遭遇

 通常、召喚には時間と手間と魔力がかかる。

 召喚。カイ風に言えば、こちらとあちらの世界を繋ぐ、扉を開くこと。

 ごくごく大雑把な流れでいえば、適切な場所に魔法陣を描き、魔力を注ぎ込んで適切な呪文を詠唱する。ただそれだけのことではあるのだが、場所の見極めに始まり、魔法陣の型は当然、描くための道具や一緒に添えるものまで多岐に亘る。

 更に、呪文は大きな術を使うほどに長いものと相場が決まっていて、数時間かかるものはざらにあり、丸一昼夜、という代物まである。中には、複数で交代に唱えることを前提に、数日がかりや月単位でのものさえある。

 これらの手間暇は、術を発動させることそのもののためでもあるが、一部は、必要な分量を引き出すための対策でもある。術者が扱いきれない力を喚べば、下手をすれば国くらい滅びかねないためだ。

 これらは、何も召喚術のみではなく、多くの魔導に当てはまる。

 かといって毎回そんなことをやっていれば手間取るため、呪文をあらかじめ吹き込んでおき、あとは発動させるだけ、といった特殊な小道具も使われることが多い。

 そんな一般常識の中で、シュムの召喚術は、いっそ笑い出されるほどに例外だらけの段取り抜きの代物だ。

 ただ、思い描いて念じればいい。特定の相手を喚びたければ、一緒に呼びかければいい。真面目な魔導師が知れば、呪い殺したくなるような簡単さだ。ただ、普通であれば働く安全装置がない状態でもある。

「久しぶり、元気?」

「…用がないなら帰るが」

「しっかりあるよ。お茶飲む?」

 青い燐光を放った魔法陣の上に現れた男は、胡乱そうにシュムを見下ろした。が、握手を求めるように伸ばした手をそっと取る。

 シュムは笑顔になって、城で借りてきた野外の湯沸しセットで用意していた茶を入れた。

「ちょっと、ディーの知識を拝借したくて」

「あいつは、またこちらに来ているのか」

 カップを手渡し、シュムも自分のものを手にして腰を下ろす。カイ以上に長身の男と並んで座ると、傍目には親子くらいに見えるかもしれない。もっとも、あえて人通りのない街外れの森を選んでいるのだから、目撃者はいないだろうが。

 シュムは、ついさっき別れた、不機嫌そうにむくれた顔を思い出す。

「カイ? 一緒に来るかって訊いたけど、やだって。育て方間違えたね、ディー」

「育てた覚えはない」

「充分親子だと思うけどな」

 あちらの世界では、必ずしも子育てをするわけではない。産み落とされた途端に捨てられることも多々あるらしいのだが、シュムの知るカイとディーの関係は、こちらの世界での親子や師弟に似ていると思う。

 ただ当事者たちは、決して認めようとはしないのだが。それもまた、仲が悪いと思いこんで逆に意思疎通が取れている父と息子のようにさえ見える。

「御託はいい。用件は何だ」

「ああ。あっちの方に古い封印があるらしいんだけどね、何か心当たりない?」

 シュムがディーと呼ぶこの男は、あちらの世界ではかなり古参で地位がある、つまり実力の持ち主なのだという。正式な手順を踏んで召喚しようとすれば、どれだけの時間を費やさなければならないか、シュムとしては考えたくもない。

 それよりも今大事なのは、長く生きている、という部分だ。

 見かけだけではせいぜいが壮年、下手をすると青年にすら見える男は、眉間のしわを一層に深く刻んだ。それだけで、やたらと威圧感がある。シュムも、今までの付き合いがなければ逃げ出しただろう。

「何か…あるのはわかるが…。近くに行って大丈夫か?」

「うーん、それもわからないんだよねえ」

「…ここがどこかも知らないのだが」

「あはは。リーランド、って地名言って判る?」

「いや」

「だよねー」

 馬鹿にしたわけではなく、単なる同意だ。

 彼らにとってこちらの地名があまり意味を持たないことくらい、シュムにもわかっている。何しろ、どこに喚び出されるかは召喚者次第で、喚び出されてからも、地名の理解が必要となることは少ないだろう。

