< 人名 >

太刀葉奏(たちは・かなで)  相良夏雪(さがら・かゆき)  相良美幸(さがら・みゆき)
高柳葛生(たかやなぎ・くずう)  更級和弥(さらしな・かずや)  行(ゆき) 山根木安芸(やまねぎ・あき)
御劔弓歌(みつるぎ・ゆみか)  宮島玲奈(みやじま・れな)  金田(かねだ) 久木(ひさき)  佐々木京香(ささき・きょうか) 野村(のむら)

現在出ている部分まで。多分、これで全部だと思いますが・・・違うかも。


「考えてみたら一見両手に花だな」
 ぼそりとした呟きに、奏は、殴ってやろうかこいつ、と、半ば本気で思った。京香がいなければ、やっていたかもしれない。
 ネットカフェ「宝島」の少人数制のミニシアターで、予定通りに、奏は高柳と京香と顔を合わせていた。一応、部屋を借りているからと古い洋画を流してはいるが、ほぼ誰にも意識していないだろう。
 スクリーンに向かって五個並べられた椅子の、真ん中に高柳を置いてその左側に座った京香は、呟きが聞こえなかったのか無視しているのか、じっと奏を睨みつけたままだ。服は、きらびやかに可愛らしい。
「まあ、お互いに言いたいことは色々とあると思うけど」
「なんでくずちゃんセンセー、そいつトクベツ扱いなの。人のことかぎ回ってるような奴よ」
「あのなあ。いい加減にしろよ、佐々木。佐々木京香。お前だって、傍から見りゃ十分特別扱いだ。それと、その調べてるってことで話をしようとしてるのに、聞く前から塞いでどうする。誰もと仲良くすることはできないけど、殊更に敵を作る必要もないんだぞ?」
 渋々ながら、高柳の諭すような言葉に頷く京香。
 意外にも教師らしいな、保険医だけど、と、奏は密かに、失礼なのか褒めているのか判らない感想を持った。もっとも、特定の生徒を特別扱いしていると公言しているあたりは、一般教師として褒められたことではないのかもしれないが。
 高柳が、ちらりと奏を一瞥した。しかしそれだけで、すぐに元のように京香へと視線が戻される。
「お前が口が堅くて義理堅いってことを知ってるから打ち明けるけどな、奏は、本当は剣美の生徒じゃないんだ」
「え?」
 京香が、訝しげに眉をひそめる。奏は、思わず怒鳴り声を上げそうになったが、ぎりぎりのところで、高柳が裏切るようなことをすると思い切れず、呑み込んだ。
 そんな奏の状態に気付いているだろうのに、当の本人はそ知らぬ顔だ。
「あのことを調べるために、そのふりをしてるだけ。本当は、俺と同い年」
「うそ!」
「本当。二十歳超えてセーラー服ってのもあれだけど、まあ、不自然でないところが恐ろしいよなあ」
 殴ってやろうか、とも考えられずに、ただ、奏は呆然としていた。
「だからまあ、できるなら、協力してやってくれ。仲良くするかどうかの判断は任せる」
 ふっと、体の強張りが解ける。頭が、動き始める。
 きっと、裏切られてはいない。これは、自分を危地に陥れる行動ではないのだろう。多分。高柳は、気に喰わない相手には笑顔で抱擁するふりをして背を刺すこともやりかねないが、今回は違うと、確信した。言葉にして説明しろと言われれば上手く言えないだろうが、自分の胸の内だけのことだ、それで問題ない。ただ、何故先に一言いわないのか。
 後で隙を見て殴ろうと、決める。
 それにしても、嘘を言わずに事実を隠すのが得意な奴だ。奏が男とは、一言も触れていない。これで男ということもばれていたら、反応はもっと激しいだろう。もっとも、ばれないというのも虚しすぎるのだが。
「本当に・・・?」
「ああ。俺は嘘をつくけど、こんなところで騙すような奴じゃないってことくらい、判ってもらえてると思うけど」
「ずるいよ、そんな言い方」
 そう言って、ちらりと奏を見る。敵意が大分薄れていることを、意外に思った。てっきり、高柳が好きだからかと思っていたが、そうであれば、同年代と知っても薄まることはないだろう。
 それよりも、高木紀沙を調べていたことへの警戒が強かったのか。
 では――何を知っている?
