日常


「そいつを通すな!」

 叱責めいた強さの言葉に俊敏に動いた門番のおかげで、挟み撃ちにあった。後ほんの数歩で街を出るというのに、道は閉ざされた。

 キールは、無断で拝借して頭から被っていたローブの下から、一直線にこちらにやって来るエバンスを、複雑な気持ちで見つめた。恨めしく、呆れ、苛立たしく、密かに哀れみ、その中に安堵さえ混じっている。

 あまり身なりにかまう性質ではないにしても、寝皺すら完全には消えていない格好で来なくてもいいと思う。視線はやはり、そのまま突き殺されそうにきつい。

 エバンスの顔を知っていたらしい門番たちは、キールを押さえたまま、かしこまった。

「ありがとう、助かりました」

「こちらで連行しましょうか?」

「いや、犯罪者というわけではないんです。後で、酒でも届けます。ええと」

「ハンスであります」

「ヒースであります」

「門番のハンスとヒースですね。ありがとうございます」

 にっこりと笑って、その実、キールを掴む手には力がこもっている。それでも振り払って逃げることはできるだろうが、宮廷魔導師相手では無駄な抵抗に終わるだろう。はなから諦めるつもりはないが、今動くのは分が悪い。せめて、この門番から離れてからだ。

 門番は、賄賂じみた付け届けには慣れているのだろうが、礼を言われるのは珍しいのか、少し戸惑ったように敬礼をした。

 そこから移動する途中、エバンスの肩に小さな鼠が乗っていることに気付き、思わず呻く。

「裏切ったな…」

『あら、何のことかしら』

 つんと、小さな顔を逸らす。エバンスは、不機嫌そうにキールを睨んだ。ユエへの言葉だったのだが、当然ながらそうは取らなかったようだ。

「むしろ、僕があなたに言うべき言葉だと思いますが?」

「…丁寧語のが怖いんでやめてくれ」

「お断りします。この子が教えてくれなければ、指名手配を出さなければならないところでした。無駄に国費を使わせないで頂きたいものです」

『本当、馬鹿よねえ』

 裏切り者、と、今度はエバンスには聞こえないように呟く。

 この一人と一匹とは、夕方に別れた――正確には、一人は置き去りにし、一匹とは別れた、はずだった。

 エバンスが一人酔い潰れ、酒屋の二階にある宿の一室に寝かせ、懐から多少の金を拝借した。これ以上の厄介者になるのが嫌で、城を出るつもりでいた。その結果処分対象になれば、それはそれで仕方がないと覚悟の上だ。

 ユエとは、一緒に来るかエバンスの元に残るかと話し合い、別れの挨拶を口にした。そのときは、ユエもしおらしく見送ったというのに。

『まさか、せっかくの通訳をむざむざと手放すはずないじゃない。あんたは、ちゃんとあたしの言うことをエバンスに伝えてくれなくちゃ』

「横暴だ…」

「どこがですか。職務です」

「いや、あんたじゃなくてそいつが…」

 いよいよ険しくなった顔に辟易として、肩の上のユエを指す。そうすると、わずかに険が取れた。

「言葉がわかるのでしたね、置手紙によると」

 撤回。

 エバンスの懐にあった羊皮紙にしたためた別れの挨拶は、お気に召さなかったようだ。背を、冷や汗が伝う。いかにも「怒っています」と全身で主張しているのに、笑顔なところが怖い。

 宿に戻ったところで、ウェイトレスににこやかに笑いかけて門番への酒の手配を頼み、真っ直ぐに眠っていた部屋に上がる。

 蝋燭の明かりに照らされた部屋は、手紙が置いた場所にない以外はキールが後にしたときとほぼ変わっていなかった。一番の違いは、寝台で眠っていたエバンスがキールの腕を掴んでいることだろう。

