からりと晴れた空は、遠く高い。

 もっとも、そう感じるのはただの感傷かもしれない。十数年を過ごした国を出るのははじめてのことで、また、戻って来られるのかも判らない。

 それ故の感傷かと、瞬戻 [ シュンレイ ] は、半ば人事のように考えた。

 が、それも長くは続かない。

「あっ、いいにおい!」

 弾んだ声とともに、鮮烈な赤い髪が揺れた。黄金キン色の瞳も、嬉しそうに細められる。

 そして、子ども特有の棒のような細い体の少女は、身軽に駆け出して行ってしまった。

「行っちゃったわよ?」

「行ってしまいましたよ?」

 ゆるやかに波打つ金髪の女性と、長い黒髪の青年と。碧と紅の二対の瞳に見つめられ、戻は訝しげに、見返した。

「何故俺に言う」

「だって、 [ クウ ] は戻の担当でしょ?」

「何故」

「僕もそう思ってました」

 意外そうな碧の瞳の持ち主―― [ サチ ] と、含みありげににこやかに笑む明戒 [ メイカイ ] とに見つめられ、戻は知らず、苦々しげな顔つきになっていた。

 あの少女、空は、十前半の見かけよりもいささか幼い言動も目立つ。だから、保護者――と言うよりは責任者が、時折必要となる。

 この寄せ集めの一行の中でそれを求めれば、はじめに出会い、旅の同行を許した戻にお鉢が回ってくるのは、当然と言えば当然のことだった。

 しかし戻とて、十代後半という年齢は措いても、一人立ちしていると言っていいのか迷うところだ。それなのに、他人の面倒まで見られるのかははなはだ心もとない。それならばまだ、一番の年長者の戒の方が相応しいのではないかとは、思うものの口には出せない。

 そんなうちに、空の走って行ったあたりで悲鳴が上がった。

「またか」

 うんざりと吐き捨てたのは、一人、所在なげにいた青年だった。瑠璃色の髪をした琉陸 [ リュウリク ] は、三人からは距離を置いている。

「人がいたんですね」

「空が食べ物のにおいでもかぎつけたんだから、集落くらいあるわよ」

 戒と幸のやり取りに促されたように、一向は足を速めた。

 黒髪黒目の戻や金髪碧眼の幸はともかく、髪や瞳に人にはない色を持つ残りの三人は、見ただけで悲鳴を上げられ、怯えられることも少なくない。

 彼らは、人と妖の間に生まれた妖人 [ ヨウジン ] であり、人と同じ姿でいながら、時には、 [ あやかし ] をも凌ぐ力を持つ者もある。だから恐れるのはわからなくもないが、人を喰らっていた妖の幸は人と思い込むのだから、どうにも馬鹿げた話だ。

