第五場


 シュムを追った男が部屋を出てしばらくしてから、部屋には黒に近い緑の魔方陣と、同じ色の燐光に包まれたカイが出現した。身構えていたカイは、慎重に周囲を見渡して誰もいないと判ると、眉根を寄せた。

「ここ・・・じゃ、ないのか?」

 己の世界独特の、馴染みの空気を感じながら、低く呟く。

 と、不意に聞こえてきた小さな爆発音に、驚いてその方向を見る。続いて聞こえた悪態。どうやら、離れたところで怒鳴っているらしい。

「合ってる、か・・・」

 少なくとも、一度はここに来ているはずだ。焦る気持ちをどうにかなだめて、先ほどの経緯を思い出す。

 カイがこちらの世界に戻って来れたのは、宿を訪れた術師の協力を得てのことだった。彼はシュムへの伝言を伝えに来たらしいのだが、この際そんなことはどうでも良かった。素質としては、シュムには及ばない。しかし、セレンは無理でもカイ程度ならどうにか召喚できる腕と、何より、術の改変や復元を得意としていた点が幸いした。

 はじめは、シュムの用意した「最後の」魔方陣の、抑圧を解いてもらうつもりだった。設定してある条件を解除すれば、発動する。だが、勢い込んでそう言ったカイに、二十代とおぼしき術師は、眉をひそめた。

『そんなものはここにはない。騙されたか、他の場所の間違いだろう』

 そんなはずがないと言っても、無いものは無いの一点張り。果てには、お前が隠したのかとでも言わんばかりの態度に、案を出したのはセレンだった。

『ねえ、あのお屋敷は? それか、私を喚び出した林の中か。他の場所だと人目につくけど、そこならそうでもないでしょう?』

『ふむ。屋敷というのは?』

『いけ好かない奴がいたところなんだけど・・・行った方が早いわ。行きましょう』

『ああ』

『・・・なんだよ、その態度の違いは』

 結果を言えば、ハーネット家の別荘にも目的の魔方陣はなかった。ただ代わりに、先刻見た男のすでに命を失った躯と、術師曰く「無理矢理こじ開けられ」た魔方陣の痕跡。そんなことは易々とできはしないとも付け加え、『あの人は無茶をする』ともらした。

 そこでカイとセレンは、一つの可能性に思い至った。若い術師の言った、「騙された」という言葉。行く方法も無くて諦めるだろうということを当てにして、嘘をついたということも、シュムなら大いに考えられた。

『しかし、そのうち俺が来るだろうことは知っていたはずだが?』

 術師の言葉に、カイとセレンは顔を見合わせた。戻れなかったときのことを考えて、この術師を「最後の魔方陣」の代わりにしようと目論んだのかもしれない。そうなると、すぐに後を追う心配もしそうなものだが、術師が来るのはまだ先だと思ったのか、それとも、これも計算のうちか。

 しかし、今は考えるよりも先にすることがあると、カイは自分よりも少しばかり背の低い術師に、改めて頼んだ。既に一度はつながっているのだから、シュムの利用した魔方陣を使えばシュムの向かった先に出るだろうと。

 だから、ここで合っているはずなのだ。そしてさっき聞こえた悪態と合わせると、シュムを相手に梃子摺っている可能性が高い。

「・・・仕方ないか」

 苦々しく舌打ちして、カイは左手を振った。奇術のように、小鳥が出現する。鳥は、出現すると即座に、羽ばたいて開け放されているドアから出て行った。これで、出口を見つけて伝言を伝えに行くだろう。会いたい相手ではないが、確実に力にはなる。己の実力を知っているからこその、保険だった。

 弱い自分は情けない。しかし、今回はその「弱さ」故にここに来れた。セレンは、「強さ」のおかげで居残りだった。代理の術師の開く扉では、セレンの能力に堪えられるかは怪しかったのだ。そういうことも、ある。

「さて」

 ここに来て、ただ無力を嘆くのは馬鹿以下だ。カイは、部屋を後にした。


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