とりあえずわかったことは、この学園はどんな時期であれ編入生に慣れている、ということだった。
今まで転校の経験がないからそれほどわからないものの、転校生が来たことはある。大体転校生は珍しがられて取り囲まれるものだけど、ここではそんなことは全くなかった。
冬休み手前という、どうしようもなく不自然な時期だというのに、誰一人そのあたりを突っ込んでこない。というかそもそも、さほど注目されてない。
まあ、気楽でいい。
「やあ音弥ちゃん、偶然」
折角の平穏を乱してくれる。大体、呼びつけておいて偶然もあったものじゃない。
つい視線を外して、その手前にいる副会長に軽く頭を下げた。この人も大変なんだろうな。自分でそれを買って出たのか押し付けられたのか知らないけど、私ならやりたくないな。
が、今日も大和撫子っぷりを発揮している副会長の、返礼をして書類を見る前の一瞥は。…何か、憐れまれた気がする。
「お呼びしてすみません。書類が抜けていまして」
「そうなんですか」
「ごめんねー、ながりんこれで結構抜けててさあ」
ながりんて誰だ。
いや、状況からすると副会長――なんて名前だったか忘れたけどその人だろうけど、呼ばれたはずの彼女が、冷静を装って顔を引き攣らせている。お気の毒さま。
「…こちらです。冬休みの予定ですね。本来の提出期限は過ぎているので、すみませんが、明日にでも提出してもらえますか? ここか、事務室にお願いします」
「はい」
ところでこの人、学年章からしても私と同い年のはずなのに、この言葉遣い。見習うべきなのか。
まあそんなことはどうでもよくて、ただ、失礼しましたーと生徒会室を後にしたはずだというのに、今日も崩れた感じに学ランを着た生徒会長がついて来た。いらない。
「じゃあねーながりん」
無言。そうして、私にまたあの一瞥。
ああ…何か、憐れまれた理由がわかった気がする。経験者は語る、なのかもしかして。
後ろに当たり前のように生徒会長がついてくる。ついて来なくていい。とは思うけど、言っても面倒なだけだろうから放っておこう。こういうのは、飽きたら勝手に離れていくはずだ。
「どこ行くのー音弥ちゃん」
とりあえず、寮に戻ろう。今もらった書類を見たいし、綾歌さんが部活が終わったら校内を案内してくれるといっていたから、待ち合わせをそっちにしてある。女子寮まではさすがについて来ないだろう。
「転校してきたばっかでまだよくわかんないだろ。案内してあげようか」
「結構です」
「ええー」
実は一通りは夢の中で見ています、とは、さすがに言えるはずがない。
夢。そう、あれは夢のはずなんだけど。
昨夜見た夢。この学校の中を、歩き回った夢。見知らぬ青年と色々と話して、ぶらぶらと校内を見て回った。
青年もこちらにもいると言ったけど、そこまではどうだろう。少なくとも。
「照れるなよ」
「気のせいです」
「っていうかさー、なんで敬語? 俺ら同いだろー?」
「気のせいじゃないですか」
この人ではないだろうなあ。ないといってほしい、誰か。
私はそう思うけど、勝手にくっついてくる生徒会長はそこそこ人気者のようだった。歩いていると挨拶だの何だので声をかけられていて、その度に、あからさまだったりそれとなくだったり、誰だこいつ、といった視線を投げかけられるのが鬱陶しい。
しかも、相談事や雑談で呼び止めたがっている相手をやり過ごしてまでついてくるものだから、いよいよ視線が訝しげになる。
「生徒会長」
「うん? 名前で呼んでいいよ、疾風って」
どうせ教えてくれるなら、下の名前より上を教えてほしい。疾風が苗字…ないだろうなあ、この流れだと。
「ついて来ないでください」
「気のせいじゃない?」
さっき放った言葉をそのまま返され、思わず拳を握り締める。が、ため息一つでそれを押しやる。短気だけど度胸がないおかげで、これまで暴力沙汰を起こさずに生きて来れたのだと思う。
「それじゃあお聞きしますけど、どこに行くつもりですか。答えられないなら生徒会室に戻った方がいいんじゃないですか」
「死神の出そうな空、思い出した?」
ぴたりと、足が止まる。
生徒会長を見ると、にっこりと貼り付けた笑顔の奥で、獲物を見つけたように目を光らせる。つまりあたしは狐に睨まれた兎なのかなと、ふと思う。絶体絶命ではないけど、逃げるのは大変。
だけど、一体何だっていうんだろう。あの夢が、何。昨夜も見たあの夢は――何だろう。
『誰にもはっきりとは言えないけど、だからこれは推測だけど、ここに来てしまうのは、現実では追い切れない何かか時間か何かの足りない何かを持っている人なんだよ』
青年の言葉がよぎる。
仕組みも原理もわからない。ただ、学園の敷地内にいる人がみんな来るわけではなく、それまで来ていなかった人が来るようになったり、その逆もある、と。
つまり生徒会長は、「来る」人なのだろうか。
「何のことですか。失礼します」
きっぱりと、背を向けた。もしもそうだとしても、だからといって馴れ合う必要があるはずがない。
あの青年にしても、探すつもりはなかった。こちらでの「正体」は当然ながら、もしこの先あちらに行くとしても、わざわざ会おうとまでは思わない。別れ際、また、と青年は口にしたが、例え同じ空間にいたとしても、二度目がなくても何も不思議はない。
「音弥ちゃんさー、怖い?」
何も返さず、歩く。生徒会長は止まっている。
「一個だけ言っといたげようか。あそこはあれで結構無茶苦茶だからね。厭な思いをしたくなかったら、姿を変えて、誰も信用しないほうがいいよ。忠告したからね」
「…忠告?」
思わず、呟きが落ちる。
だからあそこは何なんだと、つい振り返りたくなったが、思う壺のような気がしてそのまま前に歩く。ただの夢で、そうでないとしてもただこの学園をうろつき回れるだけのことではないのか。
青年は何も言わなかった――と思ってから、いや信じるのかあれ信じていいのか、と頭の中で回る。
あたしが訊かなかったこともあるけど、あの青年ことはほとんど何も知らない。その言葉を信用していいのか、でもそれなら、誰の言葉なら信用できるんだろう。夢の中での言葉を。
早足でぼんやりと歩いてるうちに、気付けば事務局の前にたどり着いていた。慌てて、背を向ける。
――遅かった。
「どうかされましたか?」
にこりとも笑わない無表情で、八坂さんがわざわざ廊下まで出て来る。
「いえ、何もないですさようなら」
「そうですか。ああ、お友達が出来たようでよかったですね」
皮肉か、と思わず振り返ったものの、顔は何も変わっていない。昨夜の綾歌さんの電話の当てこすりなのかどうかが、さっぱりと読めない。
そういえばあの電話はあそこで切ってしまって、こちらから掛け直すことも八坂さんからの折り返しもなかった。一体、綾歌さんの兄だというこの人は、何を思っただろう。
というか――本当に、兄?
