第一部


 それは、良く晴れた日に起こった。シュムが城に着いて去った、翌日のことだ。

「失礼します。陛下、お話ししておきたいことが・・・」

「ん? なんだ、エヴァか」

「・・・ッ」

 すっかり定着してしまった呼び名に、エバンスは拳を握りしめた。それではまるっきり女のようではないかと言いたいが、言ったところで止めるような人たちでもない。

 これは放置するしかないんだと、心中で強く繰り返す。

「用事があるなら言わないか。ずっとそこに立っているつもりか?」

「――いえ。申し訳ありません」

「顔を上げろ」

 言われた通りにすると、国王――兄が、呆れた眼をしているのが判った。言いたいことは、既に何度も聞かされており、最近では口にすることもなくなった。

 お前がそんな態度をとる必要はない。少なくとも、誰もいないところでまでそんなことをするな。

 しかしその声を、ずっと黙殺してきた。きっと、これからもそうしていくだろう。兄か、自分がこの場所に留まり続ける限りは。

「話というのは?」

「ミハイル様に、師をつけて本格的に魔術の勉強をさせるか、一切を禁じた方が良いと思われます。今のまま放置すれば、誰にとっても良いことはないでしょう」

「あいつ、今度は何をやった?」

 そろそろ十になる長子を思い浮かべてか、兄――ジェイムスは微苦笑した。しかしそれも一瞬で、今度は真剣な顔つきになる。

 まるでジェイムスの少年時代のように、悪戯を繰り返す子供ではあるが、順調にいけばこの国の跡継ぎとなる。そんな人物に、魔術を学ばせろというのは尋常ではない。魔導師が、政治の位を持つことはあり得ないのだ。当然、王にもなれない。

 ジェイムスもエバンスも、それはよくわかっていた。

「魔物を召喚しました。書庫の立入禁止区域に忍び込み、そこから魔法陣の知識を得たようです」

「それで――」

 さすがに顔色を変えた兄に、エバンスは淡々と首を振る。

「いえ、契約は行なっていません。ミハイル様は、今は私の部屋にいらっしゃいます。他の者には、まだ知らせていません」
 深々と溜息をついて、ジェイムスは椅子の背に体を預けた。掌を、額にあてて天井を仰ぐ。

「わかった、すぐに会いに行く。悪かったな、慌てていた。あいつに何かあれば、お前がこんなに悠長に話をしているはずもなかったのにな」

「・・・そうとも限りませんよ」

「限るさ」

 あっさりと断言すると、ジェイムスはエバンスの肩を叩きざまにその横を抜け、執務室への通り道ともなる護衛室を抜ける際に、自分が戻るまでは誰も立ち入らせないように、との指示を出していた。何しろ、机の上には未決済の書類が放置されたままだ。

 そして出口で振り返って、エバンスを呼ぶ。

「おい、エバンス。何をしてるんだ、早く行くぞ」

「あ・・・はい!」

 呼ばれ方に、幼年時を思い出して呆けていたエバンスは、我に返ると、先に部屋を出てしまった兄の後を追った。ジェイムスの気まぐれにつき合わされるとでも思ったのか、衛兵の一人が同情するような素振りを見せたのが、少し可笑しかった。

 国王の執務室から宮廷魔道士の寮の建物までは少し距離があるが、ミハイルの能力などの詳細を、他の者も通るようなところでできるはずもなく、二人はほぼ無言で歩いていた。

 道すがら、ジェイムスの姿に気付いた者が、敬礼をしながらも穏やかに微笑むのは、人柄というものだろう。

 そうして到着した部屋は、床や机を占領する羊皮紙さえなければ、さぞ殺風景で無機質だろうと思わせる、そんなところだった。

「――いるのはミハイルだけだと思っていたが?」

「そんなことは、一言たりとも申し上げておりません」

「そうか、そうかもしれないな? しかし、こんなものがいるとも一言も言わなかっただろう! そのくらいは言っておくのが筋というものじゃないか!」

「害はありませんよ」

「害の有無は関係ない! そうじゃないだろ! これがまだいるってことは、誰かが――いや、この場合はお前しかいない! お前がこれと契約したってことだろう! 違うか? 違うなら今ここで申し開きをしてみろ!」

「必要ありません。その通りです、陛下」

 あくまで淡々と、告げる。

 その様子に、ジェイムスは逆上した。羽織っていた上着を脱ぎ捨てて、エバンスの顔目掛けて投げつける。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさかここまで馬鹿だとは思わなかったぞ! 俺はお前を、そんな風に育てた覚えはない!」

「少しは落ち着いて・・・」

「落ち着けるか、この最上級の大馬鹿! お前よりよほど、クツァの方が賢い!」

 クツァとは、城で飼っている子豚のことだ。庭師の子供が、気まぐれに名づけたものだった。

「ッ、馬鹿馬鹿って、あなたの方がよほどの大馬鹿者です! 臣下と息子と、どっちが大切だというのですか!」

「お前は臣下じゃなくて俺の弟だ!」

「だからそれは」

「お前一人で納得して、片付いたなんて思うなよ!? いつだってお前はそうだ! 皿割ったからって庭に埋めて、証拠隠滅したつもりでも、皿が一枚減ったのには変わりないんだからな! しかも埋めたところが浅くて、雨が降ったらばれたじゃないか!」

「そんな昔の・・・ッ。だったら言わせてもらいますがね、兄上だっていつも、城を抜け出すときに穴を塞ぐのを忘れてたじゃないですか。おかげで、兄上がいつ町に出てるかなんて、馬丁だって知ってましたよ。思慮が足りないのはどっちですか」

「なんだと?! 夜に雷が怖いって泣いてたのはどこのどいつだ!」

「そっ・・・そんなこと、どこにどう関係してくるんですか!」

 いつの間にか肩書きも飛び、恥のさらし合いのような兄弟喧嘩へと発展している。始めから、音が外に漏れないように術をかけていたのが、救いと言えば言えるだろう。

 しかし、部屋の中にいれば関係はなく。

「・・・母上、呼んできた方がいいかな・・・?」

「それよりも、仲裁に入ればいいだろう」

「僕の声なんて聞こえないから、きっと」

 一人は途方に暮れ、もう一方はうるさそうに眉をひそめているのだった

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