「・・・調べて、どうするの」
 目的語が抜けている。これでは、高木紀沙のことなのか、売春グループのことなのか、それ以外の何かなのかが判らない。
 迷って高柳を見ると、軽く肩をすくめた。
「お前が今調べてる件だよ。どうするつもりなんだ?」
「どうって・・・聞いているのは、できることなら内密に済ませたい、ということかな。外部から関与してくる、黒幕とでも呼べるものがいるなら、それは警察に引き渡すとしても、できる限り学園の関与はさらさないようにしたい、ということだったよ」
 依頼を受けたり了承したりした場にはいなかったが、義兄から話は聞いている。ただ、どの程度知らされているのかというのが、不安を抱くところだ。
 京香は、迷いの色を見せながらも、奏の言葉を喰い入るようにして聴いている。
「関わった生徒の傷を広げたくない、ということらしいよ。勿論、学園事態の外聞ということもあるだろうけど。個人的な印象では、止めたい、というのが強かったな」
 あからさまに糊塗して言っているわけではない。実際に、そう感じた。
 ただ、予想されている規模では、関わっている生徒自身にも、いくらか警察の手が及んでしまうことは避けられないだろう。逮捕されることはなくても、何度も話を訊かれるはずだ。
 それを伝えるべきなのか、奏には判断がつかなかった。
「そのことで何か知っているなら、教えてもらえると助かる」
「・・・捕まえて、くれるの?」
「誰を?」
「あいつら」
 真っ直ぐに見つめる瞳は、未だ迷いながらも、奏に向けてではない憎悪を、揺らめかせていた。
 奏はそれに、既視感を覚えていた。それは例えば、姉を殺した男を思うときに、内に灯るものと似ている。
「捕まえなくてもいい。引きずり出して」
 そう言って、京香は話し出した。
 始め、それに関わったのは京香の方だった。カラオケに行く、雑談をする、といっただけのことで多額のお金がもらえるという、胡散臭い割のいいバイト。売春につながり兼ねないということは判り切っていたから、しばらくは用心していた。しかし何度か繰り返すうちに、大丈夫だろうと、これはこういうものなのだろうと思いはじめていた。
 だから、幼馴染で友人の紀沙も誘った。父親が失業して、お金が必要と知っていたから。
 それが、対象者を絞るための選定と知っていれば、決して、誘うことはなかった。そうと知ったのは、親友が妊娠してしまってからだった。
 京香や紀沙が会っていた男たちのことは、ほとんど知らないと、感情を消したような声で告げる。仲介した生徒を問い詰めても、話しはしなかった。暴力に訴える前に、それ以上やれば全てばらすと言われた。
 京香は、それでもまだましだっただろう。だが紀沙が、引き返すことはできなくなっていた。明るみに出すのは、耐えられない。
 少女たちが高柳と知り合ったのは、高柳が一時手伝っていた産院でのことだという。
「くずちゃんセンセーが言うんだから、嘘はついてないかも知れないけど。あんたのこと、信用したわけじゃない。だけど、もし騙すなら、あたしだけにして。紀沙に何かしたら、絶対赦さない」
 繰り返されるその言葉が、自分に言い聞かせるかのようだった。今度は守るんだと、そんな声が聞こえそうに、必死だった。
 約束すると、傷つけないと、そう、言えればいいのかもしれない。ただ、それだけのことでいいのかもしれない。だが奏には、確証はなかった。
 守ることのできないかもしれない約束は、ただの嘘だ。
「努力する。君たちをこれ以上傷つけないで済むように、できる限りのことはする」
 それだけが、今、奏に誓えることだ。
 仲介人の名を尋ねと、少女の、冷え冷えとした目の向こうでまた、炎が揺らめいた。
「三年の――宮島怜奈」

