二人が出ていくと、シュムは布を被りなおした。再び、頭から被る。
自分のためにセレンを追い払ったことに、軽く自己嫌悪も感じていた。そうかといって、あのまま二人でいても、気詰まりなだけだっただろう。
そうして、溜息をつく。
「心配をかける人なんて、増やしたくなかったんだけどなあ」
怒ってくれるのが判っていたからこそ、あまり言いたくはなかった。そのことに甘えて、傷つけているだろうことも知っている。わがままといえば、その通りだ。
そんなに簡単に死ぬつもりもないのに。信用ないなあ、と言ってみても笑えない。
しかし、もし本当のことを――まだ、自分の中の力を完全には押さえきれないのだと、長く、寿命を削る方法で魔法陣を描かずにいると昔のように勝手に召還してしまうのだと、告げることはしたくないと思う。これは、ただの意地なのだろう。それに、さっき言ったことも、嘘ではない。友人や知人、家族が成長して子供を産んで、去っていくのを、変わらない姿で見送るのは、淋しく辛いと思う。
ふと、カイは約束を覚えているだろうかと思う。
はじめて出会ったときの約束。飽いたら、生きることが辛くなったら、殺してくれると。なんとなくシュムは、自分がそう言い出さないことと、約束を守ってもらえることと、守ってくれないこととが、等分にあるような気がした。
そこまで考えて頭を振って、思考を切り替える。
『騙されたんだ!』
それが、ハーネット家四男の言い分だった。
騙されて魔物の肉を食わされ、必死にもとの体に戻る方法を探していたのだと。男の背と両腕には、びっしりと水色の鱗があった。セレンの言った「人でもない感じ」というのは、このためのようだ。
その騙した男に、不老者を喰えば元に戻ると言われ、様々な手段で探したようだった。そこに、シュムが引っかかってきたのだ。
しかしそれは、上辺だけの「本心」だ。シュムの肉を喰らい、その後も生かし続け、「魔界」との通路を確保しようとしていたことは、つつけば容易に知れた。家族の誰からも邪魔者扱いされていて見返したかったということだが、他の方法はいくらでもあったはずだ。
十分すぎるほどに腹は立ったが、シュムの分までカイとセレンが激怒したものだから、その止め訳に回ったシュムには、怒る余裕はなかった。せいぜい、呆れるくらいだ。
ちなみに、自分を騙したという人物のことはよく知らないようで、よくもそんな相手からもらった肉を食ったものだと、ほとほと呆れた。巻き込まれたアルが、いっそ気の毒だった。
シュムとしては、アルをあのまま放置しておくのも忍びなくて、魔方陣で送り還したかったのだが、まだ体力も万全でないとカイに睨まれ、断念した。しかし、契約に反すると知りながらも、いくらか手加減してくれたのだ。それは、かなりの負荷だっただろう。感謝すべきだろうと、思うのだった。カイもセレンも、そのことには気付いているはずだった。
喚び出したのとは別の出入り口、別の魔方陣から還してしまえば、大体の契約は自動的に破棄される。そのことを考えても、送り還したかったのだが。一番の問題は、体力の消耗だ。昨夜から、一度は小さいとはいえ、三度も開いた上に立ち回りをやってのけたものだから、動けないほどではないにしても、怠い。あそこでアルを還せば、しばらくは自力で歩くのもおぼつかなかっただろう。
「あーあ」
溜息を一つ。
あの男は、もう心配はいらないだろう。本家へ手紙を出したから、以降は良くて軟禁というところか。悪くすれば内密に抹殺されるかもしれないが、そこまではシュムの知ったことではない。
しかし、あの役立たずに魔獣の肉を与え、以降もつながりを持っていた人物――長身の、顔を布で覆ったこもった声の男だという――は何者なのか。ただの覗きだったはずが、妙な具合に話が進んでしまっている。
「あ―・・・だるいな―・・・」
考えるのにも倦んで、しかし体調も今だ万全ではなく、シュムは布を被ったまま寝台に寝そべった。
そして急に、身を起こす。「扉」――魔法陣の開く前兆があった。
「・・・なんだ・・・これ・・・」
寝台の横の床に描かれていく黒い魔方陣を凝視して、シュムは思わず声を漏らしていた。
型は、知っている。大雑把に言えば、属性を問わず、中の中程度の魔物を喚ぶ魔方陣。しかし、明らかに気配が違う。何かを間違えているというのでもなく、ただ、違和感がある。なにかが違う。
術が完成したらしく、黒い魔方陣が完全に表れ、黒い燐光を放つ。
シュムは、そこから出現したものを、半ば呆然と見つめていた。出現の風で、束ねた長い髪が好き勝手に乱れ、被っていた布がばたばたと風を含んで音を立てる。そしてそれは、いつの間にか頭からずり落ちていた。
「やあ。はじめまして」
魔方陣に立つのは、長身で手足の長い男。長い髪が不吉な影を落とし、笑いかける瞳は、爬虫類じみている。
「アル!」
男の足元に倒れ伏すアルの姿に、シュムは知らずに声をあげていた。まだセレンに眠らされたままの状態なのか、白い顔は目を閉じたまま、何の反応も示さない。
思わず身を乗り出しかけたシュムは、だが、咄嗟に寝台の枠を掴んで体を止めて、魔方陣に近付くことを回避した。発動中の魔方陣に踏み込む危険性は、知っている。不用意に踏み込み、命を落とした魔導師はいくらでもいる。そんな常識に、思わず歯噛みする。
男は、そんなシュムの様子に満足したかのように、薄く笑った。
「この男を助けたければ、私の後を追ってくるといい。この男で足りないというのであれば、そうだね、金髪の美しいお嬢さんかオレンジ頭の下郎でも用意しようか」
ぎりと、唇を噛んで、シュムは男を睨みつけた。そんなことしかできない自分が、心底悔しく情けない。
「賢明な君であれば、もう気付いているだろう。だからこそ私は、飽くまで君自身の意志で来て欲しいのだよ。選ぶのは君だとだけ、言っておこう」
爬虫類か、昆虫めいた印象を与えるその男は、そう言うと姿を消した。いや、そもそも、実体を伴ったものでなかったことは判っている。本体は、別の所――おそらくは、「魔界」にあるはずだ。違和感の正体は、この世界で開かれたものではないというところにもあったのだ。
シュムは、寝台の足下に置かれたカバンから皮紙とペンを取り出すと、短くカイとセレンへ宛てた手紙を書き、寝台の上に判るように置いた。セレンは読めないが、シュムの「勉強」一般に付き合ったカイは人の文字も読むことができる。
そうして剣をいつも通りに腰に佩いているのを確認すると、シュムは先ほど黒い魔方陣の出現した床を一瞥して、窓から滑り降りた。近くにいた村人が、二階から降ってきた少女に目を丸くする。
「ああ、気にしないで」
にっこりと笑いかけてから、表情を消して走りだした。まずは確認で、男の言うことに従うのはそれからだ。体の奥は、まだ鈍く疲れていたが、気力がそれを押しやった。
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