王子二人が呆然と座り込み、片方は明らかに忘我の状態にある。黒緑の光柱は、その足元から空に伸びていた。カイが、少し離れたところに立って光柱の先を仰ぎ見ている。
「カイ!」
「シュム。なあ、これ何だ?」
「ちょっと待って、それでもしあたしが意識なくしたら結界の外に運んでそこの二人と一緒に、っていうかなんで結界内にいるの、外でしょ合流場所」
「だってそいつがここまで来てたから」
「あー…馬鹿王子に文句は後にしよう」
自分のために呟いて、シュムは、厭だなあと深々と溜息をついて、指輪を外した。
気持ち悪さと体の重さが一気に襲ってきて、思わず呻き声が出る。それらをどうにか意識の外に追い出せるよう頑張りながら、シュムは、目を見開いたまま意識を見失っている幼い王子に集中する。
「あーやっぱり」
急激な奪還劇のせいか誘拐監禁が限界に来ていたのかやはり場所が悪かったのか、あるいはそれら全ての相乗効果か、かけられていた封印が解けた上に、暴走してしまっている。どうやらそれなりの魔力があったらしく、それも災いしたようだ。
光柱は、暴走の結果、結界に穴が開いたためのようだ。
少年の魔力の特性か、結界と力の質が似ていたのか、この場合に限っては厄介極まりないことになってしまった。
「あー頭痛い」
「出るか?」
「いやー」
実際痛いがそれ以上にこの状態に対しての言葉だったが、律儀に反応したカイを抑え、シュムは、少年の指に外した指輪を嵌めた。ついでに、目を閉じさせる。とりあえずこれで、暴走は止められたはずだ。少なくとも、これ以上この場所の結界に影響を与えることはない。
ジェイムスが、縋るような目をシュムに向けてくる。弟を心配しているのは本心のようだ。
「すぐ魔導師に見せて。封印の術が解けてる。指輪で抑えてるけどどの程度かわからない。宮廷魔導師にここのことも報せて。封印に穴が開いた。以上。行く!」
今の状態で精一杯背を叩き、弟を抱えてよたよたと走って行く背を見送って、シュムは、カイの腕を掴もうとして、半ば倒れ込む。
「出るな?」
「…よろしくー」
ひょいと担ぎ上げられ、カイは先ほどのジェイムスよりもずっと身軽に走り出す。居心地悪く揺られながら、指輪もう一個用意するべきだったなあ、と後悔した。もう遅い。
少しすると、先日と同じように急に、体が楽になる。力なく叩いてカイを止め、シュムは、揺れない地面にへたり込んだ。この場所からでも、光柱ははっきりと見える。今頃、街や城の魔導師たちも何事かと騒いでいる頃だろう。
結界が崩壊したりあちらから厄介なものが出てこないうちに穴を塞ぐべきだが、シュム一人でできるのか、他の魔導師を待つべきか。
「…一から説明とか、結構厳しいよねえ…王子いればましだっただろうけどあっちも急ぎだったしなあ」
「なあシュム、シハンは?」
「あー…あの人のことだからちゃんと生きてるとは思うけど…森出ろって言い置いてこっち来ちゃった。カイ、様子見たのんでいい? まだなら、小屋に転がってるのも他に移しといた方がいいし」
あのファウスなら、七人いた男たちもまとめて運ぼうとしてくれていて、どうやってだか成功していそうな気もするが、巻き込んで放置はあまりにも酷い、との自覚くらいはある。
やはり巻き込まれているカイは、顔をしかめはしたが、あっさりと頷いた。
「ちょっとくらい回り込んで、あの光のあたりは避けた方がいいよ」
「わかった。お前はここにいろよ」
「がんばってー」
実は肯かず、シュムはカイを見送った。
その背が遠くなってから、さてどうするかな、と心の中でだけ呟く。カイは耳がいいので、下手に呟いて戻ってこられては面倒だ。
街のギルドに駆け込むか、結界の穴を塞げないか試してみるか。
だが、先ほどの疲れはまだ残っている上に、シュムが魔法陣を自在に描けるといっても、体力やら何やらはきちんと削り取られている。あまり間を置かずにカイとディーを召喚したために、大分疲れもたまっている。
更に言えば、シュムが魔導に関して学んだのはごく基礎で、人の結界を塞ぐなどという高等技術をこなす自信はかけらもない。そもそも、結界の補修よりも張り直した方が簡単なことが多い。だがこの場合、壊れかけの結界を取り払うことはシュム一人でもできるかもしれないが、これほど強固な代物を張り直すのは、少なくともシュムには無理だ。