 相良探偵事務所は、四階建ての建物の三階にある。一階は喫茶店で、二階は会計事務所。四階は、今は空いているが、以前にはイベント会社が入っていた。
 奏は、特に息を切らすこともなく階段を駆け上がると、躊躇もなく薄い扉を開けた。入ってすぐに、年月を経てわずかに黄ばんだ衝立が立っている。これがあるときは、来客者がソファーに座っているということなので、奏では、寸手のところで叫びかけていた声を呑み込んだ。
「太刀葉です、戻りました」
「ああ。奥に資料を置いてあるから、行って読んでおいてくれ」
「はい」
 一旦、行の家に戻って格好を整えていた奏は、それでも勤め人としては楽に過ぎる格好だったが、来客者と義兄に軽く一礼すると、言われた通りに部屋を移った。
 三部屋、小さな給水室も一部屋と数えるなら四部屋の事務所のうち、一室は資料庫、もう一室は道具置き場となっている。
 当然のように資料庫に進んだ奏は、パソコン用のデスクに置かれた茶封筒を手に取った。覗いて見ると弓歌の調書のようなもので、資料は口実ではなかったようだ。
 予想通りと言うべきか、弓歌の身近に、鏡の迷宮で見かけたような人物は見当たらなかった。叔父が一人と、父親が辛うじて当て嵌まらないとも考えられないが、父親は幼年時の骨折が妙に固定されたということで、右足をわずかに引きずる癖がある。また、叔父は長髪ということだ。
 何よりも、付記されている写真が、一瞬とはいえ奏が見た顔とは異なる。
 奏は、溜息をつき、棚に並べられたファイルの背表紙を眺めやった。どれも、これまでに義兄が関わってきた依頼の関係資料をまとめたもので、話を聞いた日の日付が書かれている。
 その中に、今回の件はなかったが、以後の日付は三冊、あった。
「いつの間に・・・」
 抜き取ると、全て、片がついていた。山根木と義兄の手によるもののようだ。奏と行が剣美学園にかかりきりなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
 一体何を企んでるんだよと、そう思いながら軽く瞑った奏の目蓋が開かれたのは、ゆっくりと、ドアノブが回されたからだった。
「義兄さん」
 ぬぅっと姿を現した義兄に、奏は、皮肉気な微笑を向けた。
 ファイルを、義兄に見えるようにして棚に戻す。
 部屋は、長方形になっている。出入り口以外の四面に棚が並べられ、それらに囲まれた中央付近に、パソコンとパソコンディスク、プリンタなどの周辺機器。
 まだ、棚の半分もファイルは詰まっていないが、全て埋まれば、棚を増やして、配置も変えることになるだろう。奏が関わっているものは、その四分の一もないのではないだろうか。
「俺は、いつまで駒なんです? それとも、ずっと、ですか? それならそれでいい。ただ、どちらかははっきりとさせてください」
「奏」
「お探しの、違ったか、俺が探していると思っていた人物は、三年の宮島玲奈だそうですよ。裏は、まだ取っていません」
「・・・そうか」
「驚かないんですね」
 むしろにこやかに言うと、義兄は、一拍ほど置いて、深々と息を吐いた。
「悪かった」
「何に対してですか」
「確かに、お前に言ってないことがある。黙っていて、悪かった」
 肩をすくめて、冷ややかに義兄を見上げる。怒っているはずだが、幾ばくかの期待がなかったと言えば、嘘になるだろう。
 駒として、限られた情報を与えられて動くこと自体は、否定しない。ただし、それを知らされていることが前提でのことだ。気付いてはいたが、言われてはいない。
「全部話すから、戻るぞ。立ってると膝に来るんだ」
「年ですね、所長」
「お前だって、十何年経てばこうなるんだ」
「そのときは、所長はもっと足腰が弱ってるんですね」
「・・・性格悪くなってないか」
「誰の影響でしょうね」
