遭遇


「シュム、気をつけろ」

 今度こそ歩き始めると、そっと近付いたカイがシュムに囁きかけた。無言で見上げると、混じりけのない黒い瞳が見つめ返す。

「あれは偉い奴なんだろ。そんな奴が直接、こんな依頼のために出張ってくるはずがない」

「信頼できる人がいなかったとか」

「他の使用人に話をしてあるんだろ。ろくに話らしい話をするつもりもなかったようだし、それなら執事ででも十分のはずだ。おまけに、見習いもせずにいきなり当主専属。疑うなって方が難しい」 

 言われてみればと、カイの言葉をゆっくりと咀嚼しながら頷く。

 シュムも師らに聞いたり書物を読んだりはしているが、対人の、ましてや身分違いのものは経験が浅い。実家は豪農ではあったが、祖父が何かと陣頭に立つ人であっただけに、それぞれの上下関係があるにはあったが、普段はそれほど厳密なものではなかった気がする。

「よくわかったね」 

「俺らを呼び出すのはこういった連中が多いからな」

「なるほど」 

 頷いていると、廊下を曲がったところで人が待っていた。背中に棒でも差し込んでいるかのように背筋ののびた、やはり黒と白を基調とした姿で深々と頭を下げている。

「ミゲル。丁度いい、そちらを頼む」

「かしこまりました」

 短いやり取りで、カイと道が分かれる。何の紹介も説明もなかった。

「誰ですか?」

 男はちらりとシュムを見たが、答えるつもりもないようで声もかけずに歩みを再開させる。シュムは、うんざりとしながら後に続いた。もしもこの依頼中に男に何かあったら、依頼外を盾に見捨ててやろうか、と密かに考える。その場合、残りの報酬はもらい損ねてしまうだろうか。

 そんなことを考えている間にも階段を上り、足が沈んでしまいそうな毛足の長い絨毯を敷かれた廊下を通り、重々しい扉の前でようやく止まる。

「リチャード、入りますよ」

 言葉こそ丁寧だが、返事を待たずにドアを開ける。

 中には、重厚な机と本棚があった。その机について、面白くもなさそうに書類にせっせと判を押していた少年が、不機嫌そうに顔を上げる。淡色の髪と瞳が、いささか神経質な印象を与える。

「叔父上。何か?」

「この間辞めた小間使いの代わりです。今度こそ、辞めさせないで頂きたいですね」

「要りません。どうせ、あと数日で戻るんでしょう。今更、必要ありません」

「リチャード」

「僕のことを勝手に決めないでください」

 他人の目前で何を言い合ってるんだ、とシュムは束の間呆れたが、思い出す。

 この人たちにとって、下働きの者らは人ではないのだ。ただそこにある、家具と変わらない。笑えない冗談だと思ったものだが、事実だったのかと、淡々としながらも険を帯びていくやりとりを聞くともなく聞く。

 それにしても素っ気無い部屋だ、この子がひねて育ったらこの叔父さんになりそうだなあ、などといった感想を掘り当てているうちに、シュムを無視した言い合いは終わっていた。苛立たしげに、依頼主が部屋を後にする。

「あれ。置き去られた」

 ぽつりと呟くと、少年がぎろりと睨みつけた。ようやく、存在を思い出してくれたらしい。

 小間使いとしての教育など一切受けたことのないシュムは、少しばかり困って少年を見た。あの男は、あれで紹介を終わらせたつもりでいるのだろう。執事がついてきてくれた方がましだったのではないかと、疑惑がよぎる。多分、正解だ。

 少年は、不意に目を逸らすと、何かを誤魔化すように指先で机を叩いた。

「下がれ」

「と、言われても。こちらに来るよう言われたのですが?」 

 とりあえず、喋ってくれればどうとでもなる。先ほど作成した契約書には、護衛対象に内情をばらしてはいけないとは書いていない。わざとだ。

 実のところ、魔物相手の契約対策で、書類に関してはある程度胸を張れるほどには得意だ。

「僕が必要ないと言っているんだ、下がれ! お前はクビだ!」 

「ええと。そうやって、何人もクビ切ったんですか? そんなだから、あたしが採用されたりするんですよ。推測するに、諦めず次もその次も来ると思いますよ。大人しく、あたしで我慢したらどうです? どうせ、あと数日なんでしょう?」

「…何者だ、お前…」

「えー、クビにされかかってる小間使い候補ですが?」

「嘘だ」

 即座に否定され、シュムは、不思議そうに首を傾げた。何をどうすればいいものかわからないので、とりあえず笑顔を振り撒いておく。そうすれば、無邪気な可愛らしい子どもに見えるのはよく知っている。

 だというのに少年は、怒りを前面にしつつもどこか怯えたようにシュムを睨みつけ、目を逸らし、睨みつける。何やってんだ、とは思うが笑みは崩さない。

「お前みたいな…そんな風に見る奴が…」

「はい?」

「…出て行け」

 短く、シュムは考え込む。面倒だからとここでうっちゃってしまえば、当然依頼は未達成となってしまう。報酬は入らない。文無し続行だ。

「それに従うということは、まだ貴方に雇われているということになりますが。クビになったなら、従う謂れはありませんし。どうしましょう?」

 困ったように、小首を傾げて見せる。勿論、ちょっとした嫌がらせだ。

 少年は、束の間絶句したかと思うと顔を真っ赤にした。そこまであからさまな怒りを見せておきながら、やはりどこか、怯えが垣間見える。今度こそ、本当に首を傾げてしまう。

「元凶が何かは知りませんけど、怖いものを直視もせずに怒った振りで誤魔化すと、ろくな大人になりませんよ?」

「…僕よりも年下の癖に、知ったようなことを言うな」

「一般論に年齢は関係ありません。とりあえず、怖いものは見定めてみれば案外怖くなくなったりもするんです。ほら、幽霊の正体見たり枯れ尾花、って…あ、しまったこれこの国の言葉じゃなかったな。えーと、幽霊だーって言っててよくよく見てみたらなーんだただの枯れ草が揺れてたんじゃない、っていう話」

 喋っているうちに、少年の表情が呆気に取られたものに変わっていく。 

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、というのは、曾祖母から聞いた話だ。シュムの名付け親でもある曾祖母に関しては、亡くなった時期を思えば意外なほどに記憶が残っている。とにかく、博識な人だった。シュムの幼さゆえの思い込みではなく、他の家族や親戚らも言っていたことだ。

 そんな妙な話を持ち出したことに驚いているのかと思ったのだが、どうも様子が違う。

 ややあって、少年はシュムではなく机の上の書類に目を落とし、ぽつりと声を落とした。

「お前は…叔父に何を頼まれた」

「ご当主のお世話をするように、と。そうは言っても、人の身の回りの世話なんてしたことないんですけど」

「何だと?」

「だから言ったじゃないですか、あたしなんかが採用されるなんてって。我ながら、どうして採用されたのかさっぱりです。お給料いいみたいだから助かりますけど」

 適当に言い繕う。子どもらしい無邪気さを振り撒くが、実のところ、どれだけそれらしく見えるかはよく判らない。大人相手なら通用すると思うのだが、この少年はシュムの外見年齢に近い。今のところその倍ほど生きているから、不自然さを指摘されやしないかと、少々冷や汗をかく。

 そうはいっても、大概は子どもらしくない、とでも勝手に納得してくれるものなのだが。

「ええと。それで、どうしましょう?」

 にっこりと、シュムは微笑んで見せた。

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