三章

「あの・・・・」

「何?」

 どこか思い詰めたように、ゆかりが一旦閉じた口を開く。前を行く彰が、後ろ向きに歩きながら首を傾げる。持っている棒は、アサリ売りの天秤のようにして持っている。ゆかりは、少しためらったが、恥ずかしげに彰を見た。

「空、飛べないんですね」

「空?」

 セイギや真理からも不思議そうに見つめられ、ゆかりは顔を赤くした。言葉がもつれる。

「いえ、あの、だって・・・、幽霊ってふわふわ浮かんでるイメージ、あるじゃないですか」

「そう? あんまりよく知らないけど・・・」

 真理が首を傾げる。怪談など、むしろ馬鹿にしていた方なので、何の考えも持っていなかった。性格が性格なので、ゆかりなど、生きていればほとんど相手にしなかったかもしれない。そうやって考えると、本当に不思議な状況だった。

「少しだけ、憧れてたんです。飛べたらいいなって。厭な事全部忘れて、空飛べたら気持ちいいだろうなあって」

「『翼をください』みたいだね」

「私、あの歌あんまり好きじゃないわ」

 翼を持つというのは、天使のような状態を指すのか、鳥になるのか。授業で習って以来、何か違和感を憶えていた。

「だって、翼があるからってどうなるの? 確かに、空を飛べたら気持ちいいかもしれない。でも、それだけでしょ? 飛べたからって、何も変わらないじゃない」

 ゆかりが、何かくちごもって俯く。

 何も、ゆかりに反発したいわけではない。ただ単に、疑問に思ったのだ。空を飛んで厭なことを忘れたところで、再び地に立てば思い出すだろう。では、ずっと飛び続けるというのか。そんなことができるとも思えない。

 少し飛ぶだけであれば、それは「逃げ」とどう違うのだろう。

「ねえねえ」

 不意に、彰が口を開く。歩き続けながら、四人がそちらを見る。

「こんな話知ってる?」

 あるところに、ある神様の熱心な信者がいました。ところがある日、その信者は山賊に襲われて、身包み剥がされてしまいました。ところがその人は、命からがら逃げ込んだ宿屋でこう言いました。

 ――「神様のおかげで命が助かった!」

「この話を聞いて、どう思う?」

 終始淡々と言葉を紡ぎ、口を閉じた。外見に似合わない大人びた笑みが、その口元に浮かぶ。

 不意に真理は、彰の年齢が気になった。この外見だが、実際に過ごしてきた年月はどれほどのものなのだろう。そして  死んだ自分たちは、彰のようにずっと留まるのだろうか。それは、辛くはないのだろうか  。 「神様を称えた話、ですか? 聖書みたいな・・・」

 自信なさげに、ゆかりが言う。その顔が、最後に別れを言った従兄妹に重なった。少し、辛い。

「そうか? 神様なんて出てきてないじゃないか」

「え? あ・・・」

「俺には、神なんていないんだって話に聞こえるなあ」

「私も」

 ゆかりが、怯えるように真理を見た。なにもゆかり自身が嫌いなわけでも、その考えを全否定するつもりでもないのだが、どうも、対立する位置にいるらしい。 

 真理は微苦笑した。

「神様がいるなら、そんなふうに考えられるくらいに熱心なんだから、始めから盗賊になんて遭遇させなかったんじゃないの? もし遭遇しても、何も盗らせないだろうし」

 そうかもしれない。でも、だったら。神様を信じる信者は、ただの愚者なのだろうか。信じる者が救われることは、ないのだろうか。

「仮にそれを試練だとかって言うなら、俺は要らないな、そんな神様。――で?」

 セイギが、彰を見る。彰は無言で、可愛らしく小首を傾げて見せた。無邪気な笑顔を浮かべる。

 逆にセイギは、深深と息を吐く。

「またかよ」

「また?」

「彰の悪い癖。何か意味ありげな話をして、考えさせて、で、答は言わない。なんかこう、ずーっと残って、気持ち悪いんだよなー。また引っかかっちまった」

 あーあ、と言って首を振るセイギを見ながら、ゆかりと真理は呆然としていた。何か、真剣に考えていたのが馬鹿らしいような、かといって、ただ冗談や気まぐれと言いきることはできないような。セイギが言うように、奇妙な居心地の悪さが残る。

「ロクダイは? どう思った?」

 彰が、ひとり前を行くロクダイに声をかける。ロクダイは、音もなく散る桜に目を細めた。

「・・・その信者は幸せじゃな」

 三人が、意表を突かれてどこか間抜けな表情になる。ロクダイは淡々と歩きながら、言葉を続けた。

「傍から見てどんな状態でも、例え神がおってもおらんでも、その時のそ奴は幸せじゃろうよ」

「・・うん」

 頷いた彰の表情は、陰になっていて見えなかった。

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