 笑顔を見せると、義兄は、不機嫌そうに背を向けた。そうして、応接室であり本部の隣室に戻ると、自分の机ではなく、来客用のソファーへと腰かけた。
 腕組みをしている様は、餌の保存を目論む熊かのようだが、話す順番を思案しているのだろう。
 奏は、それを邪魔しないよう、そっと対面に腰を下ろした。
「まず、依頼は二件あったんだ。一つは、どうにも被ってきそうだったから、知り合いに聞いて回してもらったんだがな」
「一つは、御劔理事長からののものですね?」
「ああ。その依頼内容については、隠してる事はない。そのままだ」
 裏返せば、それ以外では隠していることがあるということにもなるだろう。奏が頷くと、義兄は、睨むなよ、とぼやくように言って頭を掻いた。
「もう一つの依頼ってのは、宮島玲奈の父親だ。知ってるか、議員の宮島正敏」
「見かけたような覚えはありますが・・・」
「まあ、そんなもんだろう。俺は、実は名前も知らなかった」
「人のことは言えませんが、威張って言うことでもないと思いますよ」
「気にするな。宮島氏の依頼は、娘の身辺を調べろってことだな。よくない相手とでもつきあってるんじゃないか、と思ったらしいけど、実際には、その下をいったわけだ」
 たちの悪い恋人と、売春の斡旋とでは、いささか事情が異なる。そうと知っていれば、玲奈の父は、簡単に興信所のようなところへ調査を頼むことはなかったのではないかと、奏は思った。政治家に、こういったゴシップは命取りだろう。
 しかしそれでは、玲奈が斡旋していたと知って、義兄が驚かなかった理由にはならない。
 続きを待った。
 躊躇うように沈黙が続くのは、言いあぐねているというよりは、反応を窺っているように見える。
「まあ、その、なんだ。宮島玲奈をざっと調べた時点で、売春に関わってるだろうってことは判ってたんだ」
 ちらりと、視線が窺う。ただ見返すと、観念したように息を吐いた。
「隠してる様子がなかったんだ。そりゃあ、いくらか体面を繕ってはいたけど、つつけば簡単にぼろが出るくらいにな。だからこそ逆に、下手をすると、一挙に事が公になると思って、お前に頼んだんだよ」
「何故そこでそんな飛躍した結論にたどり着いたのかを、お尋ねしたいところですね」
「・・・まあ、そう怒るな」
「怒ってませんよ。純粋に、興味の問題です」
「・・・笑顔で怒るなよ・・・」
 居心地が悪そうに目線を逸らす義兄に、しかしにっこりと笑いかける。
 そんな状況であれば、急ぐ必要があるのではないか。準備の整わない警察やマスコミの介入を避けたいが為の、依頼ではないのか。宮島の方はともかく、御劔の方は当初からそう考えているはずだ。
 義兄はまた、深々と息を吐いた。
「俺たちのこれは、ただの仕事だ」
「わかってます」
「頼まれ事をして、それをどうにか及第点までやってのけて、報酬をもらう。ただそれだけの、純然たる仕事だ」
 力を込めて言う。
 それは、逆説的な修飾をするかのようだった。
「でもな。宮島って議員は、秘書を通じてしか知らないが、娘のやってることを知ったら、いいようには動かないと思うんだ。多分」
 思い上がりとは思うけど、それを俺たちでいくらか緩和してやれないかと思って、と言うところは、微妙に声が揺らいでいる。むしろそこで胸を張るべきだろうと、奏はは、胸の内でだけ苦笑した。
 余計なお節介なのだろうが、やれるのなら、そうしたいとは奏も思う。
「それで、どうして、俺が生徒に化けて潜入なんてことにまで飛躍するんですか。しかも、宮島玲奈のクラスに入るわけでもなく」
「同じクラスに入れるつもりだったんだけどな、ちょっとした手違いが。潜入は、だって、他に接しようがないだろ」
「・・・・・・。途中でばれたりしたら、一層厄介なことになると思いますけど。それならまだ、ナンパした方がましじゃないですか」