 ところが予想に反し、たどり着いた彼らが目にしたのは、空にしきりと礼を述べる少女の姿だった。

「どうした」

「レイ」

 現れた一行、とりわけ戒や陸に怯えた様子を見せる少女と打って変わって、空は、明らかに安堵の色を見せた。

「おっきな鳥みたいなのがいて、困ってるみたいだからむこう行ってもらったんだけど、何かまだあるらしくて」

「よろしければ、僕たちにも話してもらえますか?」

「あ…。あの、お礼に、うちに来てください」

 戒がちらりと戻を見て、戻がわずかに肩をすくめる。

 にこりと、戒は笑顔を形作った。

「ご迷惑でなければ、お伺いします」

「アタシ、用意してきます、 [ むら ] の真ん中です」

 言い置いて、少女は逃げるように走って行った。転ばないのかな、と少しだけ空が心配する。

 置き去りにされた籠を戻が拾い上げてみると、摘まれた香草が入っていた。

「怯えられながら家に来いって、気持ち悪いわね」

「本当は、招きたくなんてないんでしょう」

「じゃあ、どうして?」

「空ちゃんが言っていたでしょう。頼みたいことがあるんですよ、妖人に」

「そこまでわかってて、どうしてのるのよ?」

 幸が、理解し難いとばかりに顔をしかめる。やはり離れて立つ陸も怪訝そうで、戒は、にっこりと微笑んだ。

「この先の食料や薬もですが、防寒着や武器もほしいですからね。どの道、立ち寄る必要があるんですよ」

 妖人が頼みとされるのならば、要件はまず妖絡みだろう。ならば、労働代わりに、全てを邑人に負担させられるかもしれない、と続くだろう言葉は、戻だけが予測した。

 商家の主人だった戒は、そのあたり、抜け目がない。


*  *  *


 その妖の「巣穴」は、洞窟ということだった。

 うっそうと茂る緑に覆われたような入り口には、むすりとした陸、ご機嫌の空、いささか苦々しげな戻が立っていた。戻と陸が同世代ということもあり、後姿だけであれば、友人同士とおまけ一人が、探検に来た様に見えなくもない。

「ごはん、おいしかったね」

 一人元気な空が、先程の昼食を思い出して無邪気にはしゃぐ。二人からの反応はないのだが、珍しいことでもない。

 借り物の棒を振るい、いかにも楽しげだ。依頼されたことをどう理解しているのかはわからないが、一人、今にも洞窟内に駆け込みかねない。

「空、ちょっと待て」 

「うん?」

 手招きされて素直に近付いた空の、頭に嵌められた金の環を、戻は外した。

 元々戻の、と言うよりもその養父のものだったのだが、今では空が [ ] めているのが当たり前のようになっていた。その為か、驚きながらも寂しそうにした空に、戻は微苦笑した。

「すぐ返す。術をかけるだけだ」

「ジュツ?」

「よく、勝手にいなくなるからな」

 言いながら、戻の手は、金環に嵌められた、欠片のような宝石にあてられている。呟くような文言を唱えると、再び空の頭へと戻した。

「はぐれたときには、俺の名を呼べ。そうすれば、お前の位置が判る」

「すぐに来てくれるの?」

「いや…すぐは無理だ」

「え? ぽんって、目の前に出てきてくれるんじゃないの?」

「…俺には無理だ」

「そうなの?」

 きょとんと、空が首を傾げる。それができたら、伝説や神話の神仙並だ、とは知らないのだろう。

 続けて戻は、二人から離れていた陸に、指環を投げ放った。反射的に難なく受け止めた陸は、むっと顔をしかめる。手のひらに青い石のついた指輪を載せ、戻を睨みつける。

「これ、戒のじゃねーか」

「ああ、借りた。後で返しておいてくれ。用法は空のものと同じだ」

「呼ぶかよ」

 吐き捨てながらも突き返さないのは、戒に返すためだろうか。戻にはひたすらに反抗する陸だが、戒には、世話になっていたからか、多少は打ち解けている。

 陸の反応は気にせず、行こうかと空に声をかけようとした戻は、隣に既に、その姿のないことに気づいた。

 深深と、溜息が落ちた。


*  *  *


「やっぱり、あたしも行けばよかった」

 座敷に軟禁された体の幸は、そうこぼした。

 空らと共にした食事は既に下げられているが、いつでもつまめるようにと、干し杏や炒り豆などは盛られている。もてなしと言うよりは、機嫌取り。幸は、それらをうんざりと見遣った。

 装われた平穏が、気に喰わない。空たちは死闘を繰り広げているかもしれないというのに、安穏と据え置かれた現状が腹立たしい。

 どこに行っていたものか、座敷に戻ってきた戒を、幸は八つ当たり気味に睨みつけた。

「どこ行ってたのよ」

 だが戒は、柔らかな笑みを崩そうともしない。それが一層、怒りを煽る。

「何を怒ってるんですか?」

「何って、決まってるじゃない。どうしてあたしが、人質に残らなくちゃならないのよ」

「幸さんが一番、弱そうに見えたんでしょうね。空ちゃんは、使えると実証されていますからね。僕も残るのは、避けたかったようですけど」

 助けた娘に教えられた家は長のもので、そして案の定、近頃村にやってくるという妖の退治を頼まれた。そして、村も心配だからこちらにも誰か残ってくれまいかとの言葉に、幸が選ばれてしまった。

