遭遇

「何か見つかったか?」

「…あー…はいー。ごきょーりょくありがとーございまーす」

「だ…大丈夫か…?」

 リチャードが、資料を読み疲れたシュムに、怯えの混じった視線を投げかける。

 貴重な書を全て解放してもらっておいて言うことではないが、ここまでくたびれたのは整理が中途半端だったからでもある。それでも、ある程度までは分類されていたのだから、やはりここは感謝すべきだろうなあと、シュムは回転の重くなった頭で考えた。

 書庫の入り口で立ち止まってしまったリチャードの背後からひょいと、ファウスが顔をのぞかせた。

「厨房で作ってもらって来たぞー」

 リチャードの頭上から、湯気の上がるトレイを見せびらかす。甘い匂いが漂い、そこには、四つのカップが並んでいる。

 シュムは思わず、叫び声を上げた。

「待った! ありがたいけどとにかくそこで待機!」

「んあ?」

「書庫に火気水気厳禁! そんなだから師匠に立ち入り禁止とかされるんだよ師範はっ!」

 疲れも吹っ飛んで、背筋を冷や汗がだだはしる。手書きで写すしかなく複製に手間のかかる書の、その上貴族の持ち物ときたら。しみ一つ作っただけで、どれだけの損害になるのか。ファウスのせいでカビの生えた魔導書を思い出し、気が遠くなりそうになる。

 が、ファウスと揃ってリチャードもきょとんとしているのに気付いて、一度は去った疲れが倍になって返ってきた。貴重さも判らない世間知らずどもめ、と思うが、呻き声すら出ない。

「とりあえず休め?」

「はーいー。出るから、そっちいくから。入って来ないでくれぐれも」

 ファウスなど、あからさまにわからないという顔をしているが、それでも大人しく待っている。シュムは、必要な資料を分けて置いていることを確認して、よろよろと立ち上がった。

「…何やってんだ、シュム?」

「あれーカイー?」

 廊下に出てみれば、呆れ顔のカイが立っていた。そういえばカップは四つ、と、これは記憶を手繰ったというよりもファウスの手元を見て気づく。

 書庫の隣の空き部屋に移り、椅子を見つけて座り込み、シュムはようやく一息ついた。一度に文字の山を追いかけたせいで、頭痛がするような気がする。本の虫だったラティスと違い、シュムは、どちらかといえば敬遠していたほうだというのに。

 手渡されたカップを掌で包み込むようにして持ち、シュムは、行儀悪くひじをテーブルに乗せた。

「ちゃんと飯は食ったんだろうな?」

「はいー」

 食事が活動の基本だ、というのは、目の前のファウスに散々叩き込まれている。昼食は、リチャードを通してこの部屋に届けてもらって、流し込むようにではあったが平らげている。

 湯気を上げるホットチョコレートをすすると、熱と甘さが身体にしみ渡った。じんわりと、停止寸前だった頭が活動を取り戻してきてくれる。

 そこでようやく、リチャードとカイが呆れたように見ていることに気付いた。が、リチャードはシュムが気付いたことに気付いたようで、慌てたように目を逸らす。

「何か、役に立つようなものはあった?」

 誤魔化すための問いかけではあっただろうが、気になっていたのも本当だろう。

 大まかな話しかしていないというのに、リチャードが素直に協力してくれたのは、やはりあの王子の存在があるのだろう。

 ただ、古い家柄ということで、あの場所のことで何かしらの資料が見つかるかもしれないと思って調べさせてもらっていたのだが、素直に肯いていいのかどうか迷うところだ。

「…まだ、細かいところまでは読めてないんです。大雑把に関係のありそうなものを選り分けただけで、だから、まだもう少し、書庫をお借りしてていいですか?」

「ああ。叔父上は来られたか?」

「いえ。お忙しいんじゃないですか?」

 一応、レオナルドあたりに何をしているのかと問い詰められたときのために、メイド服に着替えた上でリチャードに調べものを頼まれたとの言い訳は用意していたのだが、使う機会はなかった。書庫に入ってから顔を会わせたのは、昼食の用意ができたと呼びに来たメイドだけだ。