「どうしようかな。とりあえず、近くまで行ってみようか?」

「…何か知らんが、あまり妙なことで呼んでくれるな」

「厭なら帰り道開くけど、手伝ってもらえると助かるなあ」

 にこりと笑うと、溜息をつき、ディーは案内をしろと言って立ち上がった。

「ありがとう」

「…いや」

 素っ気無く、こちらを見ようともしない。カイもディーも、そういったところの反応がやたらと似ていることには気付いていないのだろうか。

 まあいいか、と呟いて、シュムは先に立った。散歩のような気楽さで、歩き出す。

 髪の色といい瞳の色といい、揃って人にはない鮮やかさで一目で人外と判ってしまうカイと違って、ディーはシュム同様に黒一色でわざわざ変装する必要もない。

 それでも、気配が違うのは判る者には判り、街には魔導師ギルドの本拠地も多いので、城下街のふちをなぞるように移動する。それほどは距離のない場所を選んだから、あの妙な森まではすぐだ。

「この辺りには、大きな湖はあるか?」

「え? うん、城下街の向こう、あっちの方」

 突然の質問に、シュムは、街が水を引いてきている湖のある方向を指差した。間にすっぽりと城下街が入るために見えないが、子どもなどは海と勘違いするくらいには大きい。

 そうか、と応えたディーの声音が少し柔らかく、シュムは、年齢のさっぱり読めない男の横顔を見上げた。遠くを見る眼にも、何かを懐かしむような色が浮かんでいる。

 何を思い出しているのか興味はあるが、訊いていいものかと躊躇っていると、視線に気付いたのか、シュムを見たディーが少し笑った。

「まだあの城もなかった頃に、来たことがある」

 それは一体何年前だ、と乏しい歴史の知識を手繰る。この国は、周囲の国々に比べても飛び抜けて長い歴史を持っているわけではないが、それでも、あの城自体ができていなかった頃となると、数百年は前か。

 それだけの年月をあっさりと語れることに、寿命の長さが違うのだったと改めて実感する。シュムのような、人としての長生きではなく、彼らは桁違いの命を生きる。そこまで違えば、数百年前は数年前と同じような感覚になるのだろうか。

 寿命通りにいけば一般的な人よりも長く生き続けることになるシュムは、それであればほんの少しだけ、羨ましいと思う。

「大分変わっているが…山の形は、それほど変わっていないな。おそらく、あの辺りだろう。知己が住んでいた」

「…知己って、住んでたって、人?」

「ああ。そうだな、お前に少し似ている。魔法陣で俺を呼び出しては他愛のない話に付き合わされた。迷惑な奴だった」

「その人のこと、好きだったんだね」

 思い出しているのだろう、眼も言葉も優しくなっていて、何気なく出た言葉だったのだがディーは、ぎょっとしたように足を止めた。シュムを見る眼に、何故か、怯えめいたものが潜む。

「…違う」

「え、でも…」

「違う。ただ、妙に馴れ馴れしくて怒る気にすらならなかったから、だから付き合っただけのことだ」

「先にいなくなる人を好きになるのはこわい?」

 口にしてすぐに、後悔した。

 シュムは怖いから、確実に自分を置いて歳を取って去って行く人に取り残されるのが厭だから、師匠や師範はもう仕方がないとしても、なるべく人付き合いには深入りしないようにしている。

 共感めいたものを感じて放ってしまった言葉が、ディーを直撃したことに気付いて、シュムも動けなくなった。

 謝るようなことではない。だが、ディーは懸命に目を逸らしていたのかもしれない。そこを、何気なく射抜いてしまった。

 今までも、カイが言うほどに無感情でも無表情でもないとは思っていたが、こんな風に動揺したところは見たことがない。

「ディー、あの、あたし」

「シュム、ここがあの場所なら、封印の見当はついた。俺を呼び出していた女が利用していると言っていた、こちらとあちらの境界が薄くなっていた場所だろう。一度あちらで抗争が起きたときにそこを突き破ろうという動きも出て、こちらにも影響が出たことで警戒して封印でも施したのだろう。用件はこれだけか」

「うん…」

 やはり謝ることもできず、シュムはただ、帰り道となる魔法陣を描いた。

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