「大馬鹿様だ」
王子の弟をつれて潜んでいる一行がいるという水車小屋を遠目に、シュムは思わず呻いていた。気分の問題だけでなく体調も、悪い。
そんなシュムを、ジェイムスとファウスとがやや不思議そうに見遣る。
シュムは、二人分の視線を受け、多少ふらつく頭を抑えて溜息を落とした。
「師範はともかく、王子、何も感じない?」
「何も、とは?」
「あー王家は魔力は封じるのが基本、だったっけ、師範?」
「ああ。魔導と権力は分断するってのが建前だからな。そのために魔導師を抱え込むってのも笑い話だが。ん? それ関係で何かあるのか?」
「一切合財感じないってのも、それはそれで便利そうだね。今はじめて、師範が羨ましいかもと思った」
「はじめて?」
平淡なシュムの言葉に引っかかりを拾ったファウスを放置して、シュムは、もう一度小屋に目をやった。あんなところで粉を挽いて暮らす変わり者は、よほどの鈍感か大物だったに違いない。そして、今潜んでいる者らも。
魔力は、概ねどの生き物にも、場所にもある。それを全く持たないファウスはシュムの体質よりも余程特殊なくらいだ。そして、持たないということは、感じることもできないということでもある。
視界が歪むほどの脳を揺さぶられるような感覚に耐えながら、シュムは、どうにか考えをまとめようとする。が、すぐに、無駄な努力に気付いた。
「一旦、撤退」
「は?」
呆れ返ったジェイムスの声を無視して、シュムはさっさと立ち上がった。ふらついたところを、即座にファウスが抱き止める。
撤退といっても、そう戻る必要はない。ここは街外れの森の奥だが、途中までは、そう問題はなかったのだ。
――大体、城のごく近くにこんな場所放置してるなんて何考えてる?
一歩ごとに不調がましになり、ある瞬間に、嘘のように消え去った。そのことで、シュムは確信する。放置ではなく、おそらくは、故意の配置だ。
魔力は、あるだけで様々に影響を及ぼす。何か狙いがあって――その中身までは今のシュムでは見当がつかないが、とにかく、何かしら目論んでのこの状態なのだろう。
シュムには読めないが、おそらく結界が張ってあるはずで、それが何よりの証拠だ。
「ありがとう、師範。もう大丈夫」
師を見上げると、にっと笑ってシュムの頭を撫でるように叩き、離れた。子どものようではあるが、本当は実に頼れる人だと、シュムは知っている。
「エバンスはあそこにいるんだ、何故引き返す!」
「弟さんも、魔力は封じてある?」
「…は?」
苛立ちをぶつけ損ねた王子の間抜け面に、説明しなくちゃならないのか、と、シュムは溜息を飲み込んだ。上手く話せる自信はない。
しかし、考えあぐねているよりは、わかるまで言葉を重ねた方がましだろう。
「どっからどう言えばいいのか…あの小屋のある辺り、どうも魔力が強いみたいでさ。師範は魔力が欠片もないし王子は封じてあるから、ほぼゼロと考えていいんじゃないかな。だから二人は影響ないみたいだけど、そうでなかったら結構な攻撃ものだよあれ。あたしも気持ち悪かった。あそこじゃあまともに考えられないからこうやって移動してきたわけだし」
「…簡単には。だが、本格的な儀式はまだ…あと二月もすれば行う予定だ」
「ってことは、どの程度の力持ってるかによるけど、拘束されてなくても動けないって考えといた方がいいかなあ。でも、とりあえずの封印がしてあるなら…一応訊くけど、魔力がどのくらいかっていうのは知らないよね?」
知らない、と青年は首を振る。
はじめから期待もしていなかったシュムはあっさりと頷くが、王子は悔しげに顔を歪ませた。
シュムはそれには頓着せず、算段を立てる。ああも魔力の強い場所では、シュムでは動きにくいのもあるが、結界で抑えてある場所で魔術を使って下手なことをすれば、何が起こるか見当もつかない。魔術抜きでやろうとしたところで、それが叶うかどうかが怪しいのがシュムだ。
