第五場


 術の発動を察知して部屋へと駆け上った二人は、開け放された窓を見ることとなった。カイが、走ってきた勢いのまま窓枠に身体を当てて止めて、念のために通りに目をはしらせるが、それらしい人影はない。

 実際のところはかなりの僅差で、シュムが建物の裏に回ったために見えないだけなのだが、そんなことがわかるわけもない。

「カイ、これ」

 シュムの期待通りに皮紙を発見して、セレンが手渡す。

 まだインクも乾いていない文字は、走り書きで「例の男からお誘いが来たから乗って来ます。心配しなくてもちゃんと帰るつもりだけど、万が一のことがあったとき用に、最後の魔方陣は描いておきました。前に言ったやつ。では、そういうことで」と記されていた。

 低く呻いてから、不安そうに窺うセレンのために読み上げる。途端に、セレンも小さく呻いた。少しの間、二人は、風が気まぐれに吹き込む部屋に、無言で立ち尽くしていた。

「さっき開いた扉で、シュムがあっちに行っちゃったってこと?」

「・・・だと、思う」

 相手を言いくるめたか、発動する召喚魔方陣を睨みつけながら、この伝言を書いたのだろう、と。

 二人は、シュムがまだ向こうへ行っていないことを知らず、眉根を寄せた。あのシュムがそう簡単にどうにかなるとは思えないが不安は大いにあるし、今は体調が万全ではない。それに、置いて行かれてのだという悔しさがある。

 すぐにでも追いかけたいところだが、術師がいなければ、二人には二つの世界を繋ぐことはできない。

 ふと思いついて、セレンが顔を上げた。

「魔方陣は、描いて行ったんでしょう? それで行けないの?」

「無理だ」

「どうして? 使えなければ意味はないわけだし・・・」

「無理なんだ。シュムの描いて行った魔方陣は、術師が死んだ場合に発動するものなんだ。最後の、っていうのはそういうことだ」

 今自分たちが立っているあたりに描かれていると見当をつけて、カイは床を睨みつけた。年月を経た床だけが、目に映る。

 しばらくはそうしていたが、やがて、諦めたように深く息を吐いて顔を上げた。セレンを見る。

「・・・一つ、方法はある」

 だったら、と畳み掛けるように言葉を継ぐセレンを、頭を抱えるようにして額に置いたのとは逆の左手を上げて制する。酷く気の進まない様子だ。

 再び、重い溜息をつく。

「術師が必要なんだ。シュムほどとは言わなくても、セレン、お前を喚び出せる程度には力を持った奴がな」

 大きな問題としては、二つある。

 一つには、それなりの実力者となればおいそれとはおらず、当然この街を出なければならない。その上で、この世界も詳しく知らないままに探し出さなければならないのだ。どれだけの日数がかかるのか見当もつかない。

 もう一つは、二人が無契約の魔物ということだ。経験を積んだ者ほど、魔物に対する目は厳しくなる。問答無用で攻撃を受けるということも大いに考えられた。

 更に言えば、あまり考えたくもないことだが、二人がここを離れている間に魔法陣が発動した場合、最悪、一生こちらに残されることになる。

 それらのことを察したセレンは、カイと同じように額を押さえた。大海から小さな指輪を見つけ出すほどの困難さだ。可能性がないわけではないが、それよりも先に、シュムの方で決着がつく可能性の方が、ずっと高かった。

「また、厄介なことをしてくれたぜ・・・」

「本当に。一体何者なのかしら、その男って・・・男?」

 言ってから、セレンは考えもしなかったことに気付いた。顔を上げたカイと目が合って、同じ事に気付いたことを知る。

「人間じゃ、ないのか・・・?」

 開かれたのは、あちらと繋ぐ扉。組成は似ていても、同じ世界を繋ぐものと異界を繋ぐものでは、根本的な性質が異なる。カイたちからすれば、その気配の違いは歴然としていた。

 二人は、顔を見合わせた。

 ハーネット家の四男に魔獣の肉をもたらした者が、自分たちの同類だったとする。おそらくは、四男が誰かの手を借りるか何らかの方法で、喚び出したのだろう。もしくは、向こうから接触してきたか。そうして、シュムがそれに気付いて向こうへの扉を開いたのだとすれば。

「――噂を、聞いたことがあるわ」

 セレンが、いやに蒼褪めて、呟くように言った。

「変わり者の同類喰らいがいる、って。随分と人間に、興味を持っていたって・・・シュムに会う前のことだったから、あまり気にしていなかったけど・・・」

「ああ・・・。随分と、魔方陣にも詳しいってのが、いたな・・・」

 もし、喰らう対象を人に向けたとすれば・・・そのまま、生き長らえているかもしれない。そして、不老者のことを知ったとすれば・・・。

 お互いに蒼褪めた顔を見合わせていたが、期せずして同時に、首を振る。

「まさか、ね」

「ああ、考えすぎだ」

 言葉に出して言うが、一度浮かび上がった不安は消えなかった。どこに証拠があるわけでもないのだが、いくらそんな偶然がと、思っても駄目だった。そしてシュムの名は、一部にではあっても確実に、あちらで知られている。大まかにではあるが、その性格や、性質も。

 想像が、悪い方向に転がる。

 そうして実のところ、そのあてずっぽうともいえる推論は、見事に的を射ていたのだった。しかし二人には、確認すらする手立てがない。

 何とはなしに、二人は顔を俯かせた。

「そうよ。考えすぎよ、そんなこと。あるはずがないわ・・・」

「ああ・・・」

 宿の床石が音を立て、開け放されたままだった戸口に人が立ったのは、そんなときだった。


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