遭遇


「アンジーちゃん、こっちこっちー」

「あっ、俺が先だぞ。アンジー、こっち注文頼むよ!」

「うわあ…看板娘だ」

 次に、シュムが渋々と向かったのは昨夜の酒場だった。

 アンジーに会おうとしたのだが、軽食も扱っている店には、見事に男たちが溢れている。どれも健全な陽気さの類だが、視線が一心にアンジーを追っている。上は白髪の老人から、下はシュムの外見とそう変わりない年齢の少年まで。

「あら、姉さん! 大丈夫? あんなに飲んで、気分悪くなってない?」

 シュムの姿に気付いた声に、アンジー目当ての客たちがいっせいに注目する。余波を浴びたカイが、うんざりとしたように肩を落とした。シュムも、心持ち身が引ける。

「…話は後でいいから、先にお客さんの注文聞いて」

「あら、そちらの方は? 昨日の人とは違うのね。お姉さんのご友人?」

「いいから」

「はーい。それじゃあ、後でね」

 悪戯を叱られた子どものような仕草で、アンジーは仕事に戻っていった。突き刺さる視線だけが残される。

 そりゃあ、明らかに年下の奴に姉さんとか言ったら吃驚だよなあ、と、シュムは溜息を殺した。不老長生の体質を知る者はそう多くはない。知っていたところで、噂話程度だろうからそうそう結び付けられるとも思えない。

「昨夜は、ありがとう」

 とりあえず空いていたカウンターの隅に腰を下ろすと、にこやかな笑みを浮かべた頭の薄い男に声をかけられた。ぼやけている昨日の記憶を叩き起こし、店主と認める。

「あ、こんちには。えーとすみません、お金ないんで一番安い食べ物を…カイは?」

「いや、いい」

「一人分」

 そもそも人でないカイは、人のように食物で命をつなぐことはできない。それを得やすくするための契約だが、食べられないわけではないし、カイ自身は食べることが好きだ。だから少々申し訳ない気分になるが、お金がないのは事実だ。

 気遣いに感謝しながら店主を見ると、子どもでもいそうなほどに膨らんだ腹を抱え、うーんと声を漏らした。

「君、アンの身内だって?」

「ああ…はあ、まあ一応は」

 さっきもだが昨夜も、アンジーは「姉さん」を連発していた。興味津々といった調子の店主の視線を受け、シュムは苦笑を返した。

 それに対して店主は、にっこりと笑う。

「あんなに嬉しそうなアンは、見たことがないよ」

 言葉を失ったシュムに気付かず、店主は、アンジーに穏やかな視線を向けた。つられて見てみると、忙しげにしながらも、愛想だけとは思えない笑顔を振り撒いている。働いている以上良いことばかりではないだろうが、楽しそうだった。

 不意に、胸にもやもやとしたものが込み上げる。

 自分の意思で家を、村を出て、働き、優しく見守る人がいる。シュムも、ファウスとラティスに出会えただけで十分に恵まれている。それは判っている。比べるようなものでないことも。それなのに、感情がちくりと反乱を起こす。

「元々、会いたい人がいるからたくさんの人に出会えるところで働きたいとうちに来たんだ。お姉さんと言っていたから、君のことだったんだね」

「…え?」

「家にいては会えないから、出て来たんだと。うちとしては、君に感謝しないといけないくらいだ。昨日もたっぷり払ってもらったし、今日のところはおごりにしておくよ。ああ、明日からはちゃんと代金をもらうよ」

 呆気に取られているうちに、店主は奥に引っ込んでしまった。

 どうやら、料理は店主が作っているようだ。注文を取ったり運んだりするのが、アンジーと四十ほどの女性。店主の妻だろうか。

「シュム?」

 カイに訝しげに名を呼ばれ、我に返る。シュムは、知らずに妹を追いかけていた視線を戻した。

 わかっている。知っている。昔から、アンジーは、アンジーだけは、真っ直ぐにシュムを慕ってくれた。恐れるのでも気味悪がるのでもなく、ごく普通の仲の良い姉妹のように、接してくれた。

