「やだっ、何なのよ、この蟻みたいな奴等っ!」
わめく幸の指の先には、黒で統一された服を着た一団が立っていた。全員が銃や刀などの武器を持っており、一般的神経では、到底「蟻」などと言い表せる代物ではない。
「その例えは蟻に失礼ですよ」
そう、のんびりとたしなめる戒の近くでは、空が一生懸命にどこが蟻と似ているのかを考えている。
だが、その緊張感のなさに呆れているのは、陸だけだった。戻は元からそんなことは気にしていないし、幸の言う「蟻軍団」は、戸惑っているか怒っているかのどちらかだった。熱い日差しの草原での出会いは、どちらにとってもあまり楽しいものではなさそうだ。
炎色の髪の空を筆頭に色とりどりの一行に比べ、「蟻軍団」は黒一色だった。御丁寧に、黒の帽子まで被っている。
「そ、そんなことを言っていられるのも今のうちだ。やれっ!」
「あ! わかった!」
一団の指揮官らしい人物が後方で顔を朱に染めて叫んだのと同時に、空が声をあげた。
「真っ黒で群れてるから、『蟻軍団』なんだ。わかったよ、幸」
嬉々として言う彼女には、現在の状況など眼中に無い。ただ素直に、疑問が解けたことを喜んでいる。その為、激怒している人物がいることにも全く気付いていなかった。
「なっ!」
「じゃあ、あれはタコ将軍だな。赤い茹で蛸だ」
「地上を闊歩するタコと人並みの大きさの蟻が相手なんて、嫌ね。同じ弱いなら、まだ人間相手の方がましだわ」
開き直った陸の言葉を引き継ぎ、幸が嫌味たっぷりに言う。今や、五人を囲む一団は、明らかに殺気立っていた。
「いい加減にしろ! 後で後悔しても知らんからな!」
その言葉をきっかけに、黒服の一団が五人に飛びかかる。それなりに洗練されてはいるのだが、一行の敵ではなかった。
一人頭五人をのしながらも、会話は続く。
「ねえ、後悔って後にするから後悔なんじゃないの?」
「言われてみればそうねぇ」
「頭痛が痛い、と一緒ですね」
「魚類に人語を自在に操ることを求めても仕方ないだろう」
戻が冷然と言い終える頃には、他称「タコ将軍」以外は地に伏していた。ようやく、形成不利になったことに気付いた彼が後ろを向くと、紫の瞳と目が合った。
「後ろにいりゃ安全だなんて、短絡なんだよ。バーカ」
青ざめた顔を持つ巨体が、ゆっくりと傾いだ。
* * *
ようやく見つけた洞窟をのぞき、陸は嫌そうな声を漏らした。陸が急に立ち止まった為にその背中に激突した空は、打った顔をおさえている。そこに、怪訝そうに幸が近付いてきた。
「何やってるのよ、とっとと入りなさいよ。暑いんだか・・・・・あ」
「入りたいなら行ってこいよ。俺はやめとく」
「あたしだって嫌よ。面倒じゃない」
「何が?」
「そうだ、空! あんた行きなさい! 好きでしょ、こういうの」
そう言って、幸は陸の後ろにいた空を押し出した。
洞窟の中では、明らかに傭兵と判る男たちが武器を手にしてこちらを睨んでいた。戦い慣れていると判る傭兵たちは、既に戦闘準備を整えている。洞窟は、思っていたよりも広いようだ。
そこに放りこまれた空は、興味津々に軍人たちを見回すと、目のあった一人に無邪気に笑いかけた。
「おじさんたち、ここで何してるの?」
その一言に、陸と幸を含む一同が絶句する。
「こんな子供を殺す為だけに、俺達は雇われたのか!」
「なめられたもんだな、ええ?」
怒気が渦巻く洞窟で、傭兵たちは怒りのままに武器空に向けた。それから行動に移るまで、ほとんど時差はなかった。
だが、それらの銃弾、剣、棒などが空に――空達に当たることはなかった。空は、陸と幸を安全なところへ押しのけると、攻撃の全てをかわし、防ぐ。
「こう云う事なら、手加減なんて必要ないよね」
弾むようなそれは、明るい宣戦布告だった。
* * *
周りは、一面緑だった。明るい萌黄色、青磁色、くすんだ常葉色、海松色・・・。数え切れないほどの緑が、その覇を競い、また、引き立て合っている。
それを、八つの瞳がみつめていた。六つまでが忌々しげに睨みつけ、残る二つが、冷たく刺すように。ただ、黄金色の瞳だけが、楽しそうにその中を行き交っていた。
「おい戻、どうやったらここから出れんだよ」
「何故俺に聞く」
「知らねェのか」
「さあな」
「・・二人とも、良く飽きないわよね。さっきから似たようなやりとりばっかり」
「同感です。よほど気が合うんでしょうね」
幸と戒が溜息交じりに言葉を交わす間にも、陸と戻は益々険悪になっていた。しかし、さっきから何度も繰り返される光景の為、誰も止めようともしない。
「お前のせいでこんなことになってんだろ!」
