「一月・・・まあ、そうだな。特に何もなければ、そのくらいは保つ」
「それはまた、随分と効率が良い」
感心したように言って、エバンスは羽根ペンで書き付ける。そのうち、きちんとまとめて文章にしなければ、と思い、どう書いていこうかと、ちらりと考える。
「それでは、次。寿命をとるというのは、具体的にはどうやって?」
「そのくらい、経験者がいるから判るだろう?」
「魔物と契約したと、おおっぴらに言う者は少ない。判ったところで、死んでいることが多いしな。上手く契約した者は、俺たちの目を誤魔化すくらいの知恵は付いて――そうだ、お前、あのとき呼び出された人物を言えるか?」
ペンを持ったまま顔を上げ、寝台を見遣る。そろそろ陽が沈む時分なので、少ししたら、灯りを入れなければならないだろう。
相手は、寝台に腰掛けたまま、訝しげに首を傾げた。人外の新緑の髪も赤い瞳も、見慣れればそう違和感もないものだと、エバンスは妙なところに感心した。
「魔術も扱えない人に魔物との契約をさせるなんて、どうせギルドにも属していないだろうが、通達しておけば知らせが来るかも知れない――おい?」
反応がなく、ペンを置いて向き直ると、それはしかめっ面を向けた。
「あのときというのは?」
「ガルヴォア・ハーネットと契約をしただろう? それで、あの人――シュム・リーディストを捕らえようとした」
「何故それを!」
最終的に、今目の前にいる者を送り返すときに、エバンスは手伝った。まさかそれを覚えていないのかと、溜息をつく。
あれからまだ、半月ほどしか経っていないというのに。
「俺もあのときあそこにいたんだ。てっきり、気付いていたと思ったのだがな」
「――ああ。そういえば、あのときにシュムと違った力も加わっていたか・・・」
「判ったらなら、話してくれ。どうなんだ」
「断わる。契約外だ」
エバンスが、アル――と、シュムは呼んでいた――と結んだ契約は、魔界や魔物を知るための質問に偽りなく答える、というものだった。丁度、後々のために魔物に関する記録を取ろうとしていた矢先のことだ。
だから丁度良かったと言えないこともないが、本来なら地道に各地の術者を渡り歩き、まとめ上げるつもりでいた。実のところ、魔物との契約というのは恐ろしい。
溜息をついて、エバンスは何も書いていない羊皮紙を取り上げた。
「それなら、新しく契約すれば文句はないな? それとも、契約中に別に契約はできないのか?」
「いや。この場合なら問題はないだろうね」
「こ――」
この場合ならとは、どういう事か。そう訊きかけたエバンスだが、乱暴に戸を 叩く音に遮られた。一般的な大人よりも低い位置での音に、ミハイルが来たのかと、予想する。
「どなたですか?」
「叔父上、僕です。入っていいですか」
「どうぞ」
おずおずと姿を見せた少年は、年の割には背が低く、瞳の色が濃い灰色の点を除けば、幼い頃のジェイムスにそっくりだった。瞳の色は、母のアンジーから受け継いだのだろう。
立ち上がってにこりと笑いかけ、先程まで自分が座っていた椅子を勧める。この部屋には、他に椅子はないのだ。寝台にアルと並んで座ることもできないではないが、エバンスは入り口の扉を背に、軽くよりかかった。
「違いは判りましたか?」
ジェイムスとの不毛な口論を止め、部屋から追い出した後、一緒に追い出されることになったミハイルは、不満そうにエバンスを見上げたのだった。
『僕が喚び出したのに』
『――これが私の契約書で、これがあなたの契約書です。違いが判っても文句があれば、遠慮なく仰ってください』
そう言って、エバンスはミハイルを送り出した。勿論、契約書には、手が加えられないように細工がしてある。
ミハイルは、まず二枚の契約書を返して、首を振った。
「無理だよ。しばらく、書庫には入れないって言われちゃったし」
「まあ、無難なところでしょうね。それで、私に訊きに来たのですか?」
「叔父上は、読めるのでしょう?」
ちらりと、寝台の方を見る。赤い眼と視線が合ったが、まじまじと興味深そうに見つめ返している。恐れを知らないのは、この場合、無知だからだろうか。
「読めますよ。この文字も読めずに魔物と契約を結ぼうなどと、死にたがっているとしか思えない行為ですからね」
むっとして、ミハイルが顔をしかめる。
エバンスは、返された契約書をミハイルが見られるように差し出して、契約者名を入れる部分の上の辺りを指し示した。
「この部分、字が違うことは判りますね? 僕の方は三月となっていて、あなたの方は残り全てとなっています。その上」
今度は、別の箇所を指さす。
「あなたの方には、交換条件が書かれていない。つまりは、無償で命を差し出すところだったのですよ」
少年は、血の気の引いた顔で、大げさに言っているのではないかと、叔父を見た。しかしそんな様子もなく、召喚したときに駆けつけてきた必死の形相を思い出し、きっと本当なのだと、そんな結論に辿り着いた。
穏やかに、エバンスはミハイルの心情を推測して、そっと肩に手を置いた。
「これに懲りて、無闇に知らないことに手を出すのは止めることですね。そろそろ、晩餐の時間ですよ。遅れたら、皆が心配します」
「はい。――叔父上、僕――魔術を、学ばせてはもらいない・・・よね、きっと」
「父君と相談は?」
「してないけど、でも」
「納得がいくまで話し合ってごらんなさい。あの人は、話してわからない相手ではありませんよ」
そうやって、ミハイルを送り出す。
送り出した後で、エバンスは溜息をついて椅子に腰掛けた。話している間にすっかり陽は沈み、エバンスは、燃えることのない読書灯を呼び出した。
そこで、寝台に座るアルを思い出す。
「悪いが、続きは明日でいいか? 今日は疲れたから――ああ、部屋を用意しないといけないな。姿は変えられるか?」
視線を向けるが、返事はない。
「その前に何か食べるか? 食べても力にはならないが食べられると聞いた。どうする?」
「――お前は、シュムに似ているな」
「はあ?」
予想だにしていなかった言葉に、エバンスは思い切り眉をひそめた。
どこをどう探せばあの人との共通点が出てくるのかと、問い質したい気分になる。
「何故、あのときにそのまま僕を送り還さなかった。そうすれば、わざわざ契約をする必要もなかっただろう」
「送り還されたかったような台詞だな?」
「・・・そういうわけじゃない」
「送り還したところで、どうせ次を探すんだろう。ガルヴォア・ハーネットとの契約は失敗したんだからな。それに、あの状態で還そうとすれば、召喚者も被召喚者も無事には済まない」
あっさりと言って、肩をすくめる。
一瞬、それでもシュムなら他の手段をとれただろうかと考えるのが、自分でもばからしい。比べたところで、どうなるものでもない。
「――やはり、よく似ている」
何も言えずに、ただ、エバンスはもう一度肩をすくめた。
義姉の姉だから、やはり義理の姉に当たるのだろうあの規格外の魔導師に対しては、妬心も含め、ひとかたならぬ感情を抱くエバンスだった。嫌いと言い切れないだけに、もどかしい。
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