「だけどなあ。付き合いが冗談でも本気でも、ウリをしてるなんて、簡単に男に話すと思うか? まあだからといって、女友達だから話すってこともないとは思ってるけど」
 結局は、ただの捨て駒か。そう思ったのを察したのか、義兄は、じっと奏の目を覗き込んだ。
「お前なら、なんとかできるかもしれないと思ったんだ」
 ただの言いわけだろうと、切り捨てようとして、そうでなければ、言葉が本当ならいくらかはましなのにという思いがよぎり、口には出さなかった。
 そうして義兄は、一生貫き通す嘘か、すぐにばれる嘘しかつかない。そうでなければ、黙り込む。
 ただ、「なんとか」の内容を聞いたら、「なんとかはなんとかだ」と返されたところが、いまいち説得力に欠けるところだ。
「もう、そのことはいいです。それで、今はどこまで何が判ってるんですか」

「・・・つかれた」
 電気もつけずにベッドに寝転がり、奏は、暗い天井を眺め上げた。
 夕食は、面倒でアジの干物と味噌汁、それにきゅうりの酢の物で済ませた。義兄はまだ帰っていないため、夏雪と二人で食べた。温めるくらいは自分でやるだろうと、机に並べて放置しているが、たまにはいいだろう。
 考えをまとめるときに、暗闇にこもるのは、いつからの癖だっただろう。小学生の低学年の頃は、まだ、闇を恐れていたような気がする。高校に通う頃には既に身についていたから、中学生の頃か。一度、大学のゼミ室でやって、助手の女性を驚かせて、危うく怪我を負わせるところだった。
 そんなことを思い浮かべていた奏は、逃避しているなと、ひそやかに苦笑をこぼした。
『引きずり出して』
 少女の、声が蘇る。昏[クラ]い声音と、眼差し。その願いを叶えることができるだろうかと、自問する。叶えてしまっていいのか、とも。
 少女らに売春をさせる組織などというものは、警察に頼むなり上層部に見捨てさせるなりして、解体させる必要があるだろう。しかし、京香が望んでいるのは、それではない。仕返し、あるいは復讐を。紀沙が傷付いた以上の傷を、負わせる。それは、本来なら敵えるべきではないことだ。
 だが、奏にやめろと言うことができるだろうか。同じことを願った自分に。
『何か話したかったら、電話寄越せ。急患が入らなかったら、相手してやるよ』
 そう言った友人は、今日から数日は、先日急遽抜けた穴埋めと、本来の順番とで夜勤をするらしい。立ち直ったのか、未だ何かを抱えたままなのか、昨夜は何もなかったと言わんばかりの態度からは、読み取ることはできなかった。
 かけようか、と携帯電話を手探って、しかし奏は、今日一日で得た情報をまとめる方が先だなと、小さな電話を握って、再びぼんやりと天井を眺めた。
 警察は、既に動いている。
 それは、日常業務としての売春の取り締まりというわけではなく、組織を追ってということだ。事務所からも、義兄の友人を通じて秘密裏にだが、いくらかの情報提供はしているということだった。そうでなくても、数人の妊娠者や、性病の感染者が現れているのだ。そう長く、野放しになれるはずもなかった。
 その点に関して、京香や紀沙に慎重に接触したことと噛み合わないのだが、把握できている現状としてはそれだ。
 行は、顔写真付の名簿を片端から洗い、関与している生徒を調べ上げているらしい。ただ、入院や休学といったことからしか探せないため、網羅には程遠い。少女たちは、街に立っているというわけでもないため、夜の街を歩いて探し出すということも難しい。
 買い手に回って調べることは、さすがに、足がつきそうで今は控えている。今は、というところが怪しいが、玲奈を押さえられるなら、その必要もなくなるだろう。
 明日も、学校に行くつもりでいる。いつ話をしに行くか、そもそも話をするべきなのか、迷うところだ。義兄たちに、委ねてしまった方がいいのか。
