宿に戻ると、カイは有無を言わせずにシュムを寝台に寝かせた。女主人に、覗きの心配は無くなったとの報告をすることすら許してはくれない。
「ちょっと、カイ! 大袈裟だよ、もう大丈夫だって」
「それを本気で言えるなら、好きにしろ」
言われて、束の間考えるように斜め上に目を向けてから、シュムは、溜息をついて薄い布にくるまった。ようやく、カイの眼光がいくらか和らぐ。
そんな二人を見ながら、セレンは首を傾げた。
「そろそろ聞かせてもらってもいいかしら? それとも、私は蚊帳の外にいたほうがいい?」
気になるのも確かだが、この微妙な空気を、どうにかしたいと思ってのことでもあった。セレン自身、シュムの様子は厭になるほど心配なのだが、二人のやりとりの真意がわからないところに苛立ちもあった。浅ましい――と思う感情も、シュムが与えたものではある。
「ああ、そうだったな。言うぞ?」
「うー・・・言わなきゃ駄目?」
「そりゃ、知ってる奴は少ないにこしたことはないだろうけど」
「だよね?」
「で、本音は?」
「・・・セレンにまで、怒られそう」
却下、とあっさりと言い切って、カイはセレンに向き直った。
「正式な手順を踏まない魔方陣は、寿命を縮めるんだ」
え、とセレンが首を傾げる。
セレンたちは、ごく一部の者を除いては人間の使う術には詳しくない。何がどんなことを引き起こすか、どんなものがあるかくらいは知っているが、人間がそれらをどうやって扱っているかは知らない。
自分たちが喚ばれ、契約する召喚の術に対してさえも、半ば本能的にその本質を「知って」いるだけに、手順などを知ろうとする者も少ないのだった。
この話の始め方には、シュムの方が呆れた。
「カイも随分、人間臭くなったねえ」
「なっ・・・?」
「そんな説明じゃ解らないって。大体、普通は正式な手順を踏まない魔方陣なんて、成立しないんだよ?」
寝台から上半身を起こして、まだ寝ていろというカイを手を振ってかわす。
「起き上がれるくらいには回復してるよ。で、魔方陣のことだけどね」
セレンの方に向いて座り直す。寒いためか寝台の上掛けの布を頭から被っているせいで、今から怪談でも始める子供かのようだった。こうしていると、ただのただのいたずら好きな子供に見える。
「魔方陣っていうのは、まあいろんな種類があるんだけど、それは大体、どのくらいの力を持ったどんな相手を喚ぶか、っていうのを選り分けるためにあるんだよ。水系の力が必要なのに火系の力を持ってる奴を喚び出しても仕方がないし、自分の手におえないような者を喚んだりしたら、下手をしたら無契約で外に出られちゃうしね。だから、ちゃんと魔方陣を使い分けられればそう危険はないんだよ、お互いにね。基本的に、力が足りなかったりちゃんと結界が張れない状態になってたりしたら術が発動しないようになってるし、一番力を消耗しない作りになってるんだから」
言いながら、ちらりとカイを見る。案の定、そこまでわかってるのに横着をするなと言わんばかりに、睨み返された。
シュムが、小さく肩をすくめる。
「それだけ沢山の役割があるからかは知らないけど、とにかく魔方陣ってのは、恐ろしく細々とした手順が大切になるんだよ。例えば、文字をひとつ書き忘れても、線を一本引く順番を間違えても、詠唱の呪文を一語発音し損ねても、発動しない。しないはずなんだよ。まあ実際には、例外ってものがあって、多少失敗しても発動することもあるんだけどね。そのときは、手に負えない奴を喚んじゃったりして大変なことになるんだけど。で、あたしの場合はなんて言うか・・・例外の塊って言うか、存在そのものが非常識って言うか。何しろ、一時は本人の知らない間に魔方陣描いてたんだから」
「え?」
「まだ正真正銘に子供だったときのことだけどね。特異体質は一つでも大変だって言うのに、更に、魔力垂れ流しっていう物凄い体質でさあ。それがどこでどうなったのか、勝手に魔方陣生成してくれてたわけだよ。しばらくしてそれをどうにかするために弟子入りしに行ったんだけど、長寿の体質じゃなかったら死んでたかも知れないって言われたなあ。まあ、ほんとのところはどのくらいずつ減っていってるのか判らないんだけど」
最後の方は、半ば苦笑になっている。
それでね、と、シュムは、理解しようと一生懸命になっているのが傍目にも判るセレンにぱたぱたと手を振った。