一応、ラティスに魔力の制御を学んだが――というよりもそれしか学んでいないとさえ言えそうなほどだが、未だ制御し切れていないのが実情だ。だから正確に言えば学んだのは、魔力の制御と無理だったときのいなし方。以前ほどではないとはいえ、暴走がないとは言えない。
本当は、結界の由来やら何やら調べた方がいいのだろう。が、そんな悠長なことをやっていていいものか。
「うーん…やっぱり、お抱え魔導師に頼んだ方がいいと思うけどなあ」
「無理だ」
「無理、ね。本当に?」
「…何?」
「試してみた? 以前に似たような経験があるとか? あったとしてもせめて、ある程度の算段立ててから言ってるんだよね、それ? まさか、考える前に駄目だって思いこんでたりしないよね?」
すっと、王子の表情が掻き消される。
シュムはそれをじっと見詰めて、肩をすくめた。
「正直な話、ただあそこから弟君を連れ出すだけなら簡単なんだよね。師範に突っ込ませて、掻っ攫ってきてもらえばいいんだから」
「方法があるのなら」
「でもそれ、やって大丈夫なのかな?ってので迷ってるんだよね。ただの欲張り誘拐集団ならそれでもいいだろうけど、わざわざこの場所に居るってところがね。魔力が全くない人間は少ないから、虫の予感程度には避けそうなものなんだけど。誰がいるか判らないってことは、魔導師が混じっててもおかしくないし」
「どういうことだ」
「少しは自分で考えてみようか? あの小屋の建っている辺りは、妙に魔力が感じられる。そもそもあったものを放置しているのか丸っきり人工なのかは判らないけど、その状態が故意に保たれているのは確かだと思う。何故、誰がどんな目的で?」
「……父が、何か関わっていると言いたいのか」
無表情に、言葉だけが押し出される。シュムは、その顔を眺めながら首を傾げる。
偉そうなことを言ってはいるが、シュムだって何もわかっていない。魔力と人の行動の間にどれほどの影響があるのかさえ知らず、どれもこれも推測でしかない。それらが全てただの考えすぎだということもあれば、逆に、足りていないかもしれない。
全て正直に打ち明けていいものなら、何も聞かなかったことにして逃げ帰りたいくらいだ。あの場所は「おっかない」と、何かがしきりに警告を喚いているような気がする。
「何も判らないから困ってるんじゃない。知らないなら言っとくけど、無知ほどこわいことはないんだよ。ただの馬鹿の集まりなら力任せに行ってもいいけど、その力をはじくだけの力が相手にあったら、どうしたらいい? 判断できるだけの情報も持ってないんだよ?」
「いっちょ前にラスの弟子みたいなこと言うようになったなあ、シュム」
長く口を閉じていたかと思えば、平気で張り詰めていた空気をぶった切ってくれる。
シュムは、額を押さえて師を見た。力が抜けてはじめて、力んでいたことに気付けたのでむしろこの断線はありがたかったが、それにしても、どんな言い様だ。
「師範…師範からもさんざん似たような事聞かされてるんだけど」
「ん? そーだっけか?」
師の反応にしっかりと視線を逸らしての沈黙を返し、シュムは、一呼吸で話を戻す。
「とりあえず、王子サマはこの場所のこと調べてきて。あたしもこっちで調べてみるけど、多分、お城で訊くのが一番早いんじゃないかな」
「そんな」
「このままじゃ、こわくて手なんて出せない。最悪の話、弟助けようとして諸共に全部吹っ飛ばしたらどうする? お城も、街も、国も、全部」
「まさか」
「そう思う根拠を教えてもらえる? 魔導のことを全く知らずに、どうやってそう判断したのか。聞いて納得できたら、師範に突っ込んでもらってもいい」
王子は、苛立ちを堪えるように顔を歪めた。シュムとしては、頭を抱えたい気分だ。
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