 そんなことを思い出しながら、ホットチョコレートのおかげか、シュムの頭はいくらか回転を取り戻しつつあった。

 選り分けた書をこれから精読するのは本当のことだが、これまでにざっと読んで感じでは、どうも、直裁に書かれたものはなさそうだった。ただ、どれもがあえて避けて書いてあるだけでも、何かがあるのは確実らしい、との傍証にはなる。

 回りくどい上に結局それが何かは判らないだろうから、無駄足といえば無駄足だが、もしかするとちゃんと書かれているものがあったり、推測の材料くらいはあるかもしれない。ちなみに、リチャードに訊いたところ、特に何かを伝え聞いているということはないらしかった。

 ただ、まだ後見人を置くほどには幼く、両親とも早くに死に別れている。リチャードが知らないだけで、他の貴族連中には知られているということもありうる。もしくは、街の人々の間で何か話されていないか。

 そのあたりの話の収集をファウスにたのんだのだが、のんびりとホットチョコレートを飲む様子からは、収穫があったのかどうかがさっぱりわからない。

「ところでぼっちゃん、ここで油を売っていて大丈夫なんですか?」

「僕はここの招かれざる客なんだ。どこで何をする必要もない」

「ふうん?」

「それよりも、何が起きようとしているのかが知りたい」

 強い眼の光は、あながち嘘にも見えない。

 だがそれだけに、もしも何か、目を覆いたくなるような事実が発見されたとき、悩むことになるのではないか。それを報せるかどうか、をシュムが悩むつもりはない。むしろ逆に、知るべきことなのかもしれない。

 貴族とは、そういった「職業」だ。

 一般の者よりも多くのことを知り、その分重圧や秘密を抱え、広い世界のことを動かしていく。だから彼らにとって、知ることは義務ですらある。…と、ラティスやファウスが言っていた。

「わかった。それじゃあ師範、何かわかった?」

「いんや。行く気にならないだとか生き物を見ない、幽霊が出た、って話は聞いたが、原因を知ってそうなのはなかった。いつから、ってのもよくわからなかったな。じーさんのじーさんの頃から、なんてのも聞いたから、相当昔ってことくらいか」

「そっか。ありがとう、師範」

 にっと笑顔が返される。それがどれほど心強いか、一応とはいえ独立した今になって、ようやくわかる。

 わかっていたつもりで、思っていた以上に庇護を受けていたと、知るのは後になってからのことだ。それが、今ならわかる。

「で、カイはどうして?」

 我関せずといった体でホットチョコレートのカップを抱えていたカイが、ようやく顔を上げる。ちらりとファウスを見たが、笑うだけで何も言わないのに諦めたように口を開く。

「いきなりこの馬鹿に引っ張って行かれたんだよ。何だありゃ。かなり古い封印だぞ」

「…師範、何やってんの」

「だって魔界関係だったら、こいつに訊いたら早いだろ? 時間余ったから、ついでに」

 礼を言うべきか怒るべきか、迷う。何もなかったから良かったようなものの、何かがあってからでは遅いのだ。この人は何も聞いてなかったのか、と思うが、反面、獣じみた勘の良さも思い出す。

 結局、出たのは溜息だけだった。

「封印って、何を封じたものかとか、わかる?」

「さあな。ただ…」

「ただ?」

「扉の気配がした」

 扉とは、この世界とカイらの暮らす世界を繋ぐもの。つまりは、シュムの魔法陣のような。

 だから一体何があるんだあそこは、と、シュムはげんなりとした。甘いホットチョコレートを飲み干して、糖分に助けを求めてみる。

 そこではたと、思いついた。時間があって、貴族は知ることが義務で。そして、古い封印。

「ねえぼっちゃん、時間ありますか? 当然、文字は読めるし文章の要約だってできますよね?」

 困惑顔のリチャードたちを見つめ、にっこりと、シュムは笑った。

「そうだよね、知ってる人に訊けば早いんだ」

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