実は違ってたらものすごく恥ずかしい気がする。昨日の電話の調子では、八坂さんの応答は短いものだった。何かしらの行き違いがなかったとも言い切れない。
私には、全く関係のない話だけど。どうだっていい、はず、だけど。
「答えたくなかったら、いいんですけど。昨日の電話…」
そこまで言って、言葉に詰まる。訊いてどうする。
でもやっぱり、遅かった。
「妹がご迷惑でしたら、こちらで対処しますが」
「え」
少なくとも兄妹ではあるらしい。いや、それよりも。
「対処って」
「あの子が私のことで問題を起こしたり、あなたを巻き込んでは申し訳ありませんから。こちらから、話をしておきます」
「そういう…問題?」
「昨日、隣にいたなら聞こえていたでしょう。あの子とは、もう何年も会っていません。今、どういったことになっているのかも知りませんから」
ぷちんと、何かが小さくはじけた気がした。勿論そんなものは気のせいで、堪忍袋の緒だとか我慢の限界だとか理性だとかが、判りやすい形を実際に持っているなんてことはない。
だからこれは、気分の問題。
「八坂さん」
「はい」
「あなたが、新城の父から何をどう頼まれているのかは知りません。きっとそれは、私がどうこう言って変わるようなものじゃないんでしょうけど、昨日、私も間接的には雇い主だと言ってましたよね」
「ええ」
「それなら、私の友人関係をどうこうするのはやめてもらえますか。そのくらい、自分でどうにかできます。綾歌さんがどういう人であっても、私の付き合いであなたに口を出されるのは御免です」
私は、睨みつけていただろう。
それなのに、もしかしたら思い違いかもしれないけど、ほんの一瞬、ふっと、八坂さんは笑った。無表情では、なくなった。
――また、やらかした?
腹を立てたことが気恥ずかしくなって、慌てて目を逸らす。真っ直ぐに見ていたことさえ、その時になって気付いた。
「それじゃあ、失礼しましたっ」
「音弥さん、すみません、お願いしてもいいですか」
「…は?」
慌てて踵を返しかけた体が、中途半端に止まる。八坂さんは、やはり穏やかな無表情をしている。
「アヤ…綾歌に、メールアドレスも伝えておいてもらえますか。音弥さんにお渡しした携帯電話に登録されています。私用に契約したものなので、職権濫用ではありませんよ」
「はあ」
何を言っていいものやらわからず、立ち尽くしているうちに、会釈と言葉を残して事務局に消えていく。
しばらくして私も、寮へと向かった。まだ綾歌さんとの約束に余裕はあるが、予想外に時間を取られてしまった。
部屋に戻ると、ほとんど手のついていない荷物の片付けにかかる。
昨日は結局ろくに整理ができなくて、先に送っていた一箱の段ボール箱は未開封のままだ。寝巻きや筆記用具は持って来たカバンに入れていた。私物の一部はまだ母と暮らした家にあって、処分されないうちに回収しないととは思うけど、果たして実現するだろうか。最悪、諦めるしかない。
ふと思い出して、カバンを探る。それは、ボストンバックの外側についているポケットに入っていた。
必要を感じずに持たずにいた携帯電話。黒くて薄いそれは、うっかりと壊しそうで少し怖い。
「…説明書は?」
もう一度カバンを探るが、本体と充電器以外見当たらない。誰でも使えると思うなよ、と呟くが、おそるおそると開いて、いじってみれば何となく使い方が判るから、一応私も現代っ子だったんだなあ、と妙な気分になる。
開いた電話帳には、八坂さんの電話番号が二つ、メールアドレスも二つ。電話番号はひとつが固定電話のようで、一体どこに繋がるのか。仮説一、新城の会社。二、ここの事務局。まあどっちにしてもかけることはないだろう。メールアドレスは片方は携帯電話で、片方はおそらくパソコン。
他にも、新城宗佑と――後にしてきた実家の番号と携帯電話の番号が、母の名で登録されていた。
あとは、先日紹介された弁護士の名前。
「必要なさそうやなあ、これ。タダちゃうやろうに」
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