「魔方陣が勝手に描かれる体質はとりあえず直ったんだけど、描こうと思えば描けもするんだよ。あんなの魔方陣じゃないって方々で言われるけど、これが凄く楽でさ。道具なしでも大丈夫だし。ただ、生命力を消耗するのが困りものって言えば困りものなだけで」
「・・・え?」
「具体的にどのくらいかは判らないけど、昔のまま寿命が削られるらしいね。あと、一時的な体力の消耗が激しいのと。おかげで子供のときなんて、ひ弱でさー。てっきり、病弱なんだと思い込んでたよ」
「ちょっと待ってよ、シュム。・・・つまり、その・・・正式じゃない、っていう魔方陣を使うと・・・私たちと小さな契約を結んだような状態になるということ・・・に、なるのかしら・・・?」
「うん、多分そういうこと」
あっさりと、首肯する。逆にセレンは、血の気が引いた。どこに、「閑だったらあそぼ―」と言って、自分の寿命を減らす人間がいるというのか。
セレンは、思わずシュムを睨みつけていた。意識せずに零れる強い声が、かすかに震える。
「何やってるのよ!」
「・・・ほら、怒る」
「当たり前でしょう! いくら長生きするからって、そんなの、私からすればずっと短いのよ。少しの間しか、一緒に生きてられないのよ。それなのに・・・どうして、そんなことするのよ!」
泣きそうになって怒るセレンを、シュムは見つめた。カイを見上げる。そうして、セレンに視線を戻した。
「ねえ、セレン」
いつの間にか、被っていた布を肩まで引き下げていた。
そうして、シュムは小さく首を傾げる。まるで、子供が素朴な疑問を口にするかのようで、冷静なあどけなささえある。
「あなたたちには短くても、あたしには十分永いんだよ。この姿のまま、知り合いが死んでいくのを見るのには永い。だったら、友達に会うついでに少しくらい減らしたいって、思うのは駄目かな?」
何も言えず、セレンは言葉を呑んだ。反論はいくらでもあるのだが、シュムの眼を覗き込んだセレンは、気付いてしまった。性急に死を選ぶつもりはないのだろうが、自然に定められたものよりは早く、緩慢な自殺を、既に選んでしまっていることに。届く言葉はあるだろうかと、そこに迷う。
気付くと、カイの手がそっと肩に置かれていた。見ると、目線だけで頷き返す。
そうして、シュムを軽く睨みつけて。
「で、本当のところは?」
「だって面倒なんだよねー、あれ。時間かかるしわけのわからない呪文唱えなきゃならないし」
「阿呆」
一転して面倒そうな声に、間髪入れずカイが突っ込む。それでもシュムは、だってさあ、とぼやいていた。カイは、それに構わずいつもと変わらない調子で続ける。
「女将さんに報告してくるな」
「行くよ。仕事受けたのあたしだし」
「お前は休んどけ。いいな、そこから一歩たりとも動くんじゃねえぞ」
「えーっ」
「いいな」
強く言い置いて、部屋を出て行った。殺風景な部屋の中に残されて、シュムは、振り仰ぐようにしてセレンに目線を向けた。
「セレンも。行って」
「でも・・・」
「寝てるから。喋るの疲れるし、いても閑だよ? カイが余計なことまで言わないように見張ってて欲しいしね。考えなしなところあるから」
「・・・ちゃんと、寝ててね」
そう言って部屋を後にすると、一瞬、苦笑するようなシュムの表情が見えた。それに少し、胸が痛む。
カイは、階下へ続く階段で、手すりにもたれるようにして立っていた。セレンは、そっと近付いた。それに気付いて、カイがどうにか微笑する。それが、自嘲にも見える。
「猿芝居だ」
「・・・」
「俺は、シュムがやり方を変えないことを知ってるし、シュムも俺が知ってることを知ってる。馬鹿げた話だ」
今度は、間違いなく自嘲だ。カイは、セレンよりもずっと、あんなシュムの瞳を覗き込んできたのだろう。
セレンは、そんなカイを見てまた泣きそうになった。顔が歪んでしまい、思わず下を向いた。ニ、三度、深呼吸をして感情を整える。そうしてから、顔を上げた。
「どんなに馬鹿げていても、やらないよりはきっと、いいと思うわ。いつか、変わることもあるかも知れない。言わないで、認めてしまったら・・・それが来たとき、きっととても辛い。私も・・・これから何度だって、怒るわ。絶対に」
「・・・そうだな」
カイが、笑う。
今度は、わずかにではあるが明るい笑顔だったことに、セレンは安堵した。
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