一章

「いらっしゃいませ」

「失礼しました」

 間を置いて発された言葉に、更に間を置いて、真理は言った。

「わっ、なんで俺見て帰るんだよっ」

 はじめの言葉とともに立ちあがっていた男は、真っ白のフリルがたっぷりとついたエプロンをしていた。これを見て回れ右したっておかしくない。というよりも、しない方がおかしい。

 だが、真理が戸を閉めるよりも早く、男がその腕を捕まえていた。

「失礼だぞ、今の」

「・・・大声出すわよ」

 怯んで手が緩んだ。だが、振りきって行こうとしたら、今度は制服のスカートの裾を掴まれた。

「変態!」

「俺じゃない!」

「そうそう。セイギって、案外まともだから」

「案外って・・・」

 壁に寄りかかって落ち込む男。白いエプロンが異様だ。手は、真理から完全に離れている。  

 真理は、スカートを掴む子供を見やって溜息をついた。幼児よりはましとはいえ、どうにも子供は苦手だ。

「手、離してくれない?」

「でも、離したら帰っちゃうんでしょ? だったら離さない。外に出ると危ないよ」

「あのねえ・・・」

 これだから、子供は苦手なのだ。本人にだけしか解らない理屈を押し通して、話が通じない。

 それでもどうにか解らせようとして、何気なくその子供の眼を見た真理は、思わず息を呑んだ。何かを見透かされたような気がした。

 ここでようやく、店に二人の客と思しき人がいる事、スカートを掴んでいる子供が、白エプロンはしていないものの、男と同じ格好をしている事に気付いた。そして店内の飾りは、不気味なものばかりだ。

「何、ここ・・・」

「喫茶店兼雑貨屋及び何でも屋『月夜の猫屋』略して『猫屋』に、ようこそ。あたし、ウェイトレス兼店員及び所長の彰っていいます。どうぞ、店内へ」

 彰という少女は、そう言ってにっこりと笑った。

 真理は、一瞬浮かんできた「狐に騙される」という言葉を打ち消し、頭を抱えたくなった。どうやら、真っ当な客商売とは思えない、妙な店に踏み込んでしまったようだ。

 なんだか疲れて、どうでも良くなってしまった。促されるままに、椅子に座る。そこは、先客の隣のテーブルだった。

「セイギ。お茶追加」

 彰の呼びかけに応えて、フリルエプロンの男が店の奥に消える。彰は、ごゆっくりどうぞ、という、今の真理には嫌味にしか聞こえない言葉を残して、隣のテーブルに移った。

 隣のテーブルに座っているのは、滅多に見掛けない着物姿の若い男と、ぼんやりとした中学生くらいの少女だった。

 真理は、溜息をついてメニューを取った。見ると、サボテンドリンクや熊の手の蒸し焼きといった、珍妙なものが多い。本当に営業許可が取ってあるのかさえ疑わしい。

「どうして、こんなところに来たのかしら」

 己の不運を嘆く。まともな喫茶店なら、他にいくらでもあっただろうのに。何故自分は、こんないかにも怪しげな、探しながら歩いていても見落としてしまいそうなところにやって来たのか。

