遭遇


「大人しくしててくれないかなぁ」

 ぽつりと、目深に被った帽子の陰で、シュムは呟いた。雑踏のざわめきに紛れ、誰も聞く者はいない。

 勝手に拝借した馬丁の服と帽子に身を包み、シュムは日中の街中に舞い戻っていた。不自然にならない程度に人や建物の陰に身を潜めているシュムの視線の先には、とりあえず服だけは質素に変えたリチャードの姿がある。

 シュムには時間のかかる用事を言いつけ、自分はこっそりと屋敷を後にした。

 リチャードは、シュムがそれを読んでいるとは気付かなかったようだ。メイド頭に前もって頼み込み、こういったことがあったときには、誰かに仕事を肩代わりしてもらえるようにしていた。もっともそれは今朝のことなので、ぎりぎりだったのだが、後手を免れたことには違いない。

 そうやってリチャードがアンジーの働く店に消えたところまでを見守り、シュムは溜息を落とした。

 今回カイはいないから、店の中にまでは入れない。それ以前に、リチャードが何を目的に店に通うのかがわからず、シュムとしては落ち着かない。依頼主の考えは、どの程度正確なのか。

 どうしようかなあ、と道端で空を仰いでいたが、人の近付く気配に、思わず身構える。

「あれ。えーと、アズの」

「シュムだな、台風の目の」

「なんでその呼び名知ってるの」

 おそらく肩を掴もうとしたのだろう手を避けてから目に入ったのは、昨日の昼間に声をかけてきた青年だった。

 呼びかけの名と、切羽詰った様子に目を眇める。

 青年はそれどころではないようで、今度こそ肩を掴むと、焦りのこもった眼でシュムを見据えた。しかし、声は囁くように低い。

「手を貸してくれ。金なら払う。詳しいことはここでは話せない、来てくれ」

「って言われても」

「頼む!」

「そんなこと言われたって、仕事中なんだよ。通り名知ってるなら、そういった分野のことでしょ? ギルドに行きなよ」

「今の倍は払う、だから」

「そういう問題じゃない。大体、どんな話聞いてるか知らないけど、あたしにできることなんてそんなにないよ。経験だって少ないし、他当たった方が断然」

「お前なら、アンジーの姉なら、わかるだろう?!」

 加減を忘れているのか強く掴まれた肩と、どこがどう繋がるのか見当もつかない言葉とに顔をしかめる。

 ここで青年を振り払うのは簡単だしそうするべきなのだろうが、シュムは、迷った。青年の焦りや懇願に嘘がないのは見て取れたし、アンジーの姉という立場が持ち出されたのにも、引っ掛かる。

「アズに何か?」

「違う。…こんなところでは、話せない」

 唇を引き結んだ青年を眺め、溜息を噛み殺す。そうは言われても、そこのところを聞かなくては動きようもない。

「あのさ、駄々っ子じゃないんだから」

「…っ、もう、いい」

 ふっと離れた手とともに、即座に踵を返して走り去る、手前で、服の裾をシュムの手が捉えた。

 勢い余って滑りこけた青年を見下ろし、深々と溜息をつく。

「話だけは聞くよ。誰かに聞かれなかったらいいんだよね? それとも、心配は別のところにある? あ、ついでにこれ交換条件あるから」

「…ありがとう」

 若干忌々しげに吐き出された礼の言葉に肩をすくめる。

 とりあえず、青年が派手にこけたことで注目を浴びてしまっているので、店の出入り口の見える別の場所に移動して、シュムは、風を操る呪文を口にした。声を風で散らして、会話を拾えないようにする。

 そのあたりを説明して、それでどんな事情、と青年を促すと、信じられないものでも見るかのように目を見開いた。が、すぐに消える。残るのは、深刻な眼差しだ。

「弟が誘拐された。居る場所の予想はついてるんだ、手を貸してくれ」

「誘拐ってことは身代金目的?」

「ああ。だが、父は渋っている。いや、正確に言えばもう少し込み入っている。連中は、誰を攫ったのかわかってないんだ。――この国の王子を攫ったことに、気付いてない」

 たっぷりと、数秒の間二人は黙って見詰め合っていた。

 青年の弟が王子というなら当然、その兄の彼自身も王子ということになる。仮にも一国の頂点に近い人物が、こんな街中をふらふらとしているのか。

 笑い飛ばそうかとも思ったが、その前に、王族のみに携帯を許された紋章の刻まれた指輪を見せられる。

「…もしこれが嘘なら、あなたは立派な犯罪者だね」

「違う」

「うんまあ、そうなんだろうね。でも、だからってあたしが助けなきゃいけないってことにはならない。それこそ、ギルドとか、宮廷魔導師に頼めばいいでしょ」

「父上の命が優先される。ギルドなど…むざむざ弱みを握らせるようなものだ」

「どういうこと? 機密保持が第一って聞いてるんだけど?」

「そんな建前を信じているのか」

 頭ごなしに言い捨てられ、シュムの口が尖った。対して、シュムを見る青年――王子で兄というのが本当であれば、確か名はジェイムスといったはずだが、思い詰めたような眼の奥に苛立ちさえ窺えた。