「・・・そんなに、頼りないかな・・・」
 義兄が奏に全てを話さなかったのは、何かを知っていて働きかけるよりも、知らないままに接した方がいいと判じられたからだ。そんなに、嘘がつけないとでも思われているのだろうか。頼りないだろうか。
 答えも見出せずにぼんやりとしていると、光と、ごくわずかな時差を置いて音で、携帯電話が着信を知らせた。着信設定は均一で、暗闇に目を凝らすと、高柳からと知れた。
 自分からかけてくるなんて、と意外に思ったが、とりあえず通話ボタンを押す。
「タ」
『駅前まで行ってくれ、佐々木がいるはずだ』
 焦っているが落ち着いた声に、呼びかける声を飲み込み、一拍置いている間に、体を起こした。
「駅前のどこ」
 聞きながら、携帯電話の明かりで、バイクの鍵と財布を掴み、投げ出していた上着を羽織る。
『宝島の辺りのはずだ。とりあえず、あいつの番号送る。俺もこれからかけるから、判ったらそれも』
「わかった」
『俺も詳しいことはわからねえんだが、高木、あいつの友達。それがまだウリを続けてたって判ったとかで、出てったらしいんだ。かけても出ねえし、頼む』
「ああ」
 無茶をやるあの馬鹿、という声は独り言で、途中で通話が切られた。こんな状況ながら、らしいという伝聞は誰からなのか気にはなったが、それは後でいい。
 二日続いての夜の外出に、リビングでテレビを見ていた夏雪が、驚いたように奏を見遣った。義兄は、まだ帰っていないようだ。
「どうしたの?」
「ちょっと出てくる。義兄さんが帰ったら、電話には出られる状態にしておいてって言って。一人にしてごめん」
「それはいいけど・・・。気をつけてね」
 奏の、高柳から移った焦りを察してか単に夜道を指すのか、とにかく心配そうな夏雪に笑みを見せて、すぐに外へ出る。
 厄介な事態にならなければいいと、十分に傷付いている少女たちを想い、心底願った。


 翌日、奏が登校したのは、二時間目が始まってからのことだった。授業途中で教室に入るつもりもなく、保健室に直行する。
「よお、お疲れ」
「そっちこそ」
「俺のは、自分でやってることだからな。当直しても、ここで眠れるし。・・・ありがとうな」
 軽く返された言葉に続いての、照れくさいのかぎこちない言葉に、奏は、微笑で応えた。
 それにしても昨夜は、めまぐるしかった。京香と紀沙は、ネットカフェ「宝島」の近くで言い合っていたため、簡単に見つけられたのだが、どちらも軽い興奮状態にあり、どう止めに入ったものか、しばらく経ち尽くす羽目となった。
 その後、髪のことなどすっかり忘れていた奏が、カツラを被っていない状態を説明するために、義兄に連絡を取り、保護も兼ねて事務所へと行くことになった。前日に続き車を出してもらい、到着したら、日付けが変わっても延々と話し込み。おかげで今朝は、滅多にない寝坊をした。
 京香の両親が離婚済みで、佐々木は父方の姓だが、今は母と暮らしており、その母親が剣美学園の教師と知ったのも、このときだ。高柳の伝聞先は、彼女らしい。
 一日で大きく変化した状況に、奏は、眩暈のする思いだった。それなのに、対外的に変わったことと言えば、そろそろ本格的に警察の介入がありそうだ、ということくらいだというのだから、少しばかりふてくされたくなる。
 まあ、そういう問題ではないのだが。
「ところで、どうやって野村先生? と知り合ってたんだ? それも病院で?」
 京香の母の名を挙げると、ああ、と、目線を返す。
「先生つながり。中学上がったときか。高柳の家に引き取られて、恥ずかしくないようにって、家庭教師つけられてたんだ、しばらく。それも、大学生じゃなくて、現役教師。全教科。そこまでやるか?」
「ずっと連絡取ってたのか?」
