< 人名 >

太刀葉奏(たちは・かなで)  相良夏雪(さがら・かゆき)  相良美幸(さがら・みゆき)
高柳葛生(たかやなぎ・くずう)  更級和弥(さらしな・かずや)  行(ゆき)
御劔弓歌(みつるぎ・ゆみか)  宮島玲奈(みやじま・れな)  金田(かねだ) 久木(ひさき)  佐々木京香(ささき・きょうか)

現在出ている部分まで。今回は、一人しか増えませんでしたが。


 今日の当番の夕食のことを考えて、奏は、冷蔵庫の中身を思い浮かべた。
「わ」
 そこに突然電話が鳴って、思わず声を上げる。一気に跳ね上がった鼓動を宥めて、受話器を取る。
「はい、相良で――」
『更科和弥といいますが、太刀葉奏さんは』
「和弥?」
『え、なんだ、かな? やだなー、口調変えて損した』
 軽い口調に、苦笑が浮かぶ。昨日――正確には、日付を越えていたから今日、別れたばかりの友人の声だ。
「二日酔い、大丈夫だった?」
『あー、うん。お世話をかけました』
「今日は、何か用? 家にかけてくるなんて珍しいね」
 大体は、ラインか携帯電話なのに。そう思って言うと、向こうで呆れたような声が上がった。映像受信型の電話ではないが、そうだったら、声の通りに呆れがおの和弥が見えただろう。
『ケータイにかけて繋がんないから電話したんじゃない。置きっぱなし?』
「あ。うん、そう言えば。ごめん」
 考えてみれば、昨日帰ってきてから、部屋に放置している。掃除の音や庭との出入りに紛れて、呼び出し音も聞こえなかったのだろう。
『いいけどね。結局連絡とれたし』
「ああ、用件は?」
『・・・えっと。ちょっと時間、いい?』
「ん? ああ、どうぞ」
『やー、そうじゃなくってー』
「会うの? いいよ。夕方には、ご飯作らないといけないけど」
『ああ・・・そうだったね』
 ふっと、調子を変える声音。
 姉の葬儀に、和弥も参列してくれていた。三年前のそれが、不意によみがえる。怒りをたぎらせていた自分が、厭に鮮明に。
 それは、懐かしむには近すぎる。
『・・・家、行ってもいい? お線香、上げても』
「――うん。布団干してるし、散らかってるけど。それで良かったら」
『今から行く。お土産、何がいい?』
「いいよ、そんなの」
『じゃあ勝手に決める。日本茶希望。じゃ』
 旧友からの電話を置いた後には、奏の口元には、緩やかな笑みが浮かんでいた。
 そうして、それじゃあ夕食は、冷蔵庫の中身で済ませるかと、改めて献立を考えるのだった。

