遭遇


 夜闇に、シュムはそっと身を潜めた。お仕着せは着替え、傍らにはカイもいる。

 本来、今頃二人は屋敷のそれぞれ割り当てられた部屋で眠りについているはずだったが、それを言えば、二人の視線の先にいる少年も、屋敷にいるはずだった。

「…あれで身元を隠してるつもりなのか?」

「まあ、本人はそのつもりだろうね」


 日は沈んでしばらく経っているが、酒場では逆に、人が多くなる時間帯と言える。シュムとカイは、喧騒に存在を紛らわせ、一度として気取られることなく、屋敷からの道のりを少年について辿ってきていた。

 その少年の格好はといえば、服は上等な部屋着から労働階級が着ているようなものに替えているが、靴までは気が回らなかったらしい。その上、先ほど取り出していた懐中時計も、普段使っている、使い込まれてはいるが上等なものだ。

 カイが呆れるのも無理はない。

 その点、今日の昼間に出会った青年は抜かりなかったといえるのだろう。手で身分の違いは知れたが、口達者なら祐筆とでも学生とでも、言い抜けられるだろう。シュムに対してそうしなかったのは、もしかすると、隠す気がなかったからだろうか。

 それはそれとして、少年の向かう先に、シュムは厭な予感がした。案の定、アンジーの勤め先に入っていく。

「入らないのか?」

「入った途端、アズに見つかって当主にも見つかると思うなあ。ところでこれってやっぱり、あの依頼主の言うたぶらかしてる女、ってのはアズのこと?」

「他に店員がいないならそうじゃないのか」

「…いなさそうだなあ、あそこ」

 それほど大きな店ではない。昼間に見た人数で、どうにか店を回せる程度でしかないだろう。まさか、中年女性の方が相手ではあるまいし。

 シュムは溜息を落とし、だがすぐにカイを見上げた。

「追加で、頼んでいい? あたしの姿を変えるのもできる?」

「見かけだけでいいなら。俺も変えたほうがいいのか?」

「かな。契約書もよろしく」

「このくらいなら、おまけしてやる。…金はあるのか?」

「組合で手付けは受け取ってるから、軽く食べて飲むくらいはあるよ。ありがとう、カイ」

 肩をすくめて応えたカイは、そのままで身を一変させた。短い赤毛をやや逆立てた、少々粋がったような青年姿になる。

 行くかと促され、カイと違ってどこも変わった様子の感じられないシュムは、首を傾げた。

「あたしは? もう変わってるの? 全然わからないんだけど」

「見えるか?」

 律儀に保管してくれているらしいシュムの愛剣をわずかに抜き、その刃に、通りの店から洩れ出る灯でシュムの姿を映し出す。 

 そこには、豊かな金の髪を波打たせる、二十歳そこそこの女が映っていた。どこかシュムの面影が残り、髪の色はともかく、もしも成長できていたらなれていたかも知れない姿に、束の間、シュムは言葉を失った。ただ、見入る。

「シュム?」

「…あ」

 訝しげに呼びかけられ、我に返る。鏡の代わりをしてくれた刃から目を逸らし、カイに笑いかける。

「うん、これなら大丈夫そう。ありがと」

 どこか腑に落ちない様子ながら、カイは、剣を戻して歩き出した。

 カイには、悪気も何かしらの悪戯心もなかったのだろう。ただ、シュムの姿を変えるということで、そして酒場にいてもおかしくないということで、年齢を進め、どこかしらシュムに似た印象を残してしまっただけで。

 その方がらしく見えるからとカイの腕に半ば抱きつきながら、シュムは、溜息を飲み込んだ。師らとの生活や修行はそれなりに充実していて、一応の一人立ちを果たした今も、毎日が新鮮で懸命で、立ち止まる閑すらろくろく無かった。

 しかし今、あったかもしれない未来を見せられたようで、動揺していることに気付く。今更、と思うが、動じないでいられるほどには達観できていない自覚もある。

 再び溜息を飲み込み、シュムは、それらの感情にとりあえず蓋をした。考えても仕方のないことだし、今気にすべきはリチャードの動向のはずだと、自分に言い聞かせる。

「本当に、あいつの相手が妹だったらどうするんだ?」

「んー。まあ、ないとは言えないけどね。アズにはもう何年も会ってなかったし、こういったところで働く女の人は売春込みで仕事にしてることも多いらしいし。でも」

 一度言葉を切り、シュムは、にっと口元を引き上げた。

「違ったら、ただの思い込みであんなこと言ってたのか、思惑があったのかで話は違ってくるね。アズに濡れ衣着せてあたしにも嘘を押し通そうとしてたら、そんな思惑、潰しちゃおうかな」

「…そうか」

 運の悪い奴だ、と、カイが呟いた。シュムは、それを聞き流す。

 しかし実際、あの依頼人の説明と実態が違えば話が変わってくる。何食わぬ顔で見守り、問題は起こらなかったと報酬を頂くのもテだが、故意に嘘をついていた場合は何か仕掛けてくるつもりかもしれない。

 その場合、シュムは目撃者として雇われたことになるのだろう。何らかの事件を起こし、その見せ掛けの事実を証言するために。そしてそうなると、相手とされる女、つまりはおそらくアンジーも、巻き込まれるに違いない。

