二章

 一歩、真理に近付く。真理は、あとずさろうとして椅子に躓いた。勢いで、倒れるように椅子に座る。

 明らかに怯える真理を見て、セイギは、一瞬淋しそうに笑った。 

「ここに来た理由は?」

「レポートで喫茶店経営について、調べなきゃいけなかったのよ。だから、たまたま入っただけ」

「・・・ここまで、どうやって来たか覚えてるか?」

「歩いてきたわ」

「そうじゃなくて、道。どの道を通って来たかとか、覚えてるか?」

 虚勢を張って答えていた真理は、この質問には答えられなかった。

 思い出そうとしても、思い出せない。いつものように、部活用の鞄を持って家を出たところまではちゃんと思い出せる。だが、その先がない。家を出て少し歩いたところから、猫屋の扉を開けるところまでが、直結でもしているかのようだ。

 そこまで思い出して、不意に気付く。レポートのためのメモなんて、鞄には入れていない。そもそも、レポートは既に提出したはずだ。だが、レポートのために・・・。

 突然、額に冷たい感触がした。セイギが、熱をみるように真理の額に手を乗せている。真理は反射的に振り払おうとしたが、出来なかった。

「目、閉じて」

「ちょっと・・」

「閉じて」

 有無を言わさぬ口調に、渋々眼を閉じる。部屋にいる全員が自分を見ているのを感じたが、真理は、不思議と何も感じなかった。いつもであれば、怒って席を立っていただろう。

 だがすぐに、そんな事を考える余裕はなくなった。鮮明な映像が、浮かびあがる。

 道。車。赤。

「――――――うそ」

 声がかすれた。それどころか、真理は自分が声を出した事にも気付いていなかった。

 蒼褪めて、膝のスカートを握り締める。

 冗談だと言い切れたら、どんなに良いか。嘘だと言って、このまま店を飛び出せたらどんなに良いか。だが、何故か真理は、それが事実だと確信していた。

 頭に浮かんだ映像は、思い出した自分の事故現場だった。

「何、やったの・・今」

 自分の手の甲を見ながら、真理はようやくそれだけを言った。喉が渇いているが、紅茶を飲む事も出来ない。

 セイギは、彰やロクダイと目を見交わして、小さく肩を竦めた。

「悪い。今のはちょっと荒療治だった。まだ・・・慣れてないんだ。ごめん」

 言葉を切って、セイギは自分の手を見た。

「あんたの・・・」

「清瀬真理」

「・・真理の、記憶を呼び起こした。忘れるために作ってた壁を、無理矢理壊したんだよ。機動隊が占領された銀行に、扉突き破って入るみたいなもんだ」

「何よ、それ」

 真理は、笑いたくなった。ついさっき自分が否定したものが、それ以上になって目の前にある。夏の怪奇特集みたいだ。嘘臭くて、笑える。

 だが、笑えなかった。

 顔が強張って、吐き捨てるような言葉しか出てこない。まあいつもこんなものだと、そんな事まで考える。

「えーっと、詳しく説明していこうか。セイギ、お茶」

 彰が言うと、セイギは、一旦全てのカップを片付けて、新しいカップに新しく紅茶を注いだ。また、湯気が上がる。ロクダイも、避難させたテーブルを真理とセイギの座っていたテーブルに近付ける。丸テーブルだから、雪だるまのようになっている。

 再び、全員が椅子に座った。その間、真理もゆかりも何も言わない。彰は、紅茶を一口飲んだ。

「折角だから、飲んだら? 冷めちゃうよ。今のところ、温度もちゃんと感じられるんだし。あ。猫舌とか? だったら、まあ好き好きだけどね」

「何よ・・・冗談じゃないわよ! 人事だからって、そんな風に言わないでよ!」

「そんな風にって?」

 カップを持ったまま、彰が小首を傾げる。ゆかりは、怯えたようにそんな二人を見ていた。ロクダイとセイギが何もしようとしないから、余計に体を縮めている。

「人事は人事だし、勝手に心境推測して、同情とかされて嬉しい? あたしは厭だからしない。どう思ったところで事実は変わらないし、説明する内容だって変わらないんだしね。ずっと緊張して聞くより、ちゃんと落ちついて聞いた方が聞きやすいだろうし、あたしも話しやすいってだけなんだけど」

 淡々と言って、彰はもう一口、紅茶を飲んだ。真理は、何も言わない。

 唐突に、真理は自分のカップを取って、それを飲み干した。そして、大きく息を吐く。ゆかりが、それを呆気にとられてみていた。すかさず、セイギが空のカップに新しいお茶を注ぐ。

「悪かったわ。もうちょっと、諦めが良いと思ってたんだけど。往生際が悪いわね、私も。それで?」

 何も言わずに、彰は苦笑した。ゆかりが安心したように息を吐いて、紅茶に口をつける。さっきとは違う種類らしく、さわやかな味がした。

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