日常


「へえ、俺のお仲間か」

 やや強い一瞥を向けられ、キールは肩をすくめた。いつも思うが、エバンスは笑えばいいところを睨んでくる。いつか、視線で人を殺したりしないか心配だ。

「君にも鎖が判るようにしたから、何かあったときには頼む」

「鎖? ああ、俺にかかってる術と…って、え? 何で俺?」

「居合わせただろう。閑そうだしな」

「えー。いやいいけどさ、あんた意外に横暴だよな」

 ふん、と鼻で笑い飛ばされた。

 そのエバンスの手の平の上に、ちんまりとある灰色の塊を見る。

 昨夜、この鼠が捕らえられたところまでは一緒だったが、夜も遅いから寝ろと部屋に押し込まれ、まともな姿を見るのは今がはじめてだ。

 鎧のように着込んでいた埃は全て洗い落とされ、ちゃんと鼠らしい。それにしても小さい気がするが、子どもなのかそういう種類なのかは判らない。

「よろしくな、…名前は?」

「決まったら教えてくれ。では、後は頼んだ」

「へ?」

 首を傾げてエバンスを見ると、無言で鼠を肩に乗せられた。手を差し出していたのは、見せるためではなく渡そうとしていたらしい。

 いやそうじゃなくて、とエバンスを追おうとしたが、目の前で戸を閉められてしまった。どうせ一日中閑なキールとは違い今日も一日こまごまと忙しく立ち回るのだろうが、それにしても、これはない。

「…なあ、これどう思うよネズ公」

『失礼よ、レディに向かって』

「…………ネズ公?」

『全く、なってないわ。彼を見習いなさいよ。爪の赤でも煎じて飲むがいいわ』

 何か、鼠に文句を言われている気がする。

 肩の上の鼠は、手の平を差し出すと素直にその上に乗り、目の前に持って来ると、心なし、ふんぞり返っている。ぴくぴくと、長いひげが揺れる。

「今お前、喋ったか?」

『あら』

 ぱちくりと、鼠が小さな目を瞬きさせる。右眼が、失明しているのか白濁しているのが痛ましいが、左眼は黒々と光り、キールを見る。

『何あんた、あたしの言ってることわかるの?』

「おー、やっぱ喋ってんな。へえぇ、魔物の血が入ってるとそんなこともあんのか」

 キール同様、この鼠にも魔物の血が流れていると聞いたのはついさっきのこと。魔物そのものではないから、この世界の鼠と魔物の間に生まれたというあたりが妥当だろう、と。

 だからこそキールは「仲間」と呼び、エバンスに睨まれた。

 小さな鼠は、ひくひくとひげを揺らしてキールを見た。

『違うわ。きっと、血のせいだけじゃない。だって、あたしの声はあんた以外の誰にも届かないもの』

 それなら、エバンスがかけた術が副作用としてもたらしたのか。キールはそう推測したが、鼠の声に翳りを感じ取って、とりあえず椅子代わりに寝台に腰を下ろした。

 キールの立場はあまりにも微妙で、城の上層部のほとんどが拍子抜けするほどに歓迎してくれているが、それほど事が単純ではないとは、さすがに判っている。入城する前にエバンスにも告げられたが、キールの存在そのものが他国に正義を掲げた侵略を行わせる理由になりかねない。

 それでも生かそうとする人々を、取り分けエバンスを、馬鹿だと思う。それと同時に、いくら感謝したところでも足りない。

 とにかくキールは、大人しく、できることなら一歩足りと部屋から出ずに過ごすべきなのだ。そもそも、元は物置きとはいえ、きちんと家具を入れた個別の部屋をあてがわれるのはできすぎた対処だ。そう思って、なるべくは部屋にいるようにしている。もっとも、尋ねて来て連れ出す人も多いので、エバンスはどう思っているか判らないのだが。