…大体、結界の一部だけ破るってどんだけ器用。
今更ながらそのことに気付いて、シュムはげんなりとした。あの少年は王子だから魔力は封じてしまうのだろうが、きちんと修行をすれば、シュムとは真逆の、さぞ器用な魔導師になったことだろう。その役に立たない有能さが、こんなところで裏目に出ると誰が考えただろう。
「被害受けてるの、関係ないあたしたちだし」
はあ、とこれは溜息と共に声に出して押し出し、シュムは、光柱を恨めし気に見上げた。
今更投げ出すつもりはないが、色々と考えた結果、結界の穴をシュム一人ではどうこうできるものではない、との結論が出た。そうとなると、あちらから何かがうっかり迷い出た場合を警戒して見張っているのが無難なところか。誰かが駆けつけてきたときの説明も、現物が近くにあればやりやすい。
休んどこ、と呟いて、シュムは仰向けに寝転んだ。
すっかり夜は明けて、空の青さも先程よりは深まってきている。風も心地よく、うっかりとすると寝てしまいそうだ。鳥獣は先日行ったときも気配がなかったが、虫の声すらなくなっているのは、結界の穴から漂うあちらの空気のせいだろう。
シュムが魔法陣を描いたときも、どれだけ動物や虫がいる場所でも静まり返る。おそらく、そういったことをはっきりと感じ取れないのは鈍感な人間くらいのものだろう。
「問題は、あっちとこっちの壁が薄いってのがどのくらいかってところだよねー。ディーが来てたときから変わってるみたいだし」
居眠り防止に声に出して言ってみたが、ディーの名を口にして、居たたまれなさが甦る。
シュムは、今まで一度として自分を思慮深い性質だと思ったことはなかったが、それでも、そのことをこれほど悔やんだのははじめてだ。言わなくていいことというものがある。シュムだって、今でこそはっきりと自覚したが、それ以前にアンジーのことを、心の支えだったんだね、などと他人に言われていたらどう思ったか。
それに。
もしかして、その人に対する「好き」は恋愛感情だったのか。
シュムが考えなしに口にした時点では、単に友人として、程度の想定だったが、あのディーがあそこまで取り乱したとなると、男女としてのそれだったのかもしれない。だとすればなおのこと、今更しかも無関係のシュムからは言われたくなかっただろう。記憶も、完全には思い出になりきっていなかったようだし。
恋愛ねえ、と、シュムは更に考えを転がした。
「師範実はかっこいいけど、お父さんとかお兄さんがこんな人だったらよかったのになーってくらいだし。師匠は師匠だし。カイとかディーとかあっちの人たちもそういうのじゃないしなあ。そもそもそんな対象がいない? …まあ、それならそれの方がいいか」
本来のシュムの年齢であれば、もう子どもがいてもおかしくはない。むしろ、いなければ遅いだろう。元いた農家であれば尚更だ。それが、シュムときてはまだ子どもの姿で、この先何をどう間違っても、身ごもることはないだろう。
そうであれば、はじめから望まない方が幸せなのかもしれない。成長しない幼女に好かれて嬉しい成人男性もいない…ことはないかもしれないが、少ないだろう。
つまりこのままでいいのか、と妙なところで結論と決め込んだシュムは、カイ遅いなーとぼやいて。げ、と声を上げた。
「なんでこう…こっちは丸く収まってくれないんだろ…」
あたし何かしたかなー何もしてないよねまだ、と虚ろに呟くシュムの視線の先には、どう考えても光柱よりもずっと大きなサイズの異形が浮かんでいた。
「あの大きさどうやって。実は折り畳めたりするのかなあの体…」
結界に邪魔をされてどれほどの強さかは窺い知れないが、とりあえず、話をして来た方がいいのだろうか。素直に帰ってもらえるならそれがいいに決まっている。結界内では向こうも動きにくいだろうから、話が決裂しても即座に叩き潰されるということはない、と思いたい。
あーあ、と溜息を残し、シュムは立ち上がった。折角多少は回復したというのに、またあの辛さを味わいに行かなければならないのだと思うと気が重いが仕方がない。
「シュム」
「あれカイ、いつの間に。師範は?」
「見つけられなかった。…水車が外されてなくなって、小屋には誰もいなかった。周辺に跡もない」