 無論、最終的には力ずくで、断ることはできただろう。それでなくても、幸の本性をばらせばどんな顔をするかと思ったが、戒にやんわりと阻まれ、あまつさえ、戒自身も残るということで話は決まってしまった。

 おかげで、五人でいるときよりもまとまりなく見える三人を、見送る羽目になったのだ。

「大体、妖人がいいって言うなら、戻が残るべきだったじゃない」

「幸さん。陸君と戻さん、どう思いますか?」

「どう、って…仲悪いわよね」

 予想もしなかった質問に毒気を抜かれ、素直に応える。あの二人は、犬猿の仲とは言わないが、仲良しとも断じて言えない。

 質問の意図が掴めず戸惑う幸に、戒は杏を勧めた。

「陸君は半ば意地で反発しているだけで、戻さんは歩み寄りをしないだけなんです。もう少し、打ち解けようがあると思うんですけどね。似た者同士の分、他に人がいると逃げてしまって」

 まるで子どもを持った親だと、幸は嘆息した。

「それじゃあ、空にも残ってもらった方がよかったんじゃない?」

「年下の子がいる方が、協力の仕方もあるんじゃないですか?」

「そんなものかしら?」

 そういえば空は何歳なのだろうと、年齢不詳の自分を措いて、幸は杏をかじった。

 話は済んだと思ったのか、戒が一声かけ、また部屋を出て行ってしまう。一体、どこで何をやっているのか。

 杏の甘酸っぱさを感じながら、幸は、行儀悪くごろりと仰向けになった。

「とにかく、早く戻ってきてくれないかしら」


*  *  *


 洞窟の中は真っ暗だった。

 それは予想通りで、だからこそ明かりも用意しておいたのだが、空の姿がない。

「明かりもないのに、何故突っ走るんだあいつは…」

「イヤなら、首輪でもつけてりゃいーだろ」

「できるわけがないだろう」

「へえ、なんで? 妖人なんて、お前らにとっちゃ、変わったペットぐらいのもんじゃねーの?」

 何故こんなことになっているんだと、苛立ちを胸の奥で押しつぶし、戻は陸を睨みつけた。

 妖人というだけで見世物になっていたというから、ひねくれるのは判らないでもない。だが、突っかかってくるのがほぼ自分限定というところが、戻には苛立たしい。勿論それは、戻だけが一行の中で「人」だからなのだろうが、己の無力さを羨ましがられるようで腹が立つ。

 今までは受け流してきたが、この状況出まで難癖をつけてくる陸に、戻は、いい加減にうんざりとした。

「己の不幸を威張り散らしたいなら、他でやれ。そんな気分じゃない」

「っ、誰がっ」

「違ったか? 妖人になんて生まれついたせいで散々な目に遭って人間不信になってるとでも、言いたいんだと思っていたが?」

「お前に何がっ」

「わかるか。生まれついたものを当人の責任のように言い立てるのはただの馬鹿だ。そんなことで僻む間があるのなら、畑の一つも耕せ、種の一粒でも撒け」

「はぁ?」

「馬鹿に踊らされるのも馬鹿だ。一人で馬鹿になるのは勝手だが、八つ当たりに付き合うのはごめんだ」

 その言葉に無言で、陸が殴りかかる。

 戻はその拳を軽く受け流したが、一緒にかけられた足払いまでは払いきれず、それならと、陸を巻き込んで倒れた。そのまま、岩の散らばった地面をつかみ合ったまま転がる、取っ組み合いになった。

「見たときから気に喰わなかったんだお前は!」

「第一印象にまで責任持てるか! そんなものはお前の勝手な思い込みだろうが!」

 互いに、何度も背や肩を打ちつけながら、止まらない。血も出ているだろう。

 しばらくして不意に、洞窟内に空のものらしい声が響き渡った。瞬時に二人の罵声が止み、ほぼ同時に立ち上がる。

「空!」

「位置、判るんじゃねーのか?!」

「呼ばれてない!」

「つかえねー!」

「俺はまだ見習いだぞ!?」

 とにかく二人は、見当をつけてひた走る。だが、反響のせいで音の方角すら見極められず、走った風圧で明かりも消え去ってしまった。

 しかし、二人が立ち止まらざるを得なくなる前にまた、声がした。先程と同じく何を言っているのは判らない、音としてしか捉えられない声で方向も判らなかったが、戻には、呼ばれたのが判った。