 ――シュムがカイと出会ったとき、シュムはアンジーに外見の年齢を追いつかれていた。全て投げ出したくなって、殺してほしいと願った。変わらない体のまま生きる未来を恐れて、止めてもらおうとした。

 それに頷かなかったのはカイの気まぐれだっただろう。

 そして、シュムがそこまで思い詰めたのは、妹のことが好きだったからでもある。好きだからこそ、近くに居るからこそ、嫉妬も羨望も、より強くなる。愛憎は常に表裏一体で、片方が深ければ、その分もう片方も強さを増す。

 シュムは、カイを見てふにゃりと笑った。

「カイとはじめて会ったときのこと、思い出しちゃった」

「今思えば、あそこでさくっと殺しとけば、振り回されることはなかったんだよな」

 カイは、口の端だけで笑って物騒なことを言う。今の姿はどうにも、悪人面が堂に入りすぎている。

「好きで振り回されてるんでしょ。カイって実は、気の毒なくらい人がいいもんねえ。あ、人じゃないけど」

「そんなわけないだろ」

「まあ、そのうちまた頼むかもしれないし」

「ああ…そういう約束、だったな」

 カウンターを見るカイの眼が、ふっと遠くを向く。

 いつか、シュムが生きることを投げ出したくなったら。そのときには殺してくれると、そういう約束を交わした。ただの口約束。しかしそれは、根付いている。少なくとも、シュムの中では。 

「はい、お待ちどおさま」

「わーいっ、ありがとうございます!」

 ぱっと笑顔で顔を上げると、明らかに二人分の料理が手渡された。何か言う前ににっこりと微笑まれ、ありがたく受け取ることにする。

「うーん、いい人過ぎて申し訳ない気が」

「全くね。失礼、隣をいいかな。君がアンジーの姉君だって?」

「…いいって言ってないけど?」

 にこりと、爽やか過ぎて逆に胡散臭く笑う青年が隣に座る。シュムは、その逆隣のカイを見もせず一人分の料理を回し、隠すことなく青年を観察した。

 年は、アンジーと同じくらいだろう。明るい金髪に蒼い瞳と細面が、これまた嵌りすぎて胡散臭い。常を思わせる笑顔と組合わされれば、もはや完璧すぎて怪しい。おまけに、師らのおかげで知識はあるものの実は世間知らずのシュムにすら判るほどに、その手は仕事を知らない。ささくれ一つ見つからない指先は、ほぼ確実に貴族階級だと語っている。その癖服が質素なのは、下働きのものを拝借したのだろう。

 お忍びで遊びに来ているのだろうが、妹は、そんな輩まで釣り上げているのか。ただの遊びだろうと思いつつ、シュムは、ひっそりと溜息を噛み殺した。

「査定は終わったかい」

「そうだね、カモには六十点、友人には十点、アンジーの恋人には五十点、結婚相手にはマイナスってとこかな」

「これは手厳しい」

「そう? まだまだ甘いと思うんだけどな」

 煮崩されたジャガイモを口に放り込んで、シュムは、にっこりと笑って見せた。無邪気に見える子どもの表情なら、お手の物だ。

 いまだ名乗っていない青年は、くすりと笑ったようだった。

「満点をもらうにはどうすればいいのかな」

「どれに関して?」

「一番最後」

 思わず、まじまじと青年を見詰める。ただの軽口だろうと思ったら、案外眼が真剣だ。へぇぇ、と、シュムは心の内で声を漏らす。

 ようやく、青年から胡散臭さが消えて見えた。

「それを本気で言ってるなら、あたしに何を聞いても無駄じゃないかな。あたしはあの子と血のつながりはあってもそれだけだし、あなたとの間に何が起きようと、あの子が選ぶことでしょ。あの子自身が同意するっていうのが第一前提じゃない?」 

 シュムはそう口にしたが、恋人選びならともかく結婚は、往々にして親同士や家などの思惑が絡む。シュムとて、両親や年の離れていた兄たちを見ていればそのくらいのことは知っている。