「さて、何をしようとしていたのかお聞かせ願えますか」

 退路を断つように、キールを寝台に座らせ、エバンスは、腕組みで正面から見下ろす。養い親に叱られた、幼い日を思い出した。

 ふてくされて、視線を逸らす。

「書いただろ。ここいたってやることないし、国出るから見逃せよ」

「本気ですか」

「ああ。だから、荷造りしててとっ捕まったんだろ。そんなの後にしてとりあえず出ときゃ良かった」

 この部屋を出てから門に至るまでには、それなりの時間がかかっている。空はとっぷりと闇に染まり、門自体も、キールが出れば締めるくらいの間合いだった。

 言葉が通じないはずのユエがどうやってエバンスと意思疎通を図ったのかは判らないが、それも含め、色々と誤算ばかりだ。

「今、そうやって城を出れば君は危険人物とされる」

「実際、危険人物にゃ変わりないだろ。庇ってくれるのはありがたいけどさ?」

 じっと、睨むように見つめられる。

「俺が悲観的なら、君は自虐的だ」

 静かに、言葉が落ちた。

 そうして唐突に、ふっと笑った。怒りを湛えたものではなく、悪童のように。

「死にたくはないから生きる、上等だ。それなら、簡単に諦めてもらっては困る。こうなったら、君と、すまないがユエにも、とことん付き合ってもらう。旅は後だ」

「――は?」

 性格が悪そうに笑うエバンスを、キールは、ぽかんと見上げた。言っている言葉が理解できない。

 腕組みを解いたエバンスは、肩から手の平にユエを移し、申し訳なさそうに声をかける。

「巻き込んですまない」 

『ううん。一緒にいられるなら、何だっていいわ。――ほらっ、ぼやぼやしないで、さっさと伝えなさいよキール!』

「…一緒にいられるからいいって」

 一体何がどうなっているのかがわからないまま、キールは言葉を伝える。エバンスが、直に話せるように術を考えないと、と呟くのが聞こえた。

 待ってくれ、と、喉までせり上がっている言葉が何故か出てきてはくれない。

 そうしていると、ユエを肩に戻したエバンスは、キールの目を見た。薄闇に染まった部屋の中で、蝋燭の光なのか、エバンスの眼が一瞬だけきらめいたような気がした。

「国を離れて、魔物の研究をしたい。人と魔物が問題を起こすことなく暮らすことができないか、できないならできないで、被害を最小限に抑えられないか、魔物との間に生まれた子どもや生き物たちが虐げられたり破壊にはしらず生きられないか。――協力してくれ」

 差し出された手は、それを取れば肯くことになるのだろう。ただぽかんと、キールは見つめる。

「シュムさんを見習うつもりは毛頭ないが、今よりもより善く変えられることはあるだろう? 馬鹿げた夢想でも、悪くはないと思う。そう、思えるようになった」

「……まだ、酔ってんのか?」

「頭は痛い。二日酔いか」

 そこで憮然と言い放つところが、らしい。

 混乱しながらもそんなことを考えつつ、キールは、こっちこそ酒がほしい、と思った。

「勿論、夢想にすぎない。今は。とりあえずは、兄を説得するのが先だな。そのうち、嫌でも旅に出ることになる。知らされていないだけで、魔物と深く関わってしまっている者たちはたくさんいるだろうから。まず、アイリスとカルアには会わないとな」

「それってさ…その、最初の第一歩でつまづく可能性大だと思うの俺だけ?」

「自信がないからこそ、協力を頼んでるんだ」

「何だそれ」

 堂々と口にした情けない言葉に、つい苦笑する。手を、取った。にっと、笑う。

「じゃあ、イヴがうじうじ悩んで立ち止まりたくなったら俺が蹴っ飛ばす。だから、あんたも俺がくよくよしてたら引き上げてくれよ。あー、二人揃って落ち込んでたら…」

『あたしがいるわよ』

「ああ。ユエが噛み付いてくれるとよ」

 ありがとうと、エバンスは笑った。

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