「俺がやったことではない。何度もいったはずだが、覚えていないようだな」
「じゃあ、誰がやってんだよ」
「知るか」
今にも掴みかかりそうな陸と冷ややかに見る戻の間に空が割って入ったところまで、同じだった。だが、台詞は違う。
「ねえ、お腹すいた」
じいっと、黄金色の瞳が見上げる。それは、魔力を秘めているかのように妖しく、美しい。
「ごはんー」
駄々をこねるような声に、二人ははっとした。こういう時、妖の性質を思い知らされる。妖の武器は、ちからだけではないのだ。
「そろそろ休みましょうか。もうすぐ日も暮れますし」
戒の声をきっかけに、それぞれが、今や決まりきった役割を果たすべく動き出す。幸が寝る場所を作り、戻が焚き火を作り、陸と戒が料理をする。空は、料理が出来上がるまで周囲の散策に出かける。これは単にやることがないからなのだが、時々は何か食べ物を見つけて来たりもする。いつのまにか、そんな分担が出来ていた。
気を削がれた陸は、空の赤い髪を軽くかき回すと、「お前、飯減らすぞ」と悔し紛れの一言を投げかけ、次いで、戻に視線を転じる。
「また、後で訊くからな」
「何度訊かれても、覚えのないものは答えようがない」
「それじゃねーよ。この旅のこと。あれだけのやつらが雇われてんだ、何かあるんだろ。いっつもはぐらかされてきたけど、今日こそ言ってもらうぜ」
「・・・ああ」
素っ気無く言って、戒の集めた木切れに術で火を灯す。そして、いつもとは違って、空の後を追った。
「あいつ、何しに行ったんだ」
「得体の知れない森では、いくら空ちゃんでも危険かも知れませんから」
悪戯をするかのように、戒が応える。陸は、一瞬表情に困った。
「ほんと、気遣ってはいるのよね。そういうのを表に出すのは苦手みたいだけど」
「昔からそういうところがありましたよ」
「でしょうね。あんなもの、一朝一夕でなるものじゃないわ。それにしてもここ、変なところね。緑はあるのに生き物は全然いないし」
「生えているものも無差別ですね。赤松、杉、桐、槐、竹・・・・」
幸と戒の会話を聞きながら、陸はぼんやりと今の状況を考えていた。
陸は、母に捨てられた。父のことは全く知らない。母のことにしても、空色の長い髪しか知らない。それも、陰口のようか会話を偶然耳にしただけだ。捨てらた時、陸は自分ではまともに歩けないほどに幼かった。
あの時、母は泣いていただろうか。自分を、捨てたとき。
その後旅団に拾われ、物心着いた時には雑用で走りまわっていた。やがて、先祖に水妖がいたのかある程度までなら水を操れることが判明してからは、見世物小屋に売られ、そこで生き延びてきた。物好きな金持ちにでも売られなかっただけ、ましと言えるかもしれない。
いつまでも続くかに思えた生活は、戒に出会ってから一変した。きちんとした衣服、食事、人並みの扱い・・・・。あこがれることさえやめたそれを、与えてくれた。その際、色々と揉めはしたが、今思うと有り難かった。
そして、彼らに出会う。
変な奴らだ、と思う。どこがというわけではなくて、強いていうならば、『すべてが』。互いにそう気が合うわけでもないのに、側にいて邪魔にならない。そんな奴らの中に自分がいると思うと、妙に可笑しかった。同時に、恐くもある。この旅が始って、たった三月程だ。それなのに、ふとした瞬間に、居心地よく思っている自分に気付く。このまま、ここに居ることに慣れてしまったら。それが恐い。
大切なものを造ってしまったら、そこから離れられなくなる。自分がそれを大切にしてもいいのか ここにいてもいいのかと、怯えてしまう。陸にとってそれは、今よりも弱くなる事を指す。
「ちょっと、陸」
「・・・・ん?」
「鍋吹いてるわよ」
幸の指摘に手元を見る。焦げてはいないようだから、出来上がっているのを確認して、鍋を火から下ろす。すると、タイミング良く空たちが帰ってきた。毎度の事ながら、これには感心する。
「ごはんだ!」
小躍りせんばかりに喜ぶ空を無視して、戻は焚き火の近くに腰を下ろした。赤い炎が、秀麗な顔を照らしている。自分には無い物を沢山持っている戻を、陸は無言で見ていた。
食事の後、戻は言った通りに説明を始めた。そのほとんどが、陸の質問に対しての返答だった。
自分が漢稀の皇弟であること。公的、内的、実情と三重になった現状と、それでも、半ば宛てもなく皇奏国に行くのだということ。妨害は、「兄」の命によるものだろうということ。
そのうち軍が出てくるかもな、と淡々と言い放つ。だが、采のことは口にしなかった。まだ言えない。まだ、言うことなんて出来ない。
「何だよそれ。お前、ばかじゃねーの?」