「あったかい。あっためてくれた?」
 仏壇に手を合わせ、今に移って出されたケーキを頬張り、和弥は首を傾げた。紅茶のカップを抱えたまま、奏は軽く首を振った。
 ちなみに、和弥の持ってきた土産は羊羹だった。
「それ、ほとんど材料混ぜるだけだから。来るまで、一時間くらいはかかると思ったし」
「――作ったの、これ? さっき?」
「うん」
「わー・・・」
 面白いほどに目を丸くして、じっと、混ぜて焼いただけのりんごケーキを見つめる。そうして、まじまじと、奏を見つめた。
「そのまま嫁に行けるよ、かな」
「本当に、混ぜるだけなんだって」
「いやいや。家事全般できるし、おもてなしもできるし。理想の嫁じゃない?」
「専業主夫もいいけど、ふたり分稼いでくれる奥さん探さないと」
 にこりと、奏は微笑み返した。
 それに対して、温かな紅茶のカップで暖をとるように抱え、和弥は、むうと声を漏らす。
「ほんと、かなって手強いなあ」
「何だよ、それ」
「優しいって言うかはぐらかすのがうまいって言うかつかみ所がないって言うか」
「なんだか、酷い言われようだ」
「そう?」
 のどかな会話に、こういう過ごし方も、予定外ではあるがいいだろうと思う。
 昔から、女の子の中でも違和感なく過ごせた奏だが、高校で知り合った和弥は、一際接しやすい。和弥にしても、高柳にしても、高校に行っていなければ出会わなかっただろう友人だ。
 一時は、経済的な負担を考え、飛び級を考えたことがあった。今となってはいささか笑い話じみているが、中学に上がる頃くらいまでは、詰め込めば詰め込むだけ、吸収はできただろう。それを、「やりたいことがあってのことなら応援するけど、そうでないなら、私は反対よ。ただ同じくらいのときに生まれたという理由で一日の大半を一緒に過ごすなんていう、こんなに馬鹿げて貴重な時間はまたとないことなのよ」そう言ってくれた姉に、感謝する。
 得がたいものを、得たという実感がある。
 高柳のときと同じで、話していると時間が引き戻される。久しぶりなのに、それと感じないのは何故だろう。
「ここに来た用件なんだけど」
 しばらく話してから、和弥は口調を改めて言った。このときには、ケーキと紅茶は片付けられ、羊羹と日本茶が並んでいた。食べてばっかだなあと、さっきまで軽口を叩いていた。
「幾つかあるけど、とりあえず・・・美幸さんのこと」
「姉さん?」
 その名を聞くと、まだ、疼くものがある。
 和弥は、奏の微妙な変化を感じ取ったのか、困ったように目線を落とした。
「犯人、知ってる」
「――え?」
「美幸さんの事故。ひき逃げした人、知ってるって」
 何を言っているのかが、よくわからずにいた。和弥の言葉が、聞き取れるのに理解できない。
 三年前の、交通事故。ひき逃げで、目撃者はなく、発見も遅れて死亡した。いや、即死だっただろうか。そのあたりの奏の記憶は、いつもあやふやだ。葬儀の様子も、事件を調べた警官とも話をしたはずなのに、よく覚えていない。
 下手をすれば、夫の義兄や娘の夏雪よりも、奏の方が深く沈んでいた。
 その、犯人。
「聞いた話。だから、違うのかも知れない。見間違えだってことも考えられる」
「――何故、黙っていた」
「わたしは」
「違う。和弥じゃないだろう? 和弥が、隠す必要はない」
 姉を、和弥は慕っていた。あのときに犯人が判っていれば、何をしたかわからないのは、和弥も同じだった。高柳がいなければ実際、揃って無茶をやっていただろう。
 しかし、まるで自分に言い聞かせるような口調になっていた。
「友人――だと思っていたんだって、そのときは。後で、詐欺でやられたって」
「だから、密告する気になった?」
「密告。うん・・・どうだろう。酔ってたから、口が軽くなったんだろうとは思う」
「それで」
「三年。交通事故は沢山あって、ひき逃げだって、そんなに珍しくない。三年が経って、その上、あの人は証言しない、きっと」
 強張った、いやに表情のない顔で、和弥は奏を見つめた。その後ろに見える、開いた窓の向こうの青空が、これ以上ないほどに不似合いに見えた。
 きっと、奏自身似たような表情をしている。
「どうする」
 それが確認なのか、疑問なのか。それさえも、奏には判らなかった。おそらくは、和弥自身にさえも。
 しかし、答えだけは判りきっていた。
「名前は?」

 その夜は、中華になった。結局、和弥を送りがてら、買い物に行くことにした。
「いただきます!」
 土曜も、半日の授業とその後の部活があった夏雪は、嬉しそうに元気良く、箸を動かす。今日は夕食時に間に合った義兄も、負けずに旺盛な食欲を発揮している。
 奏だけが、いささかぼんやりと、機械的にご飯を食べていた。
「明日、何時に行く?」
 一瞬、何を言っているのかわからず戸惑ったが、すぐに、約束をしていたアクアサイドのことだと気付く。そういえば、そんな約束をしていた。
「――開館は?」
「十時」
「おいおい、なんの話だ? 明日、どこかに出かけるのか? 二人で?」
 訝しげというよりも、どこか拗ねたように、義兄が口を挟む。夏雪は、水餃子を小皿に取りながら、こくりと素直に肯いた。しかし、向ける視線はいささか非難がましい。
「アクアサイド。まさかお父さん、明日、お兄ちゃんに仕事させるの?」
「なんだよ、俺だけ仲間はずれか」
 春雨のサラダを箸先でつまみながら、子供っぽく唇を尖らせる。
 夏雪は、それで仕事は入れていないと判断したらしく、一転して、からかうように視線を向けた。炒飯をすくいかけたレンゲを、そのまま置く。
「一緒に行く? ただし、お父さんは自腹ね。タダ券は二枚しかないから」
「酷いなあ、昔はもっと、お父さんお父さんって」
「ないない。昔っからあたし、お兄ちゃんっ子でしょ」
「む」
 二人の会話はからりとしていて、聞いていて微笑ましい。こうやっていると時折、義兄が実際に、自分の父のようにも思えた。もっとも、本当の父と五歳のときに死別し、翌年には姉と義兄が結婚して奏とも一緒に暮らすようになったのだから、あながち間違いでもない。
 能書きがどうであれ、姉が母で義兄が父で姪が妹の、そんな環境で、奏は育ったのだ。
 和弥の話と告げられた名前が、意識せずに頭の中で繰り返される。立証するのには、おそらく、警察は頼れない。いくらかの確実な傍証を持ち込みでもしない限り、動いてはくれないだろう。
 調べよう。
 ただそれを、義兄に相談するかどうか。少し前にも、高柳のことで似たようなことを迷ったと、苦笑いを浮かべそうになる。あのとき以上に、隠す必要はないはずだった。
「夏雪、九時半くらいに出る?」
 中華風スープに手を伸ばして、声をかける。今日の中華系統の献立は、下準備に手間がかかり、その割りにはあまり考えなくてもできるという基準で選んだ。考え事をしたかったが、どっぷりとそれだけに填るのは避けたかったのだ。
 夏雪が、うんと肯く。その隣で義兄が、ひげ面の熊顔を、不満そうに歪める。
「俺は?」
「行くなら、九時半に。行くの?」
「ふん、どうせ明日もお仕事だよ」
「仕事、あるなら俺も手伝うけど」
「えー」
「いやいや、何人かに会うだけだからな。代表で。気にするな、楽しんでこい。土産なんて気を遣わなくていいぞ」
 飄々とした口調に、奏と夏雪は、目を合わせて微笑した。
「何か食べられるもの、買ってくるね」
「あ、それで思い出した。りんごケーキと羊羹、あるけどどっちがいい?」
 食事もほぼ終盤にさしかかり、身軽に、奏は立ち上がった。ヤカンを火にかける。
 もう少し時間を置こう、きっと、まだ冷静には考えられないでいる。そう判断する。そしてその片隅で、幾つかあると言っていたのに、和弥は姉のことしか告げず、他は何を言いたかったのだろうと考えていた。
 食事を続ける姪と義兄は、ケーキと羊羹と、どちらにするか悩んでいるようだった。


