。もし変わってしまっているなら、そこまでだと思ってる」

 よく、人魚を題材にした絵を描いていたリズモア・ウェーデリル。人魚を美しい生き物だと評する彼女との友人付き合いを、金のためにみすみす殺しながら続けられるとは思えなかった。

 少なくとも、セリムの知っているイヴは。

 更に言えば、まだ裏はある。

 イヴは、王になってからまだ日が浅い。六年単位で継続か交替かを投票する時期が来るが、イヴはまだ、一年ほどしか勤めていない。だから、いずれ仲間に引き入れるつもりだったとしても、まだ声はかかっていないだろうと判断した。

 そうでなかったとしても、事態は悪い方向に転がるが、メーシャが足を取り戻すだけの時間が取れれば、とりあえず逃げ切ることも可能と踏んでいる。

 それらは、イヴには、決して告げることはできない考えだった。 

 イヴは、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。

「わた・・・私、あなたが・・・信じて、くれる・・・思って、なかった・・・」

「信用ないな。仕方ないけど」

「だって・・・私が、王になったから。別れる、なんて・・・言ったんでしょ・・・?」

 散々に、王を酷評していたと知っているからこその発想だろう。普通なら逆のところだ。セリムとしては、そう思われているならそれで良いと、心の中でうそぶく。違うとも言いきれない。

 気持ちがすれ違うことは確実で、王として働くことで抱えるストレスとまとめてしまうと、イヴが潰れるだろうことは目に見えていた。アダムは、そんなイヴの姿は見たくない。自分が、それらを受け容れるだけの器でないことも知っていた。

 頼られると判っているから余計に、別れようと思った。

「友人として、俺は、イヴを信頼してるよ」

「・・・そう」

 イヴは、深く目を閉じて、涙を拭い落とした。俯けていた顔を上げる。そこには、本来持っている冷静さが見られた。

 一層のこと、美しく見える。

「話はわかったわ。この件については、私の方で早急に手を打つようにします。それでいいかしら? その子も、こちらで保護するわ」

「いや、イヴ。メーシャには保護区に戻ってもらう。その上で、もらすことのないよう、速やかにかつ慎重に、調べて欲しい。急いで頭を潰し損なった、なんてことになったら目も当てられない」

「わかったわ」

「それと」

 笑みを閃かせて、言葉を継ぐ。

「これから言うことは、全て、聞かなかったものとしてくれるかい?」 


         追記 番外


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