「いらっしゃいませ」
二十歳くらいの、黒と白の服がよく似合った青年が、微笑み掛ける。対人恐怖症のきらいがあるゆかりは、思わずまたドアを閉めそうになった。さっき一度、そうやって逃げ出したばかりだというのに。
「いらっしゃい。どうぞ。お好きなところにお座りください」
ゆかりよりも年下、小学生くらいに見える子が、そう言って店内を示す。青年と同じ服を来ているからには、ここの店員なのだろう。
――小学生が?
だが、それで落ちつく事が出来た。近くの、古い、骨董品の部類に入りそうな椅子に座って店内を見る。
どこから仕入れるのか見当もつかないような小物が、所狭しと並んでいる。勾玉や十字架はともかく、何時の、何処のものか判らないような地球儀や、写真でしか見た事のない昔の織機、その他名前も知らないものが山ほどある。値札が貼ってあるということは、まさか売り物なのだろうか。
次に青年を見て、慌てて目を逸らした。ちょっとしたモデルや芸能人では太刀打ちできないだろう。ゆかりが今まで生きてきた中で、美形、という形容が唯一当て嵌まるかもしれない。
もう一人いた店員は、どこかへ姿を消してしまった。小学生くらいに見えたが、ここで働いているらしい事からすると、実はゆかりよりも年上かもしれない。男の子だろうか、女の子だろうか。年齢は置いておくとしても、外見には、子供特有の中性さがあった。
そこまで考えて、ゆかりは首を振った。そんな事を考えてる場合じゃない。水の入ったコップを持ってきた青年に、顔を見ないようにしながら、なんとか声を出す。
「あの・・・・・。私、その・・・・」
「はい?」
優しい声で、訊き返す。この人は自分の言葉を待っているんだ、と思うと、余計に焦ってしまう。
「あの、ここ、月夜の猫屋・・ですよね。なんでも屋をしてるって・・・看板、書いてありましたよね・・・」
言っているうちに、自信がなくなってくる。本当にそうだっただろうか。見間違えたり、店そのものを間違えてはいないだろうか。いや、何度も確かめた。しかし、こんな訊き方では相手も気味悪がるのではないか 。
意を決して顔を上げるのと元気な声が飛び出すのは、ほぼ同時だった。
「はい。喫茶店兼雑貨屋及び何でも屋、『月夜の猫屋』略して『猫屋』は、世界中探してもここだけだと思います。何でも屋に御用ですか? 塵拾いから思い出探しに山狩り協力、なんでも承っております。あ。あたし、ウェイトレス兼店員及び所長の、彰っていいます。こっちは、ウェイター兼店長及び平所員のロクダイ」
「征[ススム]です」
「以後、お見知り置きを」
呆気にとられて見つめるゆかりの目の前で、彰という少女が、綺麗にお辞儀をして見せた。淀み無い台詞と、きびきびとした動き。映画かドラマの撮影かと、そんな馬鹿なことを考えてしまう。
頭を上げた彰は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。ゆかりは、やはりそれをぼうっと見ていた。
「何かご質問でも?」
「どうして・・ロクダイ、さん、なんですか・・・・?」
言って、我に返る。咄嗟に、自分が何を言ったのか思い出せない。そもそも、彰の言った事すべてを把握できてもいない。
彰は、一瞬驚いたようなかおをして、やはり笑顔になった。ロクダイと呼ばれ、征と名乗った青年も、微笑を浮かべている。
「それは、どうしてロクダイが自分で名乗った名前と違うのか、ということ?」
「渾名[あだな]ですよ」
ゆかりが頷いたか頷かないかのうちに、ロクダイが言った。優しい、微笑を含んだ声だ。二十歳くらいにしか見えないのに、もっと長い間生きているかのような。祖父の声に似ていると、ゆかりは何故か思った。
「今となっては、誰も本名で呼んでくれませんがね。ちゃんと覚えているかも怪しい」
「うん。忘れてた」
間を置かず、あっさりと言い放つ。
そんなやり取りが面白くて、ゆかりは少し笑った。その一方で、おかしなお店だとも思う。店内の装飾もだが、店員が。
だが、厭ではない。
「はい、そこまで」
そう言って、高校生くらいの青年が、片手にティーカップと湯気の上がるポットの載ったお盆、片手に飴色に光るパイを載せたお盆を載せて、彰とロクダイの間に割って入った。次いで、お盆を丁寧にゆかりのいるテーブルに載せる。
美形ではないが、十分にもてるだろう青年は、ゆかりに人懐っこい笑顔を向けた。フリル付きエプロンをつけたままだが、ゆかりにはあまり気にならなかった。色々とあって、感覚が麻痺しているのかもしれない。それ以前に、似合っている。
「いらっしゃい。甘いものは平気?」
「・・・・え? あ、えっ、は、はい」
「それじゃあ、試作品だけどお茶請けに」
丸いパイが切り分けられて、湯気を立てる。中身は、全体的にオレンジ色をしていた。