「セットの飲み物はコーヒーと紅茶のどちらにされますか?」
「両方とも紅茶でお願いします」
 注文を確認して、青が基調の制服の裾を翻した店員から目を転じ、向かいに座る夏雪を見る。
 姪は、午前中に見て回った水族館エリアの案内図を横に、アトラクションエリアの案内図を開いている。タダ券は、そちらのフリーパスも兼ねていたらしく、海をモチーフにしたらしいこのレストランに入って、さっさと注文を決めてしまうと、熱心に覗き込んでいるのだった。
「それ、家でも見てなかった?」
「だって、折角だし。あれ? ねえ、あれって、お兄ちゃんの友達じゃない? 家、来たことあるよね?」
「え?」
 円形の店の、中央辺りを見る夏雪につられて、体を捻る。ちなみに二人は、水槽を見下ろせる窓際の席に座っていた。
「・・・タカ?」
 高柳の姿を見つけて、目を丸くする。このところ厭というほど顔を合わせていた旧友の向かいには、四十ほどの綺麗な女性が座っていた。
 思わず凝視して、そっと目を逸らす。ここで慌てると、逆に目に付く。
「やっぱりそうなんだ」
「うん。そんなに来たことなかったのに、相変わらず覚えがいいなあ」
「かっこいい人だから」
「・・・見てくれに騙されちゃ駄目だよ、夏雪」
「案外酷いね、お兄ちゃん」
 まじめな顔で言った奏に、夏雪は、小さく吹き出した。
 いつも笑い話に流すが、一時、夏雪が高柳を好きになっても、無理がないかも知れない。
 しかし、ある程度の距離を置いての恋愛でなければ、傷付くのは目に見えている。高柳には、色々と抱える物があるのだ。互いに傷付いて、それでも、付き合っていけるならまだいい。痛みだけ覚えて離れるとしたら――それが、怖い。
 過保護だとは、思う。そして、高柳を悪く思うわけでは、全くない――むしろ。逆ではあるのだが。
「あ」
「ん?」
 身を竦めた夏雪に先を促すと、ごめんと、申し訳なさそうに謝られた。
「あの人と、目が合っちゃった。気付かれたよ、きっと」
「・・・まあ、仕方ないよ。覗き見も悪趣味だしね」
「それもそうか。でも、お兄ちゃんの変装、完璧だったらばれなかったかもね」
「変装って」
「だって変装でしょ、それ」
 黒縁の眼鏡を指して言う。
 奏の視力は、当面のところ補正は必要ないが、学園関係者と遭遇したときに備えての、気休め程度の小道具だ。当然。度は入っていない。
 実際、変装には違いない。眼鏡と、今は脱いでいるが帽子と。それだけでも、いくらか印象は変わる。兄とでも誤魔化せないだろうか。
「ちょっとしたおしゃれ心」
「あたしに洋服選び任せてる時点で、違うのは明らかよね」
 そこに、食事が運ばれてきて一旦会話が途切れた。魚貝類が名物で、二人もそういった料理を選んだのだが、水族館でそれというのも、いささか戯画めいている。
 時間が比較的早いこともあって、空いた席も見られる。
 そんな中で、高柳とその向かいに座る女性は、人目を引いた。二人とも、美男美女とまでは言わないまでも、きれいだ。
 気付いていて睨み付けられるかと、ちらりと二人を見遣ったが、一瞬だけ視線がすれ違って、何事もなく外された。気付かれなかったわけではないだろうから、奏と引き合わせる気はないということだろう。
 それならそれで、後で何か言ってくるか、このままなかったこととして無視を決め込むかだろう。どちらにしても、後日のことだ。ただ、ちらりと見えた女性の横顔が、少し、高柳に似ていた気がした。
「ねえねえ、最初、どれに乗る?」
 早くも思考を切り替えたらしい夏雪に応じて、奏も、二人のことは頭から追いやった。



 

閉じてお戻り下さい
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送