「まさか。佐々木と会って、そのとき偶然な。あいつが俺になついてるみたいだからって、産休の代理に入ってくれないか、ってのは頼まれたけど。半分くらいは本気だったと思うな」
 そんな対応をしたということは、野村は、高柳にとって「いい人」だったのだろう。押し付けられた存在にも拘らず、律儀あるいは大らかな人。授業を受けたことがないので知らないが、奏は、そんな姿を想像した。
 何気なく窓の外を見遣ると、初夏の陽光を、生徒たちが走っていた。
「そろそろ、この仕事も終わるよ」
「ふうん。なんだ、結局一回も、体育に出ないのか。面白くないなあ」
「面白さなんて求めてない。タカは、ここにはいつまで?」
「昨日、赤ちゃん生まれたらしいからなあ。もうしばらくはいるけど、本人が、早々に復帰したいって言ってるらしいぜ。子育てぐらい、ゆっくりやりゃあいいのになあ」
「そうか」
 そこで区切って、その先を続けるかどうか、少し迷う。
 しかし、そんな逡巡も、長くはなかった。自分の一言で動くならある程度そちらに傾いていたことだろうし、そうでないならないで、何もしなかったわけではないという自己満足は得られるわけだ。
「案外、このまま養護教諭続けてもいいんじゃないのか」
「案外って何だ」
「そこに引っかかるなよ。大人しく、医者に収まる必要もないんじゃないかってことだよ」
「へえ、恩義に厚いお前がそんなこと言うなんて」
「厚くないよ。俺は十分、好き勝手やって、恩を仇で返したりもしてる」
 どうだか、と肩をすくめる友人は、いつもと変わらず、ほとんど感情を読み取れない。
「医学や医者が面白いと感じてるのは判るけど、無理に、すぐに帰ることもないだろう、と思うよ。俺は」
 一瞬だけ驚いたかおをして、ふっと、笑う。
 奏は、驚かせるようなことを言っただろうかと首を傾げた。流れから、言おうとしたことなど、既に見抜かれているものと思ったのだが。
 そうして、意地悪げに笑うのは、高校生時分から変わらない。
「心強いお言葉をありがとうよ。もしそのせいで俺が無職になったら、たかりに行くからな」
「安心しろ。種籾くらいなら恵んでやる」
「農家の人か俺は」
 他愛ない軽口は、二時間目の終業を追えるチャイムがなるまで続いた。

 三時間目と四時間目の授業を、奏はきっちりと受けた。
 保健室で、玲奈が登校していることは確認済だ。欠席者の情報は、主に出欠簿を通して職員室に知らされることは勿論だが、保健室にも伝えられる。
 昼休みを待って、隣のクラスに出向いた。奏のクラスよりは遅く終わったらしく、教室を出る行と出喰わした。
「あら」
「どうも。宮島さんはいますか」
「・・・授業は受けていたわ」
「そうですか。ありがとうございます」
 短く言葉を交わし、入れ違いに教室に入ると、玲奈の居所は容易に知れた。正確には、奏をみつけた玲奈が、不思議そうに声をかけてきたのだった。
「たっちー? 誰か捜してる?」
「うん。宮島さんに話があって」
「ボクに?」
 どこかユーモラスに目を見開く少女に、頷きを返す。
 人のいないところがいいと切り出すと、玲奈は、とりあえず友人らしい少女たちに先に食べといて、と声をかけて、先立って歩き始めた。廊下に出てから、その半歩後ろくらいに並ぶ。
「よっぽど大事な話? 人いないところかあ。距離あってもいい? 鐘楼なら、よほどの物好きじゃなかったら、いないと思うけど」
「鐘楼って、敷地の真ん中にある?」
「そうそれ。錆び付いちゃって、鳴らないんだけど。グラウンドの中にあるから出入りは結構目立つし、そんなところ行かなくたって屋上や部室にそこそこくつろげる空間があるから、人はあんまりいないよ。一応、危ないからって出入り禁止だし」
「怒られないの?」
