「ごめん、なさい・・・」
少しばかり、時間は遡る。
消え入りそうな声で謝るセレンを連れて森に入り、カイは密かに溜息をついた。
「どうして謝る?」
「知ってた・・・判ってたの。・・・私のことなんて全然見てないって・・・それなのに、諦められなくて・・・。そのせいで、シュムに・・・あんなこと、言わせた。・・・私が、・・・悪いの」
「それは、シュムも言ってただろ。お前は悪くない」
言い切ったものの、カイは、頭をかきむしるのをどうにかこらえているような状態だった。確かに、シュムの言葉に血の気は引いたが、あれは、形は違っただろうが、いつかは似たようなことを言われただろう。それがたまたま、今回、セレンと関わる形になっただけのことだ。
少し考えてから、諦めたように溜息をついた。そして、黒眼鏡を外すと、紅の瞳でセレンの碧の瞳を覗き込んだ。
「単刀直入に訊く。お前は、俺のことが好きなのか?」
恥ずかしさに顔を朱に染めながら、どうにかセレンは、肯くことで応えた。そうか、と言ってカイが、覗き込んでいた眼を逸らす。少しだけ、照れて頬が染まっていた。
困ったように頭に手をやる。
「何故だ? 俺はお前より、弱いんだぞ? ・・・自分で言ってて、情けないけど」
自分よりも背の高いカイをわずかに見上げて、セレンは優しく微笑した。涙は、ようやく止まりつつあった。一度深呼吸して息を整えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私がシュムの魔方陣に応えたとき、あなたは戦っていたわ。勝ち目のない相手だって、判ってたわよね。私とあなたと、シュムと、三人がかりでどうにか倒せた。そんなものを相手にしていたのに、あなたはシュムを叱りつけたの。俺がいるんだから無駄なことに命を使うな、って」
「そう・・・だっけ?」
わざとか本当にか、どちらにしても決まり悪げに言うカイに、セレンは笑いかけた。
その髪を、風が揺らしていく。
「そうよ。それを聞いて私、なんて馬鹿なんだろうと思ったの。人間との契約に自分の命をかけるなんて、愚かだと思ったわ。でも、契約をしてないって知って驚いた。そんな人間がいるって事にもだけど、あなたに。凄く、驚いたの」
そこでセレンは、また、泣き出しそうに顔をゆがめた。
「気付いてたけど、目をつぶったの。あなたがそんなにも強くて真っ直ぐなのは、シュムがいるからだって知ってたけど、だけど、って・・・思ったの」
「そういうのじゃねえよ」
憮然として、カイが口を開いた。セレンが、一瞬、戸惑った目を向ける。
「あいつとは、約束をしてるんだ」
「約束?」
「ああ。暇だったんだよ。それがあるから、放っておけないだけだ。全部、お前の思い過ごし」
「でも・・・」
「大体、成長しないなんて変な体質で長生きするって言っても、ほんの二、三百年だろ。そんな奴をどうこう思うなんて、無意味じゃないか」
その言葉に、セレンは眉を跳ね上げた。睨むようにして、カイを見上げる。
そこには、涙の跡以外は、先程までの泣き顔は微塵も読み取れない。
「その言い様には異論があるわ。シュムは、私には大切な友達よ。例え、すぐに死んでしまうとしても。無意味なんて言わないで」
「・・・ほんの、一瞬なのに?」
「だからといって、無意味だとは言えないわ。その死ぬまでの時間にあったことが大切なんでしょう? それともあなたは、短い時間ではどうにもならないと言うのかしら。だったら、永い時間だと全てどうにかなると言うの?」
「・・・なかなか、言うな」
「まあね」
にっこりと、非情な独裁者でさえ心を動かされそうな微笑みを浮かべる。きっとこの人が恐れていたのは、いつかは来てしまう別れなのだと、セレンは思った。そしてやはり、思い違いではないとも。
しかしそんなことはおくびにも出さず、カイに向かって、ほっそりとした白い手を差し出す。
「せめてシュムと一緒にいるときだけでも、友達としてくらいは、付き合ってくれるかしら?」
「まあ・・・これが地だって言うなら、な。今まで避けてたのだって、そっちだし」
「そうね。もう、開き直ったわ」
互いに苦笑して、握手を交わす。白い手に、浅黒い手が重ねられた。
そしてセレンは、名残のように薄く、頬を染めた。
「いつか・・・本当の名前を教えてもらうことを夢見ていても良いかしら」
「物好きだな、セレン」
「ありがとう・・・・・・カイ」
軽く肩をすくめると、カイは手を下ろした。元来た方へと背を向けると、ごく自然にセレンがその隣に並ぶ。
人が呼ぶ「魔物」には、知られることを避ける真の名がある。彼らにとって、本名を全て知られることは、相手に命を委ねることになる。だからこそ、本名の扱いには慎重にならざるを得ないし、例え通り名や愛称でも、相手の名を呼ぶのには注意が払われる。
「カイ」も「セレン」も、本名には近いが、飽くまで仮の名だ。それでも、そう呼ぶのを許す相手は限られる。
セレンは、カイに名を呼んでもらえて嬉しかった。自分の本名を教えてもいいと思うが、今それをするのは、両方にとって重荷になるだけだろう。とりあえず、この機会を作ってくれたシュムに、ありがとうと言うつもりだった。
しかし森を出ても、シュムの姿はなかった。代わりに、シュムが片時も手放さずにいるはずの剣が、鞘に入ったまま地面に突き立てられている。二人とも、顔色を変えた。
酔っていても寝ぼけていても、手羽なさいないものだ。その上、わざわざ地面に刺してある。誰かの手が加わっているのは明白だった。
「・・・先に行った、というわけではないみたいね・・・」
「ああ・・・」
「ねえ、これ」
剣を抜きかけていたセレンが、羊皮紙の切れ端を差し出す。鞘と柄の間にわざとらしく挟まっていたものだが、そこには短く、カイやセレンの種族にだけ読み取れる方法で「覗き魔を追え」とだけ書かれていた。
セレンが、困惑気味に眉をひそめる。
「罠かしら」
「いや」
低く簡潔に、否定する。
彼らの種族には、それぞれ固有の気配というものが、人よりも濃く残る。それである程度、各自の占有地を荒さないようにするのだ。そしてカイは、この気配を知っていた。
据わった目で、セレンを見る。セレンは、睨みつけられて思わず身を縮めた。
「案内しろ」
セレンには、肯くより他になかった。
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