一章

「いらっしゃいませ」

 二十歳くらいの、黒と白の服がよく似合った青年が、微笑み掛ける。対人恐怖症のきらいがあるゆかりは、思わずまたドアを閉めそうになった。さっき一度、そうやって逃げ出したばかりだというのに。

「いらっしゃい。どうぞ。お好きなところにお座りください」

 ゆかりよりも年下、小学生くらいに見える子が、そう言って店内を示す。青年と同じ服を来ているからには、ここの店員なのだろう。

 ――小学生が?

 だが、それで落ちつく事が出来た。近くの、古い、骨董品の部類に入りそうな椅子に座って店内を見る。

 どこから仕入れるのか見当もつかないような小物が、所狭しと並んでいる。勾玉や十字架はともかく、何時の、何処のものか判らないような地球儀や、写真でしか見た事のない昔の織機、その他名前も知らないものが山ほどある。値札が貼ってあるということは、まさか売り物なのだろうか。

 次に青年を見て、慌てて目を逸らした。ちょっとしたモデルや芸能人では太刀打ちできないだろう。ゆかりが今まで生きてきた中で、美形、という形容が唯一当て嵌まるかもしれない。

 もう一人いた店員は、どこかへ姿を消してしまった。小学生くらいに見えたが、ここで働いているらしい事からすると、実はゆかりよりも年上かもしれない。男の子だろうか、女の子だろうか。年齢は置いておくとしても、外見には、子供特有の中性さがあった。

 そこまで考えて、ゆかりは首を振った。そんな事を考えてる場合じゃない。水の入ったコップを持ってきた青年に、顔を見ないようにしながら、なんとか声を出す。

「あの・・・・・。私、その・・・・」

「はい?」

 優しい声で、訊き返す。この人は自分の言葉を待っているんだ、と思うと、余計に焦ってしまう。

「あの、ここ、月夜の猫屋・・ですよね。なんでも屋をしてるって・・・看板、書いてありましたよね・・・」

 言っているうちに、自信がなくなってくる。本当にそうだっただろうか。見間違えたり、店そのものを間違えてはいないだろうか。いや、何度も確かめた。しかし、こんな訊き方では相手も気味悪がるのではないか  。

 意を決して顔を上げるのと元気な声が飛び出すのは、ほぼ同時だった。

「はい。喫茶店兼雑貨屋及び何でも屋、『月夜の猫屋』略して『猫屋』は、世界中探してもここだけだと思います。何でも屋に御用ですか? 塵拾いから思い出探しに山狩り協力、なんでも承っております。あ。あたし、ウェイトレス兼店員及び所長の、彰っていいます。こっちは、ウェイター兼店長及び平所員のロクダイ」

「征[ススム]です」

「以後、お見知り置きを」

 呆気にとられて見つめるゆかりの目の前で、彰という少女が、綺麗にお辞儀をして見せた。淀み無い台詞と、きびきびとした動き。映画かドラマの撮影かと、そんな馬鹿なことを考えてしまう。

 頭を上げた彰は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。ゆかりは、やはりそれをぼうっと見ていた。

「何かご質問でも?」

「どうして・・ロクダイ、さん、なんですか・・・・?」

 言って、我に返る。咄嗟に、自分が何を言ったのか思い出せない。そもそも、彰の言った事すべてを把握できてもいない。

 彰は、一瞬驚いたようなかおをして、やはり笑顔になった。ロクダイと呼ばれ、征と名乗った青年も、微笑を浮かべている。

「それは、どうしてロクダイが自分で名乗った名前と違うのか、ということ?」

「渾名[あだな]ですよ」

 ゆかりが頷いたか頷かないかのうちに、ロクダイが言った。優しい、微笑を含んだ声だ。二十歳くらいにしか見えないのに、もっと長い間生きているかのような。祖父の声に似ていると、ゆかりは何故か思った。

「今となっては、誰も本名で呼んでくれませんがね。ちゃんと覚えているかも怪しい」

「うん。忘れてた」

 間を置かず、あっさりと言い放つ。

 そんなやり取りが面白くて、ゆかりは少し笑った。その一方で、おかしなお店だとも思う。店内の装飾もだが、店員が。

 だが、厭ではない。

「はい、そこまで」

 そう言って、高校生くらいの青年が、片手にティーカップと湯気の上がるポットの載ったお盆、片手に飴色に光るパイを載せたお盆を載せて、彰とロクダイの間に割って入った。次いで、お盆を丁寧にゆかりのいるテーブルに載せる。

 美形ではないが、十分にもてるだろう青年は、ゆかりに人懐っこい笑顔を向けた。フリル付きエプロンをつけたままだが、ゆかりにはあまり気にならなかった。色々とあって、感覚が麻痺しているのかもしれない。それ以前に、似合っている。