不意に、彰が慌てたように声をあげる。
「あ。セイギ、それって・・・」
「長い話になるんだからさ。折角できたてなんだし。ちゃんと二人の分もあるって」
「そういう問題じゃないんだけどなあ・・・」
深深と溜息をつき、彰がゆかりの向かいの椅子に座る。パイをそれぞれのお皿に載せて並べたセイギは、続いて紅茶を注ぎ始めた。
それを、ゆかりはやはり呆然と見ていた。これは、自分の常識が通用しないというよりは、世間一般の常識から外れているのではないだろうか。
選択を間違えた気がするが、少なくとも悪い人たちには見えないから、取り敢えずはこのままでもいいだろう。
「あ。そうだ。これはセイギ。コック兼店員及び平所員だよ。本名は・・・何だった?」
「正義[マサヨシ]! 勝手に渾名付けて、定着させるなよな。自分は変な渾名なんてないくせに」
「だって、そっちの方が呼びやすいんだもん。渾名だってことは覚えてたんだから、まだいいでしょ。それに、文句言うならセイギもあたしに渾名つければいいじゃない」
「お前、自分の名前が呼びやすいこと知っててそういうこと言ってるだろ」
「あはははは」
「あ、あの・・・」
「はい?」
いい匂いの立ち込める店内で、話についていけずに声を出したゆかりを、二人が見る。ただそれだけなのだが、何を言えばいいのかが判らなくなってしまう。
先が続かないでいると、二人が視線を見交わしたのが判った。呆れられる、変だと思われると思うと、益々言葉が出ない。
だが、二人の反応は違った。いたずらが見つかったかのような、決まり悪そうなかおになる。
「ごめんごめん、話逸れちゃった」
「パイ、好きなだけ食べていいよ。紅茶も、おかわりあるから」
「いや、セイギ」
「なんだよ」
「まず自分で毒見するべきだと思うんだけど」
「何ぃ? ――悪い、また脱線」
しかられた子犬のように、うなだれる。その横で、彰が困惑したように頭を掻いていた。つい、かわいいなあと思ってしまったが、彰はともかく、おそらく年上で男であるセイギに対してかわいいは失礼かな、と少し反省する。
いつの間にか、自己嫌悪の混ざった焦りは消えていた。
「ええと・・・あの、ロクダイさん、は・・・・?」
「あれ。ロクダイ?」
「俺が来たときはいたぜ?」
「うん。パイ切ってるときも」
二人で首を傾げて、揃って手を叩く。
「着替えに行ったのか」
「だね」
「どういうことですか?」
「ほら、あれ」
彰が指差したので振り返ると、白と黒の制服ではなく縦縞の着流しを着たロクダイが、店の扉を閉めるところだった。
「隣も、あたしたちが借りてるんだよ。そっちに着替えに行ってたんだ」
「じゃあ、俺もエプロン・・・」
「お前さんはまだ仕事中じゃろう」
「うわ、ずる」
「ずるいというのは、やるべき事をやらなかった場合じゃ。わしは、自分のやる事はやっておるよ」
「また、セイギの負けだね」
「ちぇっ」
セイギが背もたれに体を預けて天井を仰ぎ見て、ロクダイが椅子に座る。彰は、それを楽しそうに見ていた。
いつも、こんな風なのだろうか。
三人のやり取りが心地いい。どういった関係にあるのか見当もつかないが、とても仲が良いということは判る。良いなあと、ゆかりは思った。自分にも、こんな友達がいれば 。
「それで、話はもうきいておるのか?」
「あ」
「まだだよ。ロクダイが来るの待ってたから」
「ほう、そうか」
笑みをやり取りする二人を、セイギが呆れたように眺める。
「性格悪・・・」
「何か言った?」
「何か言ったかのう?」
小さな呟きにも拘わらず、二人はしっかりと聞いていた。笑っているのだが、何か言い知れぬ圧迫感がある。その為か、セイギは一生懸命に頭を振っている。
そして不意に、ゆかりの方を向いた。
「何も言ってないよな、・・・えっと・・・」
「橘ゆかり、です」
「ゆかりちゃん。俺、何も言ってないよな?」
親しげに名前を呼ばれたのが恥ずかしくて、だが、声が必死なために、小さく頷いて、そのまま俯いた。
床は、土足で上がる割にはきれいだった。
「まあ、そういうことにしとこうか」
「話が進まんしのう」
「話を聞かせてもらえる?」
彰の声の調子が、微妙に変わった。ゆっくりと顔を上げると、三人がゆかりを待っている。
本当は、何も言わなくても全て知っているのではないかと、不意に思った。少なくとも、ちゃんと話を聞いてくれそうだ。
「あなたが、ここに来た理由を」
彰が促す。ゆかりは、それに無意識のうちに頷いていた。
ここに来た理由。
ここに来なければならなかった理由。
駅のホームに走り込んでくる電車が、頭をよぎる。
「私・・・」
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