 見張る店からは、まだリチャードは出て来ない。

「あたしもギルドに入ってるんだけど?」

「だがお前は、アンジーの姉だろう」

「……だから?」

「弟を助けたいんだ。お前だってアンジーが大切だろう、わかるだろう?!」 

 シュムは、額を押さえた。

 青年が必死なのは判る。

 自分一人では手が出ないと思っていることも判る。

 だが、そこからこう繋がってくるとは予想外で、飛躍していると思うのだが、果たして当人がどれだけ自覚しているのか。もっとも、自覚していればもう少し説得力のある言葉を選んだだろう。

 妹に対する己の複雑な感情を再度確かめ、シュムは、ふと青年にもそんな煩悶があるのか尋ねてみたい気に駆られたが、今の問題はそこではないと諦める。

 そう、問題はそこではない。

「ちなみに、いつ誘拐されたの?」

「五日前、昼食の後に姿を晦ましたきりだ」

「五日も、放っておいたわけ?」

「俺が知ったのはついさっきだ! でなければ、放置しておくものか!」

 シュムのやや呆れた視線に反応して、問いを重ねる前に青年が喋った。曰く、知人の貴族の領地に行くと言って出かけ、実際行ったものの、予定よりも早くこの城下街に戻り、二日ほどを街の宿で過ごしていたのだという。そのため、知るのが遅れた。

 昨日シュムと話した時点では、弟の行方知れずは露とも知らずにいたらしい。

 どちらにしても、シュムの呆れ顔は維持された。溜息を飲み込んだだけ気を使っているというものだ。だがどうあれ、青年の焦りと後悔はよくわかった。

「話はわかった」

「手を貸してくれるな!?」

 すぐにでも手を引いて駆け出しそうな青年の腕を捻り上げる。痛みに飛び上がったところで、シュムは青年を真正面から見据えた。

「話を理解したって言っただけ。さっきも言った通り、今は別件にかかってるの。で、ここで交換条件の話をしたいんだけど」

「それどころじゃない!」

「いいから聞きなって。展開によったら、そっちにかかれるかも知れない。あくまで、かも知れない、ってことだけどね。いい?」 

「どういうことだ」

「昨夜、あそこの店で男の子と話してたでしょ。十五、六で、身なりだけ質素にしてたけど貴族階級だろうって丸判りの。知り合い?」

 ぴたりと、青年の動きが止まった。じっと、シュムを見詰める。

「あいつが関係あるのか」

「まあね。どうする? 家族のために、知人を売る?」

 そんなことは思っていなかったが、青年の反応についそんな言葉が出ていた。

 自分の声を聞いて、なるほど、と納得するところがあった。青年は、その二つを悩むことができる。天秤で危ういバランスを取るだろうそれがなければ、シュムはこんなことを口走りはしなかった。

 逆を辿って自分の観察結果を知り、シュムは、青年の返事に期待する。

 青年は、シュムを見据えたまま瞳にすら、思考中という以外の色を見せない。王子というのは本当かもしれないなと、ここでようやく思う。人を束ねる者は、効果として使う以外には感情を見せてはならない。そう、旅好きで異様に人脈の広い師範に聞いたことがあった。

 もっとも、さっきまでは駄々漏れだったわけだが。今は一旦落ち着いたということか、他人が絡んで冷静になったのか。

「――わかった。話を聞いてくれてありがとう」

「それで勝算はあるのかな?」 

 さも当然のように割り込んできた声に、青年の動きが止まった。踵を返したところで真正面から顔を合わせてしまった男と、見詰め合ったまま身動きが取れずにいる。

 シュムは、そんな青年の背中越しに男の姿を見つけ、こちらも一瞬停止した。が、即座に立て直す。

「師範!」

「ようシュム、元気してっか。ラスが気にして気にして髪が真っ白になってたぜ」

「師匠の髪はあたしが弟子入りする前から白いでしょ」

「そーだっけか」

 はっはっはと、大雑把に笑い飛ばす。これが、そもそも冗談だったのか実は本気なのかが判らないところが師範だ。

 シュムとカイの剣の師にしてシュムの魔導の師の兄でもあるファウスを前に、その弟子は、溜息をつく代わりに天を仰いだ。きれいな青空が広がっている。

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