「いらっしゃい。甘いものは平気?」

「・・・・え? あ、えっ、は、はい」

「それじゃあ、試作品だけどお茶請けに」

 丸いパイが切り分けられて、湯気を立てる。中身は、全体的にオレンジ色をしていた。

 不意に、彰が慌てたように声をあげる。

「あ。セイギ、それって・・・」

「長い話になるんだからさ。折角できたてなんだし。ちゃんと二人の分もあるって」

「そういう問題じゃないんだけどなあ・・・」

 深深と溜息をつき、彰がゆかりの向かいの椅子に座る。パイをそれぞれのお皿に載せて並べたセイギは、続いて紅茶を注ぎ始めた。

 それを、ゆかりはやはり呆然と見ていた。これは、自分の常識が通用しないというよりは、世間一般の常識から外れているのではないだろうか。

 選択を間違えた気がするが、少なくとも悪い人たちには見えないから、取り敢えずはこのままでもいいだろう。

「あ。そうだ。これはセイギ。コック兼店員及び平所員だよ。本名は・・・何だった?」

「正義[マサヨシ]! 勝手に渾名付けて、定着させるなよな。自分は変な渾名なんてないくせに」

「だって、そっちの方が呼びやすいんだもん。渾名だってことは覚えてたんだから、まだいいでしょ。それに、文句言うならセイギもあたしに渾名つければいいじゃない」

「お前、自分の名前が呼びやすいこと知っててそういうこと言ってるだろ」

「あはははは」

「あ、あの・・・」

「はい?」

 いい匂いの立ち込める店内で、話についていけずに声を出したゆかりを、二人が見る。ただそれだけなのだが、何を言えばいいのかが判らなくなってしまう。

 先が続かないでいると、二人が視線を見交わしたのが判った。呆れられる、変だと思われると思うと、益々言葉が出ない。

 だが、二人の反応は違った。いたずらが見つかったかのような、決まり悪そうなかおになる。

「ごめんごめん、話逸れちゃった」

「パイ、好きなだけ食べていいよ。紅茶も、おかわりあるから」

「いや、セイギ」

「なんだよ」 

「まず自分で毒見するべきだと思うんだけど」

「何ぃ? ――悪い、また脱線」

 しかられた子犬のように、うなだれる。その横で、彰が困惑したように頭を掻いていた。つい、かわいいなあと思ってしまったが、彰はともかく、おそらく年上で男であるセイギに対してかわいいは失礼かな、と少し反省する。

 いつの間にか、自己嫌悪の混ざった焦りは消えていた。

「ええと・・・あの、ロクダイさん、は・・・・?」

「あれ。ロクダイ?」

「俺が来たときはいたぜ?」

「うん。パイ切ってるときも」

 二人で首を傾げて、揃って手を叩く。

「着替えに行ったのか」

「だね」

「どういうことですか?」

「ほら、あれ」

 彰が指差したので振り返ると、白と黒の制服ではなく縦縞の着流しを着たロクダイが、店の扉を閉めるところだった。

「隣も、あたしたちが借りてるんだよ。そっちに着替えに行ってたんだ」

「じゃあ、俺もエプロン・・・」

「お前さんはまだ仕事中じゃろう」

「うわ、ずる」

「ずるいというのは、やるべき事をやらなかった場合じゃ。わしは、自分のやる事はやっておるよ」

「また、セイギの負けだね」

「ちぇっ」

 セイギが背もたれに体を預けて天井を仰ぎ見て、ロクダイが椅子に座る。彰は、それを楽しそうに見ていた。

 いつも、こんな風なのだろうか。

 三人のやり取りが心地いい。どういった関係にあるのか見当もつかないが、とても仲が良いということは判る。良いなあと、ゆかりは思った。自分にも、こんな友達がいれば  。  

「それで、話はもうきいておるのか?」

「あ」

「まだだよ。ロクダイが来るの待ってたから」

「ほう、そうか」

 笑みをやり取りする二人を、セイギが呆れたように眺める。

「性格悪・・・」

「何か言った?」

「何か言ったかのう?」

 小さな呟きにも拘わらず、二人はしっかりと聞いていた。笑っているのだが、何か言い知れぬ圧迫感がある。その為か、セイギは一生懸命に頭を振っている。

 そして不意に、ゆかりの方を向いた。

「何も言ってないよな、・・・えっと・・・」

「橘ゆかり、です」

「ゆかりちゃん。俺、何も言ってないよな?」

 親しげに名前を呼ばれたのが恥ずかしくて、だが、声が必死なために、小さく頷いて、そのまま俯いた。

 床は、土足で上がる割にはきれいだった。

「まあ、そういうことにしとこうか」

「話が進まんしのう」

「話を聞かせてもらえる?」

 彰の声の調子が、微妙に変わった。ゆっくりと顔を上げると、三人がゆかりを待っている。

 本当は、何も言わなくても全て知っているのではないかと、不意に思った。少なくとも、ちゃんと話を聞いてくれそうだ。

「あなたが、ここに来た理由を」

 彰が促す。ゆかりは、それに無意識のうちに頷いていた。

 ここに来た理由。

 ここに来なければならなかった理由。

 駅のホームに走り込んでくる電車が、頭をよぎる。

「私・・・」

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