「こっちだ!」

 闇の中を走り、だがたどり着いたのは、行き止まりだった。

「この先なんだ…」

「壊すか?」

「いや。そんなことをしたら、洞窟自体が崩落しかねない」

「なこと言ったって…ん?」

 訝しげに、陸の声が途切れた。問いかけようとした戻の言葉を、遮る。

 静まり返ると、壁の向こうから、楽しげな声が聞こえた。探していた声。今度は、はっきりと聞き取れる。

三人 「レイ、リクーっ、かわいいよーっ!」

 暢気な呼びかけに、がくりと、二人の肩が落ちた。

「…罠だと思うか?」

「ある意味その方が嬉しい」

「同感だ」

 言って、戻は明かりをともした。位置さえ判れば、そのうちたどり着けるだろう。

 明かりの中に先程まで殴り合っていた顔を見て、互いに肩をすくめた。



*  *  *



「すっかり、お世話になってしまいましたね」

 にこやかに微笑む戒を筆頭に、一行の荷物は、いやに増えている。

 悪人だわ、と、幸がこっそり呟いた。見送りにすら立ってくれなかった邑人立ちも、同じ心境に違いない。もっとも彼らは、あわよくば相打ちを望んでいたのだろうから、同情の余地は…あまりない。

「詐欺だよな…」

「陸君、人聞きが悪いですよ。問題は解決したのだから、頂いたものは、全て正当な報酬ですよ」

 そうは言うが、食料と薬草、防寒着一式に棒が一本と刀を数本。果たして、それに見合ったことをしただろうかというのは、これも正当な疑問だろう。

 何しろ、妖とは戦ってもいない。やったことといえば、看病くらいだ。

 そもそも村にやってきた妖に、他意はなかった。人を喰らう種族でもなく、単に、移動中に産気づいてしまい、産後の体調が整って子どもを連れて旅立てるまで、洞窟を仮の宿としていただけなのだ。何もしなくとも、しばらくすれば姿を消していただろう。

 空の出会った少女を始め、人を襲った形になったのも、香草目当てのこと。主食がそれだったのだ。

 戻の術で回復した鳥に似た妖は、礼さえ述べて、あっさりと立ち去った。

「まあ、これでようやく出発点というところか」

「そうですね」

「どういうことだよ?」

 納得し合う戻と戒に、陸が眉をひそめる。漢稀 [ カラキ ] の国境の山は越えてきたというのに、何を今更。

 戻は、越えてきた山に視線を向けた。

「この辺りはまだ、漢稀に近い。気候もだが、言葉も十分に通じる。だがこの先は、雪山もあれば日照りの砂地もある。言葉や生活習慣、風俗も変わる。…引き返すなら、今のうちだ」

「冗談」

 陸は即座にそう返したが、空はもとより戒も、そのつもりはないようだった。ただ一人幸が、首を傾げている。

「どうする?」

「付き合うわよ。どこにいたって同じだし。ねえ、それより…何かあった?」

「何がだ」

「あんたたち、角つき合わすのはやめたのね?」

「…別に」

 うっかりと声が揃い、戻と陸は顔をしかめた。しかも、返事をしたことで、睨み合っていたということを認めたと気づき、しわが深くなる。

 戒がそれを見て、にこにこと笑っている。

 幸は、一人で棒を振り回していた空に近付き、囁いた。

「ねえ、洞窟で何があったの?」

「あのね、あかちゃん、すっごくかわいかったんだよ! ふわふわのもこもこでね!」

「そう。…結局、全部戒の狙い通りになったわけね」

「え?」

 楽しげに妖の子どもの様子を語っていた空が、不思議そうに幸を見つめる。なんでもないと誤魔化し、しかしひっそりと、敵には回さないようにしよう、と思う幸だった。



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