第三場


  シュムは、枷が外れると、手首をさすりながら「あ―あ、あとになってるや」とぼやいた。

 そうして、外してくれた相手に向き直る。

「ありがとう、助かったよ。今度何か、美味しいものおごるね」

 キーキーと甲高い鳴き声で応えたのは、ハリネズミに似た生物だった。とげの具合といい色といい大きさといい、ありふれたハリネズミそのもの。

 これが枷を外したと言っても、信じる人は少ないだろう。だが事実は曲げられないし、実のところ、この生物はハリネズミではない。

「じゃあ、また今度。本当に、ありがとう」

 もう一度礼を言ってから、シュムは右手の人差し指でくるりと中空に円を描いた。そこに、青い燐光を放つ小型の複雑な模様の魔方陣が表れる。

 ハリネズミもどきは、最後にもう一声鳴いて右手を振ると、その魔方陣の中に飛び込んで行った。そのまま、姿が消える。同時に、魔方陣も跡形もなく消えた。

 シュムの描く魔方陣は、言ってしまえば滅茶苦茶だ。

 無駄に溢れていた魔力を制御する為に師事した先では、何故これで魔獣を呼び出せるんだ、と頭を抱えられた。しかし、生まれて以来勝手に生じていたものなのだから、シュムにもわかるわけがない。

 とりあえず師に正式な魔方陣を多数教わり、それを描けもするのだが、やはり、慣れ親しんだ「無茶苦茶な」魔方陣の方が簡単に描ける。緊急事態や、手があまり動かせないなどの不具合があるときには、かなり重宝している。

 そもそも、シュムが意識して正式な魔方陣を使うのは、魔物と契約を結ぶときで、それはほとんどなかった。

「いや、見事なものだ」

 アルが出て行ったのとは逆の方向、指差していた方向から、男の声がした。見ると、壮年の紳士を絵にしたような人物。いささか声が高くて細いのが、玉に傷と言えば言えるだろう。

 男は、寛大を装うかのように、ゆっくりと歩み寄ってくる。一方シュムの、男を見る目は少々疲れ気味だ。

「全く、見事だ。下等な低級魔獣とはいえ、ああも易々と使役するとはね」

「あんたが、一応の黒幕?」

 使役や契約ではなく、手を借りたのだと訂正する気にもなれない。言ったところで、わかりはしないだろう。非常識甚だしいことだ。

 うんざりとした様子を隠しもせずに言うと、男は一瞬顔をしかめ、思い直したように再び笑顔を貼りつけた。 

「是非とも、その力を私のために役立ててくれ」

「あんたがどのくらい偉くて、何ハーネット様なのか知らないけど、とりあえずそれ、口説き落とす台詞としては最低だと思う」

「私は、協力を請うているわけではないのだよ。君に選択の余地はない」

「それを本気で言ってるなら、よっぽどおめでたいね」

「戯言もそこまでだ」

「・・・いちいちお決まりの台詞を口にしなきゃ気が済まんのか、あんたは」

 精神的な頭痛を堪えて呟くシュムの声も耳に入れず、某・ハーネットは、右手を演出たっぷりに振り上げた。扉の奥から、やはり疲れた顔をしたアルが出てきた。

「やれ」

 短く言って、自分は一歩下がる。その演出に満足しているらしいのが、傍目にも判る。

 シュムとアルは、お互いにやる気のない目を見交わして、力なく笑った。

「変な雇い主、掴んだね」

「僕も、そう思うよ」

 溜息をついて、同時に動いた。

 溜めも無く駆けて、一気にシュムとの距離を無くす。

 一方シュムは、それを見越して寝台へと身を倒す。

 そのまま寝台へと向きを変えるアルに、枕を投げつけた。

 易々と左手に弾き飛ばされた枕が落ちるよりも先に、今度は掛け布団が舞う。

「ちっ」

 視界を覆う布につい舌打ちをもらし、顔を覆う前に左手をぶつけて引きずり落とす。

 しかし、その一瞬の間にシュムの姿は消えていた。

 代わりに死角に、気配がする。

 気付いたときには遅く、天蓋の古いフリルの布が視界をよぎった。

 首から上を布の中に収めて、シュムは、身長差を利用して背中合わせに首を締めにかかる。

 当然の如く暴れるが、それを少し堪え、唐突に手を離す。

 布を外そうと伸ばされた手に、シュムはフリルの残骸の長細い布を巻きつけた。

 固く結び、ついでに頭を覆っている布も解けないようにくくる。

 すうと息を吸い、古い言葉を唱える。眠れと囁くと、アルの動きが止まった。

 そうしたアルを寝台に突き飛ばすと、間髪置かず「雇い主」に駆け寄り、その首に木片をつきつける。天蓋から布を引き剥がしたときに落ちた寝台の一部だが、ささくれ立って尖っている。

「死にたかったら、動いていいよ」

「っ・・・!」

「とりあえず、温泉の覗き魔はお前だな」

 黙り込む男の体は、細かく振るえている。左手で筋張った首を押さえているシュムは、煩わしそうに顔をしかめると、右手で木片を更に深くつきつきつけた。     

 小さな、血の玉ができる。

 それが判ったのか、男はかすれ声の悲鳴を上げた。

「どうなんだ」

 声を荒げたわけでもないのに、男は更に怯え上がった。

「の、覗いていたわけでは・・・わ、私は、そんな低俗なことなどしない!」

「じゃあ何をしていた?」

「こ、香草だ! 香草をとっていただけだ!」

「香草?」

 胡乱そうな声を出すシュムに、男は必死になって抗弁しようとした。

 そのときに、シュムは体の異変に気付いた。考えることが困難になり、体が重く感じられる。

 そこに至ってようやく、薬草に思い及ぶ。遅効性のものを呑まされたか、焚いているのか。

「わかりにくいって・・・」

 眠ってしまって聞こえないアルに、気力で文句を呟く。

 足が重く、手にも力が入らない。あやふやな思考で、この男の付近に元があると閃いて、突き飛ばそうとする。しかし既に遅く、軽く押すくらいにしかならなかった。

 シュムの異常に気付いて、男は残虐な笑みを浮かべた。細い腕を、易々と捻り上げる。

「っ・・・!」

「摘んだ薬草は、乾燥させて焚くと繰人術に使えるのだ。何、すぐに何も感じなくなる」

 ともすると途切れそうになる意識の中で、派手な足音が聞こえてきた。次いで、扉が吹き飛びかねない勢いで開く。

 訝しげに見遣った男は、驚愕に目を見開いた。

「シュム! 無事だな!?」

 掛け込んできたのは、怒りを顕にしたカイとセレンだった。


 - 一覧 - 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送