 だからこそ青年の反応に興味を覚えたが、シュムよりも余程それらに縛られていそうな質問者は、顎に手を当てて考え込んでしまった。

 見ていても仕方がないので、ようやく本格的に食事に取り掛かる。ありふれた料理はだが、全く期待していなかったことも功を奏したのか、随分とおいしい。しかし、食べ終えてもまだアンジーは忙しそうに立ち働いていた。

 こちらも食べ終えているカイと、銅像のように身動きを止めてしまっている青年とに視線をやり、外の通りで鳴った正午の鐘に耳を澄ます。

「カイ、行こう。おじさーん、ごちそうさま」

「姉さん!?」

 店主とアンジーと、ついでに青年が、驚いた顔をする。シュムは、さっさと立ち上がっているカイを促し、アンジーらに手を振った。

 少し歩いたところで追いかけてきた足音は、予想はしていたが溜息の元になる。

「仕事、投げて来ていいの?」

「だって…!」 

 泣きそうな顔で追いかけてきたアンジーの背は、シュムよりも高い。肩を掴んだ手は水仕事で荒れてはいるもののまだ瑞々しいが、やがては老いて、皺まみれになるのだろう。それは、シュムが手にできないものだ。

 今にも泣き出しそうな鳶色の瞳を見上げ、シュムは、少し笑った。幼い日、彼女が後をついて回っていたときのことを思い出す。

「仕事の打ち合わせがあるんだ、今度は閑そうな時間に訪ねるよ。ほら、いい年して泣かない」

「やっと、会えたのに」

「しばらくはこの辺りで動くよ。――今度は、街を発つときは教える」

「…ほんと?」

「うん。今まで嘘をついたことなんて…山ほどあるけど」

「シュム」

 思わず、不可抗力で立ち会っていたカイが声を漏らす。シュムは、あははと笑い、一度視線を彷徨わせてからアンジーに戻した。

「とりあえずもう戻りなよ、アズ」

 瞬間、アンジーの眼が見開かれ、次いで大粒の雫を零れさせる。

「…泣かせること言ったようなつもりはないんだけどな…」

「だって…名前…やっと、呼んでくれた…」

「え、そうだった?」

 昨夜も呼んだ覚えがあるのだが、首を捻るシュムに、涙を拭ったアンジーは、晴れやかに笑った。美人と言うにはいささかの誇張か贔屓が必要な顔が、それだけできれいに映る。

「アズって、やっと呼んでくれた。そう呼ぶのは姉さんだけよ。…本当はね、怖かったの。私は会いたかったけど、姉さんはそんなことないんじゃないかって。憎まれてたらどうしようって」

 気付いていたのかと、シュムは思った。そう思ってから、気付くよなあとも呟く。あの日、シュムは誰にも行方を告げることなく家を後にしたのだから、何かしらの隔意があったことくらい、わかるだろう。

 それでも、アンジーはシュムを探してくれた。今度は、こちらが泣きそうになって困る。

「絶対よ、姉さん。絶対に、また来てね。部屋だって、あそこに住んでくれたっていいんだから」

「ありがとう」

 これにはさすがに苦笑して、しかし思ったよりも素直に感謝の言葉を口にして、アンジーの背を叩く。それはシュムとは違い、既に子どものものではない。それでも、苦労することなく笑えた。

「今度、ゆっくり話そう。ごめんねアズ、黙って行ったりして。あたしを探してくれて、ありがとう」

 また泣き出しそうになったアンジーをなだめ、店に戻らせる。その背を見送ってから、シュムは、はっとして存在を忘れきっていたカイを見遣る。小さく首を傾げていた。

「…何?」

「は?」

「何か、気になったことでも?」

「いや…随分と大騒ぎするもんだなと思って。それよりお前、いいのか?」

「何が?」

「死にたがったのも家を出たのも、あれがいたからだろ。あんなこと言って、いいのか」

 一面を真っ直ぐに突かれる。シュムは、アンジーの消えた方向を見た。

「ねえカイ、アズがいなかったらあたしは、きっとここにはいなかったんだ。きっと、今頃死んでたよ。良し悪しは別にしてね」

「はあ?」

「さ、行こう」

 笑って、シュムは先に歩き出した。

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