「…川下り?」
「だろうな」
こんな状況だが、やっぱり師範は師範だった、と、不安定だろう水車での川下りにつき合わされているはずの人攫いたちに同情する。
「まあそれなら、こっちに巻き込まれないで済むだけマシ…ってことにしとこう。あ、カイ、あそこの空飛ぶ猿みたいなのって知り合いだったりしない?」
「あ?」
どんな道筋を辿ったのか、カイは光柱の辺りに浮かんだ「魔物」には気付いていなかった。が、シュムに指し示されて顔をしかめる。
「離れるぞ」
「えっ?」
険しい顔のまま、シュムの胴をつかんで担ぎ上げ、走り出す。シュムは、ぽかんとしてその顔を見上げた。
「…知り合い?」
「何であんなのが来てるのに気配も判らないんだ。土地のせいか?」
「まあそんな感じの…あ、その指輪も。結界作ってるからそれで遮断してて。で、カイ、どこまで行くつもり?」
忌々しげに、シュムを抱えたまま器用に外した指輪を投げ捨てられそうになって、慌てて回収する。その間もずっと速度は落とさず、もう少しで道を曲がって進めば街に出るのだが、遠ざかって、昨日シュムがディーを呼び出した辺りに向かっているようだ。
カイは、ちらりともシュムに視線を寄越さない。
「離れる。とりあえずこの街を出て、村でも街でも、何個か挟んだ方がいい」
「何それ。ちょっと待って、止まって、カイ!」
じたばたと暴れるが構わず走り続け、シュムは、両手をカイの足目掛けて叩き込む、が、顔をしかめて少し速度が落ちただけに終わった。
「カイ! そんなにまずい奴? それなら放っとけないよ、師範だってアズだっているのに、他にもたくさん人がいるんだよ!?」
「自分の心配してろ」
急所を狙って、思い切り遠心力をつけた剣の鞘を叩きつける。
さすがに倒れ込んだところで手を振り払い、シュムは、カイを睨みつけた。
「カイの馬鹿。あたしだけ助かっても意味ない。敵わなくたって時間稼ぎくらいできる。何も知らない人たちを襲わせるわけにはいかない」
「それなら…シハンと妹、探してくるから。お前は逃げろ」
「そういう問題じゃない。…心配してくれてありがとう。嬉しいけど、知ってるのに何もしないで自分だけ逃げ出すのは厭。帰り道開けるから、落ち着いたらまた遊ぼう」
「っ待て!」
カイに腕を掴まれたときには、魔法陣は開いていた。手が痛いが、力任せでないことは判る。カイに力いっぱい握られれば、簡単に折れるか引きちぎれるかするだろう。
体が、だるい。
「…開けたよ?」
「置いていけるわけないだろ!?」
「………何をやってるんだ」
「あ。ディー」
カイの帰り道として開けた魔方陣は消え、描かれていた場所には、年齢不明の黒尽くめの男が立っていた。
シュムもカイもぽかんと見上げるが、ディーの方でも、顔にこそ出ていないが場違いは察したのか、困惑したような気配が感じられる。
結果、三人ともが言葉を見失って見詰め合う。
「シュム」
「はい?」
「…すまなかったな。みっともないところを見せた」
「え。いや。謝られるようなことじゃないっていうかあたしが考えなしなせいで、こっちこそごめん」
「いや」
「何があったんだ、昨日」
訝しげなカイの声に、シュムはとっさに何でもない、と空いている方の手を振ったが、つかまれている腕のあたりに視線を感じてディーを見ると、淡く笑んでいた。その視線は、カイへと移される。
「いつか話す」
何だそれ、と戸惑ったカイからシュムへとディーの視線は更に移り。
「それを謝りたかっただけだ。悪いが、帰らせてもらえるか」
「あ、うん、またね」
青い燐光を浮かべた魔法陣に消えていったディーを見送り、シュムとカイは、ぼうっとしたように顔を見合わせた。そうして、ほぼ同時に、叫ぶ。
「カイ一緒に帰ればよかったのに!」
「あいつに手伝わせりゃよかった!」
ん? ともう一度顔を見合わせ、互いのなんとも言い難いかおを目にして、とうとう笑い出してしまった。ひとしきり笑って、また互いの顔を正面からのぞきこむ。
「逃げないなら手伝うから、ここでお前置いて帰れとか言うなよ」
「うん、ありがとう。それで結局どういう相手なのか、ちゃんと教えてね」
柔らかく、風が吹いた。
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