人魚の言い分


         追記 番外

 セリムは、王立博物館の研究員ということになっている。専門は、古文書解読。あらゆる言語に通じ、セリムが現代語に訳した文章が、各分野へと受け渡され、そこで更に研究されていくことになる。

 近頃では、そうそう新しい文書が発見されることもなく、細々とやっている。専任は、セリム一人だけだ。

 その仕事に関して、何ら文句はない。元々好きなことではあるし、唯一、実力で採用された貴重な職だ。

 不満は、「水棲生物対応」の仕事まで兼任させられてしまったことだろう。他には、定年間近の老人が一人。

 ちなみに、水棲生物対応の仕事は、時給だった。

『ああ、君、素潜り得意なんだってね? 人より肺が強いとか。うんうん、他の器官も全部健康だしねえ。水棲生物を扱うための知識も、ちゃんと詰まってるんだよねえ。うんうん。じゃあ、たのんだよ』

 何が、どこがどう繋がったら「じゃあ」になるのか、とっくりと聞かせてもらいたいところだが、そのときのセリムは、ただただ呆気にとられて、気付けば決定事項となっていたのだった。

 おかげで、珍しい水棲生物に関することは、ほとんどがセリムに回ってくる。老人がやってくれるのは、書類関係のみだ。

「これ、やけに体の線見えない? わざわざこんなの選ぶなんて、やっぱり変態よね」

「それは俺の普段着。気に入らないなら、今から買えばいいだろう。服代くらい出す。大体、恥じらいもなかった奴に言われたくないよ」

 早くも気疲れして、セリムは、ぐったりとなった。この人魚を保護地区に返すときには、精魂果てているかも知れない。やはりやめておけばよかったか。

 本当に、はじめは、さらされた体に目を逸らしたセリムを、訝しげに見返していたというのに。

 今、セリムの隣で不審そうに服を掴んでいる少女は、保護地区として手出しを禁じている区画を抜け出した、所謂「人魚」だ。

 だが、気付く者はまずないだろう。何しろ、すらりとした二本の足で、しっかりと立っている。

 セリムよりも頭一つ分くらいは低いが、十代半ばくらいの年齢と推測すると、低い方でもない。

「それで、何企んでるの?」

「企むなんて、人聞きの悪い」

「企んでるんでしょう。いつもは、池堀にそのまま連れ戻すくせに。何の魂胆があるのよ。足をつくらせて服まで着せて」

 「人魚」の尾は、十分に乾かせば人の足と全く同じになる。そして、水をかければ元に戻るらしい。それも、古書から仕入れた知識だった。セリムの知識の大半は、それらから得ている。

 ただ、その際に呼吸困難のような苦痛を伴うことまでは知らず、正直、少女に提案したことを悔いてもいた。それを誤魔化すように、挑発するように視線を向ける。

「疑っている割には、随分と素直に案に乗ったようだけど」

「・・・色々あるのよ。さあ、言いなさい。一体何を企んでるの」

 あまりに真っ直ぐな少女に、馬鹿馬鹿しくなる。嘘やお為ごかしを言って、何になるだろう。

「ただ、何度も何度も抜け出すから、見物させてやろうと思っただけだよ。それで満足したら、少しは大人しくしていてくれるか? この頃じゃあ、俺と君が共犯で、博物館から給料を余分にかすめ取るために狂言でやってるんじゃないかって疑いまで浮上する始末だ。企んでいると言えば、そのくらいのことだよ。どうだ、些細なものだろう」

 言っているうちに少し腹が立って、些か語調を強める。声を荒げないのは、押さえているからではなく、単に、それ自体が苦手なだけのことだった。怒鳴り散らされるのは嫌いだ。

 人魚の少女は、はじめきょとんとして、ふうん、と、挑戦するようにセリムを見上げた。

「見張りがなければ、きっと満足するわよ」

「それは駄目だ。いくらなんでもね」

「だからって、あんたみたいなぬぼっとしたのにつきまとわれてたら、楽しめるはずがないでしょ」

「身分証もないのに、何かに巻き込まれたら事だろう。うっかり水でもかぶったときには、どうやって移動するんだ? 俺を相手にデートを楽しめとは言わないけど、付き人とでも思って我慢するんだね」

「デート?」

「わからないならいいよ。ここまで素直に従っておいて、今更厭もないだろう」

「そうね」

 渋っていたわりには、意外にもあっさりと肯く。

 それじゃあと、セリムは、引き出しを探って腕輪を取りだした。銀色の、二つに割れる様式のものだ。それを、少女に見せる。

「これをつけてもらう。迷子防止だ」

「・・・何が仕込まれてるの」

「心配しなくていい。ただの発信器だ。いいね、嵌めるよ?」

「どうぞ」

 強がっているが、不安が見て取れる少女の手首に、腕輪をつけた。何だか、手錠でもかけている気分だった。

 そんな妄想を振り払って、部屋のドアを開けようと手をかざす。ここの鍵は、個人の指紋なのだ。

 そして、ふと気付いて振り返る。

「名前は、まだ教えてもらえないのかな?」

 はじめて出会ったときに、セリムは名乗り、少女にも名を尋ねた。それは、きっぱりと無視されてしまったのだが。

 少女は、怒ったように顔を背けた。

「メーシャよ。邪魔なんだから、とっとと行きなさい」

 やはりやめて、早く古書の山に戻ろうか、と思うセリムだった。


         追記 番外


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