「体育館伝って行けば、案外見えないんだよねえ。休み時間でも人がいるからあんまりそうも思わないけど、今はさすがにいないしね。出るときは、校庭にも人が出てきてるから紛れちゃうし」
 奏の高校時代、早弁をして昼休みは丸々遊ぶ、という一派もいたが、女子高でそれはないらしい。ちなみに、高柳も奏も、まれにそれに混じっていた。
 玲奈の足取りに迷いはなく、奏は、ただそれについて行く。
「そう言えば、宮島さんも生物選択、だよね?」
「どうして?」
 疑問に疑問で返し、見つめ返す瞳は、わずかに硬質の光を放っていた。ただの、思い込みかもしれない。
「教室で見かけた気がしたんだけど。違った?」
「あれ、一緒だったんだ。気付かなかったなあ。声かけてくれたら良かったのに」
「うん。そうだね、今度は声かけるよ」
 言いながら、空々しさには気付かないふりをする。奏が受けた一度目の授業の後、確かに目が合ったはずだ。二度目の時にも、その目の前を通った。
「ねえ、もう学校には慣れた?」
「どうかな。まだ、一週間も経ってないし」
「ああ、そんなものなんだ。前の学校と比べて、どんな感じ?」
 適当に言葉を濁し、答える。なじみつつある転校生に対する、直截な言葉だが、そんな雑談を交わすうちに、校舎から体育館へと移り、そのまま鐘楼内へと移動していた。鍵がかかっていたが、合鍵持ってるんだ、と、得意そうに出され、造作もなく開けられる。
 鐘楼の中は、手入れもあまりされていないらしく、埃が積もっていた。それでも、最近のものと思われる足跡が幾つかある。緩やかに上階を目指す螺旋階段がそのほとんどで、部屋のような区切りがあるにはあるが、外から見た感じでは、申し訳程度の広さしかないだろうと予想された。昔は、小さな文科系クラブの部室だったと、玲奈が解説をしてくれる。
 足を止めるかと思ったが、宮島は、ここでも躊躇いなく、階段に足をかけた。
「一番上まで行くと、顔出せるんだよ。遠くまで見渡せて、結構気晴らしになるんだ。屋根があるから、校舎からも見えにくいみたいだし」
 隠れ家を自慢する、子供のようだった。
 実際、似たようなものなのかもしれない。家以外に長い時間を過ごす場所となれば、そのくらいあっても不思議ではない。たった三年を過ごす場所でも、奏にもあったのだから。
 屋上は、出入り口を中心に、半径二、三メートルといったところだろうか。その縁ぎりぎりを、錆は浮いているものの、奏の肩くらいの高さの鉄柵でぐるりと囲ってある。
 壊れやしないかと恐る恐る、錆びた手すりに手を置いた。
「高いね。ひょっとして、校舎より高い?」
「そうだと思うよ。展望台だよねえ、健在なりし頃は、いいデートスポットだったらしいよ」
「デートって・・・」
 確かここは、女子高だったはずだが。まあ、そういうこともあるのかも知れない。
「話って?」
 ああ、と曖昧に肯く。先送りにしようとしていた事に気付き、奏は、往生際が悪いなと胸の内で呟いた。
 気付いてもやめようとしないところが、尚更に。
「ごめん、やっぱり役者、引き受けられないよ」
「ええっ、今更! だけどもう完璧、投票に持ち込んでもたっちー確定だよ?」
「学校、辞めるから。発表会までいられないんだ」
「え。でもだって、転校して来たのこの間だよね? さっき、一週間経ってないって言ったよね? 実は嘘で、もう古株だったりする?」
 素っ頓狂な驚きように、思わず苦笑いする。しかしそれは、わずかに強張っていた。
 玲奈は目を丸くして、なんとか納得のいく状況を捻り出そうとして、逆にますます、突飛な発想になっていく。その様子が、絵に描いたように「無邪気な女の子」で、今となっては逆に、それに不自然さを感じてしまう。



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