 そう考えると、依頼者の思い違いでない場合、この依頼を受けたのは運が良かったと言うべきだろう。アンジーにとって。

「それより、これって見せ掛けだけ? 身長とか、どうなってるの? 実際変化してるの?」

「見せ掛けだけだ。誰かと話したりすれば、目線はいつもより上の辺りに向くと思うぜ」

「へえ。便利だね」

「お前もそのくらいできるだろ、あいつに習ったなら」

「んー。基礎は一通り教わったけど、向いてないんだよね、呪文だの手順だの。カイみたいにそういうのなしでできるなら習得したいところだけど」

「さぼりか」

 怠けているとでも言いたかったのだろう、呆れたようにこぼれ出た言葉に、シュムはつい苦笑した。確かに、シュムほど不熱心な弟子はいなかっただろう。そう考えると、師に対して気の毒だと思ってしまう。自分のせいなのだが。

 そんなことを話している間に店に着き、笑顔でアンジーに迎えられた二人は、店の隅の小さなテーブルに陣取った。やはり店内に、他にそれらしい店員や女性客は見られない。

 カイを盾にして観察する目的の少年は、カウンターに座り、昼間の青年と何やら話していた。知り合いなのか、シュムのとき同様に話しかけられたのかはよく判らないが、話の主導権が青年にありそうなのは見て取れる。

「お待たせしました」

 つまみと酒を置いて、笑顔を残してアンジーが立ち去ると、シュムは短く息を吐いた。緊張していたものか、いつの間にか息を殺していたらしい。

 それに気付いたカイが、軽く眉を上げる。

「わからんな」

「何が?」

 気付かれないように注意しながらも少年から目は逸らさず、カイの呟きに訊き返す。つまみの茹で豆を一粒口に放り込み、カイは肩をすくめて見せた。

「妹は、お前にとって一体何だ? 逃げようとしたかと思えば、守ろうとする。ただの他人だろう。血は繋がってるかも知れないが」

 思わずカイの顔を見て、思いだして少年に視線を戻す。豆を指先で弄びながら、シュムは、うーん、と唸り声を漏らした。

 カイと知り合ってからは大分経つが、こうやって向き合うのはそうあることではない。師らの元にいたときにも度々会ったが、カイがどちらかと言えばファウスに格闘技や剣技を教わる方に熱心だったこともあり、あまり話し込むことも無かった。

 おかげでシュムは、カイを友達だと思っているが果たしてカイの方がシュムをどう思っているかすら、知らないままだ。いいところで、暇つぶし提供者だろうか。

 それに加えて、カイの生きる世界では、情や血縁はあまり重視されないと聞く。実際はそうでもないはずだが、弱年者ほど、当事者らもそれを信じているきらいがある。となればカイもということで、上手く、説明できる自信がない。

 少年から目は逸らさず、シュムは、腕組みをした。

「あたしもよくわからないっていうのがほんとのとこだけど。えーと。あたしのうちっていうのが、大人数で暮らしててね。まあ、今ここにいるくらいの人数が常時いる感じ」

「…結構いるぞ」

「うん。それだけの人数がいたけど、義理だとか義務だとかじゃなく構ってくれるのがあの子くらいのものでさ。年齢が近い子も何人かいたし、っていうか兄や弟が何人かと両親もいたんだけどね。従姉弟も、年齢はばらばらだけどわんさか。年の近い叔父叔母もいたかな。でも、今になってちゃんと覚えてるのはあの子とおばーちゃん、って呼んでたけど曾祖母、その二人くらいかな。他はもう、あいまいに混ざり混ざってて、今会っても誰が誰だか判らない自信がある」

「どんな自信だ」

 きちんと入る合いの手に、付き合いがいいと、思わず微笑が零れる。酒を舐めるように飲んで、シュムは、軽く肩をすくめた。

 視線の先では、まだ少年と青年とが何かを話している。

「曾祖母は亡くなってて、あたしが三歳か四歳か、そのくらいのときだったかな。知らない間に開いてた魔法陣に体力取られて寝たり起きたりで、ある程度の子守はあたしに回ってきてたからか、随分懐いてくれて」

 病弱と思われていたシュムは、当時、どうしようもないお荷物だった。子守も、ほとんど見ているだけでしかなかった。そうして子どもたちも、多少知恵がついて来るとそのあたりを察し、家の手伝いを始めるようになると、下手をするとその前から、シュムを見下したりしていた。

 シュム自身、そういうものだと、仕方がないと思い込んでいた。曾祖母が生きていれば、もう少しは違っただろうか。

「あたしのことを慕ってくれて、この体質が判っても気味悪がらずにいてくれたのは、あの子くらい。きっと、おばーちゃんとあの子がいなかったら、あたしもっと捻くれてたよ」

「今以上に?」

「うっわ、ちょっと傷付く。本気で驚いてるでしょそれ今」

「…悪い」

 料理を食べるのに集中する素振りのカイを一瞥して、すぐに少年らに視線を戻す。

「いいけどねー。今も充分ひねくれてるし。まあとにかく、二人が支えだったってこと。正確には、おばーちゃんは思い出としてだけど。でもね、素直に慕ってくれるのって、嬉しいけど気が重くなったり申し訳なくなったりもするんだよ。特に、こっちに引け目があったりするとね。あたしも相手のことを好きな分、恨めしかったり疎ましかったりもしてくる」

「そういうもんか?」

「そういうもの。少なくとも、あたしはそうだよ。だからまあ、師範が見つけてくれて、逃げ出したんだよね。あたし、家出るの家族には何も言わなかった。今更、寒々しい猿芝居なんてしたくなかったってのもあるけど、あの子に泣かれでもしたら困る、ってのが一番大きかったかな。決意が鈍るし、かといって止めたら、あの子を恨むのは判り切ってたし」

 結局よく判らん、とカイが呟き、そうかあとシュムは微苦笑した。

 視線の先で少年が立ち上がり、シュムとカイの夜も、そこで一日目を終えた。明日の朝にはまた、お仕着せを切ることになる。

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