第六場


 屋敷は、今では奇妙な狩場へと変貌していた。問題なのは、ただ狩られるだけのはずの「獲物」が、逆にあちこちに罠を仕掛けていることだろう。おかげで男は、自邸というのに、部屋から部屋への移動にも梃子摺っていた。

 視力が回復するまでにそうはかからなかったはずなのだが、部屋を出てすぐのところに閃光弾と爆裂弾。そこでまた少し、時間を取られた。それだけの短時間で効果的に、逃げながら罠を仕掛けていく手際は大したものだった。

 男は、知らず知らずのうちに悪態をついていた。

 最後には仕留められるとの確信はあったが、これほどにてこずるのも、わずらわしい罠に手間取るのも、腹立たしい限りだ。

「出て来い、小娘! こいつがどうなってもいいのか!」

 どうにかたどり着いた部屋の中に、変わらず横たわっていた体の細い男――アルの咽喉を掴んで、声を張り上げた。

 正直、こんな者につられて、シュムがこちらに来るとは思っていなかった。そもそも人と魔物の関係など、どちらにとっても一方的なものだ。主導権を取るのがどちらになるか、その一点にかかっているといってもいい。そして主導権を握られた方は、相手を憎むのが常だ。

 それが、シュムには通用しない。

 知り合いというだけの魔物の、しかも、一度裏切っている奴のために、自らの身を投げ出す。――考えようもないほどに愚かだ。

 そしてその愚かな人間は、やはり愚かにも、姿を現したのだった。

「薄っぺらい化けの皮だな。予想通りだけど、あまりにも予想通りすぎて、逆に予想外な気がする」

 そう言って現れた少女の様子に、先刻と変わったところは見られない。幼いほどに、小さな少女だ。

 男は、手荒くアルの体を引き立てた。咽喉元に、ナイフ状に変形させた爪先をあてる。

「こいつの命が惜しければ、俺の言う通りにしろ」

「ほんっと、薄っぺらい」

「な・・・俺が何を言ってるのかわかってるのか!?」

「むしろわかってないのは、そっちでしょ」

 わざわざ、勝ち目の少ないこちらの世界へと大人しく来たのとは打って変わって、シュムは挑発するかのような言葉を発した。

 男は、困惑した。魔方陣で体力を消耗したというのも、この男のためにここに来たというのも、全ては嘘なのか、との疑念が過る。あれだけ時間をかけて調べ上げた全てが、嘘だというのか。

 しかしシュムは、知らずにその疑念を打ち破った。

「ここまで罠が張ってあったって意味、理解してる? なんだってここまでしておいて、人質放置するんだよ」

 突き放した口調に、疑念の半分は去ったものの、はっとして捕らえている「人質」を見る。

「偽物」

 にっこりと、小憎らしく笑う。

 青白い、生気のない顔。全く力の入っていない体。眠らされているとはいえ、生死さえ定かではないような「それ」は、そう言われても納得がいった。

 舌打ちをして打ち捨てようとして、ふと冷静になる。

 そうして、視線をシュムに向ける。向けた途端に笑いを含んだものになったが、一瞬の真剣な眼差しが残った。そうか、と、口の端を持ち上げて笑う。

「いいだろう、それならこれは、要らないな」

 爪先をきつく当てるが、シュムの表情は変わらない。面白そうに笑うような、ある意味での無表情。

 しかし、男の爪先が咽喉にいくらか食い込んだところで、制止する声がかかった。溜息をついて両手を上げる。小さく、顔をしかめている。

「わかった、こっちの負けだ」

 にやりと笑う。やはり、ただのはったりだったのだ。そこまでの時間はなかったのだろう。いや、この部屋の存在を知っていたのかさえ怪しい。アルの咽喉に当てた爪をそこで止め、そうは見せまいとしながらも悔しそうなシュムを見た。

「さっきの部屋に戻ってもらおう」

 しぶしぶ背を向けると、シュムは迷うそぶりもなく歩を進めた。まだ罠が残っていることも考えて、男はシュムの後を慎重にたどった。一度も立ち止まることなく最初にいた部屋まで戻ると、厭そうに男を振り返る。

「手枷を嵌めろ」

 肩を竦めて、壁に繋がれた、魔封じの印の彫られた重い枷を手に取る。深深と溜息をつくと、まず右腕に嵌めようとして、「あ」と呟いた。

 面白くもなさそうに、男を見る。

「これ、閉じちゃったんだけど。鍵は?」

「・・・先に、左腕を」

「あ、そ」

 無感情に、枷を嵌める。がちゃりと、重い音がした。男は笑って、邪魔な「荷物」を投げ出した。途端に、シュムがすっと、右手を上げた。くすりと笑みをもらす。

 次の瞬間には、「扉」が開いていた。思わず目を細めた男が見たのは、アルを包む蒼い燐光だった。

 光が収まると、床に描かれた出鱈目な魔方陣と、その場所に倒れていたはずのアルがいないことだけを除いて、数秒前と全く同じ状態だった。

「何故・・・」

 枷で魔力は封じたはずと、言葉を失う男に、シュムはにやりと笑いかけた。依然左手は壁に繋がれたままだというのに、男はそれにも気付かずに、二度目の形勢逆転を感じていた。


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