 そもそも、政経のレポートが悪いのだ。高校の授業で営業について書かせるなんて、どうかしている。

 そして真理は、深深と溜息をついた。

「お待ちどうさま」

 見ると、セイギとかいう男が、紅茶とパイを載せたお盆を手に立っていた。フリルエプロンはつけたままだ。

「・・・たのんでないわよ」 

「きいてないからな」

 どう頑張っても、相性の悪い相手というのはいる。もしかしてこれがそうだろうかと、真理は思った。

 男は、ふてくされたような顔をした。

「いいんだよ、これは。金取るわけじゃないから。安心して食べろ」

「安心して食べられるかは別だけど・・・まあ、お金取らないのは本当だよ」

「彰、どういう意味だ?」

「そのままの意味」

 じゃれ合う二人を見て、パイと紅茶を見る。二人分あるのは、男もここで食べるつもりだからだろうか。一体何がどうなっているのか、さっぱり解らない。

 だが、考えるのに疲れた真理は、紅茶のカップに手を伸ばした。もう、どうでもいい。喉も渇いている。

「・・・・・おいしい」

「だろ?」

 セイギが、真理を見て顔を輝かせる。今までの態度との落差と、セイギが人並み以上にかっこいいことに気付いてしまい、言葉に詰まる。不意打ちだ。

 だが、セイギはそんな事に気付きもせず、笑顔のまま真理の向かいの椅子に座った。

「パイの方も食べてみてくれよ。自信作なんだ、それ」

 尻尾があったら、間違いなく振っているだろう。期待の眼差しを向けられながら、真理は、フォークを口に運んだ。

「・・・不味い?」  

 パイを一口食べたまま何も言わない真理に、セイギが哀しそうに訊く。だが、真理はゆっくりとセイギを見ただけだった。

「これ、あなたが作ったの?」

「うん」

 不安そうに頷く。そうすると、真理と同年代に見えるのに、もっと幼いような気がする。更に言えば、子犬のようだ。

「美味しいわ」

「やった! 聞いたか!」

 セイギが勝ち誇って振り向くと、隣のテーブルでは、彰達が何食わぬかおでパイを食べている。真理が食べて何も言わなかった時点で、手が伸びていたようだ。

 散々味は大丈夫かと言われたセイギは、腑に落ちないながらも、嬉しそうだった。

「おかわり、あるからな。紅茶もパイも」

「・・ねえ、怒ってないの?」

「何を?」

「だって、さっき・・・」

「ああ、これ?」

 座ったまま、エプロンの裾を手にとって広げる。その様子は、やっぱり変だ。

 それを自覚しているのかいないのか、セイギは苦笑した。

「はじめに帰ろうとしたのって、これのせいだろ? まあ、慣れたし。彰、この格好どう思う?」

「ばっちり」

「ロクダイは?」

「似合っておるよ」

「ゆかりちゃんは?」

「かわいい、と思いますけど・・・」

「な?」

 再び唖然としている真理に目を戻して、セイギは言った。楽しそうなのだが、やけになっているようにもとれる。

「自分の意見が一般論とは限らないってこと、覚えておいた方が良いぜ。それに俺の場合、現に似合ってるんだから」

「・・・・本気?」

 もう馬鹿にする気はないが、それでも訊きたくなってしまう。本気だとすれば、真理の感覚では受け入れられない。

「まあ、半分。毎日似合ってるとか言われたら、そんな気にもなるって。俺も最初、これ見せられたときは逃げようかと思ったけど」

「どういうこと?」

「これはあいつらの手製で、折角作ったのにとか、苦労を無駄にしやがってとかずーっと言われてみろ」

 とすれば、元凶は隣のテーブルの人々のようだ。では、服装の違う二人も客ではないのだろうか。

 真理は、溜息をついた。考えることに疲れたのに、どうもこの店は、謎が多くてつい考えてしまう。そして、何故か居心地が良いとも思い始めているのだった。

「で、あんたは何の用でここに?」

「え?」

「違った?」

「・・・いえ、違ってないわ」

 目的を忘れていた。レポートのために来ていたはずなのに。メモ帳を取り出そうとして、真理は持ってきていないことに気付いた。

 それどころか、財布も鞄もない。部活で学校に行った帰りにここに寄ったのではなかったか。

「違う・・・」

 学校からも家からも離れた、こんなところに来る意味がない。喫茶店なら、家の近くにもある。

 何かがおかしい。こみ上げる不安を、どうすれば追い払えるだろう。理屈だった説明をするには、何かが欠けている。

「大丈夫か?」

 セイギが、こちらを見ている。心配しているようで、だが、どこか醒めている。

「焦らなくていいから」

 優しく、まるで小さい子にするかのように、真理の頭に手を置く。

「ほら、紅茶。温まるよ」

 渡されたカップを、抱えるように持つ。真理は、自分が混乱して、酷く怯えている事に気付いた。その反面、苛々してもいる。

 何かが、気にかかる。

「そっちからはじめよう」

 真理から目を転じて、セイギが言った。隣のテーブルで、彰と着物姿の男が頷くのが見えた。

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