 鼠は、手を下ろすと寝台に飛び降り、シーツの具合を確かめるようにくるくると歩き回った。

「何か知らねーけど、運が良かったな。エバンスに拾われたなら、まず安泰だろ」

『…あの人、言葉もわからないのに優しくしてくれた』

 鼠は害獣で、普通であれば捕らえればそのまま殺す。だがエバンスは、そもそもの術が捕らえるだけのものだったことから考えても、ただの鼠であっても、生かすつもりだったのではないだろうか。

 優しさと甘さは似ていて、キールにはまだどちらか判断がつかないが、小さな鼠も厄介なキールも、それのおかげでここにいられることだけは判る。

「お前、名前は?」

『ないわ』

「んじゃ、決めるか。言葉が通じるなら早い、名乗りたい名前あるか? なかったら、適当に言っていくから好きなの選べ」

 そうやって、キールが思い浮かぶ限りの女性名を挙げていく。キールに知り合いは少ないが、書を読む時間だけはたっぷりとあったから、候補も少なくならずに済んだ。

 名前が決まった頃には、太陽が高く上がっていた。もう昼近く、随分と時間を使ったことに苦笑する。

「昼飯貰って来るか。一緒に行くか、ユエ?」

『…大丈夫なの? 私たち、場所が判るようになってるんでしょ? 勝手に動いてエバンスに…』

「あー、大丈夫だいじょーぶ」

 律儀にも、エバンスは言葉の通じない相手にも大まかな術の説明をしていたようだ。感心しつつ呆れながら、キールは手を振った。

 エバンスがキールに、そして昨夜は鼠のユエに施した術は、所在地と異変があれば判るようにした感知式のものだ。

 ちなみに、少なくともキールに関しては渋々だった。そんなことをしたくないが対外的には必要と、割り切ればいいところを抱え込み、しかもそれを、出さないように頑張っていた。が、キールにばれている時点で意味がない。

 起き上がって鼠を肩に移すと、キールは少し迷ってから上着を羽織った。潰れないように、ユエごと覆う。

「妙なところにいない限り問題ないし、それにあいつ、多分ほとんど居場所探ろうとしてないし」

 常に判るようにしていれば、キールが部屋の外で声をかけるたびに驚いた顔をするはずがない。全くもって、不器用な馬鹿だ。

 少し歩いたところでその馬鹿に出くわし、キールは目を丸くした。

「忘れ物?」

「違う。とにかく、来てくれ」

「ああ…?」

 妙に切羽詰った様子に、素直に従う。何かまずいことになったのかと思ったが、向かう先が城門と気付いて、今度こそ仰天した。

「ちょっと待て、俺、外出ていいのか?」

「いい。さすがに外までは追って来ないと」

「誰がかな?」

 雷に打たれたように、エバンスの動きが止まる。動きが戻る前に、キールはさっさと振り返った。

「あ、王様」

「そこの冷酷な弟に言ってやれ、城を抜け出すことと側近の目をくらませるのに、俺に敵う奴はそうそういないんだ」

「それ、あんまり自慢できるようなことじゃないと思いますけど?」

「お断りします」

 キールと国王、つまりはエバンスの兄との会話を断ち切って、エバンスは、押し殺したような声を上げた。体の硬直は解けたようだが、睨みつける視線が、形を持っていそうなほどに強い。

 対して国王は、にこやかさを絶やさずに舞台がかった仕草で手を広げる。

「何が気に入らないって言うんだ、我が弟よ」

「陛下におかれましては、臣下を気遣うよりも民草をこそ思いやって頂きたいと愚見いたします」

「家族一人かまえずにいて、何が国主だ」

「私は、あなたの家族ではありません」

 ぴしゃりと言い切った言葉が、まずいものだとキールにさえ判った。唐突に表情を無くした国王を見つめ、エバンスは、こちらも表情を消していた。

「失礼します。お互い、頭を冷やした方が良さそうです」

 くるりと、優美とさえ言える仕草で踵を返す。キールは、立ち尽くす国王も気にはなったものの、肩の上で爪先に力を込めて喚起したユエにも促され、エバンスの後を追った。

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