「そうかも知れないな」
「あれもやだこれもやだって、ガキみてー。そんなことに、俺達を巻き込むなよ」
「俺は誰にもついて来いなんて言ってない。お前が勝手についてきてるんだろう。帰りたいなら帰れば良い」
陸は、帰るところもないのに、と言われたような気がして逆上した。それが思い込みであることをどこかで自覚しながらも、止めることは出来なかった。
「何なんだよ、お前は。必要ないなら最初から言えよ! なんでそんなに・・・っ!」
「陸君、落ち着きなさい。思いつきだけの軽率な発言では、何も得るものはありませんよ」
戒のいつもと変わらない柔和な笑みの奥にある冷たい瞳に、寒気がした。
――結局、大切なのは戻なんだ。
そんなことくらい、判っていた。判っていた。だけど。
これ以上この場にいたくなくて踵を返した陸の服の袖が、小さく引かれた。下から、黄金の瞳がじっと見上げる。
「行っちゃ駄目だよ」
空の台詞を待っていたかのようなタイミングで、黒っぽい布地に銀の刺繍のある軍服を着込んだ少年が現れた。服に合わせたかのように暗い、しかし澄んだ蒼の瞳が、一同を冷たく映し出す。
「お話中のところ、お邪魔します。貴方達は逃げることは出来ません。大人しく投降して下さい」
何の感情も込められず、ただ告げられるだけの言葉。
空の言葉とこの少年の出現に毒気を抜かれた陸は、憮然とその場に座り込んだ。それを視界の端に留めながら、幸が口を開く。
「あんた何? 突然出てきて、何言ってるのよ」
「将来有望な士官が、護衛も連れずにこんなところに来て良いのか」
面白くもなさそうに、戻が言う。台詞を無視された幸は、戻を睨み、諦めたのか陸に倣って座り込んだ。
「貴方と違って、僕には幾らでも後方援護がいます。心配していただかなくても結構です。もう一度言いますが、貴方達に逃げ道はありません。怪我をしないうちに投降した方が身のためです。僕も、無駄な労力は使いたくありません」
「戻さん。これは漢稀の・・・・」
「ああ。閑な軍人のお出ましだ」
戻が、口の端に冷笑を浮かべる。凍りついたかのような少年の表情が一瞬だけ揺らぎ、すぐに消えた。
「どこが逃げ道がないって? お前の味方なんか、すぐにのせるぜ」
どの程度かは判らないものの、陸が言う。決して強がりではなかったし、陸としては少年も何もかも無視してここを立ち去りたかったのだが、今だ空に服の裾を強く握られているし、全てを捨てるには、まだ少し、未練があった。
「投降してください」
「って、無視かよ」
少年の相手は、あくまで戻だった。
戻は、更に機嫌を悪くした陸を視線の端に留めながら、少年を見返した。
「従う気はない。これで満足か?」
「・・・・判りました。これからも、その意志は変わりませんか」
「ああ」
疑問ではなく確認の台詞に、戻が苦笑をもらす。それを見た少年は、戻から顔を背け、静かに歩き出した。
「大口叩いといて、何もしないの?」
「貴方達がここを無事に出られたら、その時には容赦はしません。もう少し時間を与えます。その間に、よく考えておいてください。――無駄だとは思いますが」
挑発する幸に目も向けずに、それだけ言って少年は立ち去った。最後の台詞だけが、わずかに感情を宿していた。後を追いかけた戒を、戻が眼で止める。
「折角時間をくれたんだ。ありがたく使わせてもらえば良い」
戒が、目を伏せて座りなおす。
「あの人の言ったこと、本当だよ」
不意に、誰にとも無く空が口を開いた。
「あたし達が簡単にはここから出られないように仕掛けをしてるし、もしここを出たら遠慮無く攻撃してくる。普通の人にしては、上出来の策」
「空?」
「ここは大きな檻だから。安全だけど、何も無い」
口調は全く変わらないのに、違う。
「だから――早く別のとこに行こうよ。何にもなくてつまんないよ、ここ」
唐突に、いつもの様子に戻った。明らかに行動と考えとが一致していて、「元気」な気を発している「いつも」に。今も、言いながら陸の服を適当に引っ張っている。
四人ともが唖然としていることに、気付く様子もない。
「今夜くらいは我慢出来るだろう。明日の朝には出発する。今日は大人しく寝ろ」
「うん」
ようやく発した戻の一言に、何の疑いも持たずに眠りにつく。
顔を見合せた他の三人は、小さく息を吐いた。
「・・・僕達も、寝ますか」
「そうね・・」
「なんか疲れた、俺」
呟き、各自適当に寝転ぶ。それを見た戻の顔に苦笑が浮かんだことを、誰一人として知るものはいなかった。
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