第三場


 シュムが目を覚ますと、豪奢な天蓋が目に入った。壮麗なレースで縁取られているが、何年か使われていなかったかのように古びている。

 体を起こそうと一瞬だけ考えて、手首を捉えている固い感触に、あっさりと諦める。

「・・・またここか」

 溜息とともに呟く。

 先日、アルに監禁されかかったのもこの部屋だった。あのときは薬が十分には効いておらず、辛うじて逃げられたのだ。扉に空間を繋ぐ仕掛けを使っていたらしく、部屋を出ると、アルに出会った酒屋の外にいた。

 まさか、もう一度連れてこられる羽目になるとは思わなかった。

「ここまで腐ってるとは思わなかったんだけどなあ」

 深深と溜息をついて、頭を振る。両手を頭の上にある支柱に一本ずつ枷で固定されている為、腕を組むわけにもいかない。だが、足までは固定されてはいないようだった。

「っていうか、事情の説明して欲しいんだけど?」

 早々に当て擦りに飽きて、シュムは呼びかけるように声をあげた。それに応じて、人の動く気配がした。

「なんだ、居ると判ってたのか」

 ゆるく波打った黒に近い深緑色の髪に、赤に近い瞳。肌が透けるように白く、折れそうに細い体をしている。アルは、そんな本来の姿で、寝台に強制的に寝かされているシュムを見下ろした。元から細い眼が、笑っているようにも見えた。

「判るよ。今は、気配消してないじゃないか。それより、近くにセレンがつけた標の感じがする。アルの契約相手が覗き魔?」

「まあ・・・そういうことになるかな」

「・・・って言いながら、頬撫でるのやめてくれない?」

「勇ましいな」

 囚われて拘束されながらも、自分のペースを崩さない。そんなシュムに苦笑して、アルは言われた通りにした。代わりに、軽く少女の頭を撫でる。聞き分けのない子供をあやすかのようだった。

「だけど、勇ましいのも考え物だな。こんなふうに首を突っ込んで、危険な目に逢うなんて。番犬はどうしてるんだ?」

「どうしてそう、カイで遊ぶかなあ」

「反応が面白いからね。それに、随分と君に親しいところも気に入らない」

 椅子を引いて、寝台の傍らに座る。

 シュムは、顔をアルの方に向けて、呆れたような声を出した。

「だからそういうのは、好きな人に言うことだってば」  

「好きなんだよ」

「じゃあ薬なんか盛るなよ」      

「まあ色々あってね」

 そう言って、アルは複雑な表情になった。困っているようにも見える。深く、息を吐いた。

「――甘いよ、君は」

「よく言われる。だけど、そんなことはないんだよ、本当は」

 そう言って、自嘲じみた冷笑を浮かべる。アルは、ぞくりと背筋に寒いものを感じた。

 そうして、躊躇いながらも、シュムの目を見つめる。

「シュム。僕は、君に薬を使いたくはない」

「――判ったよ」

 シュムが溜息をつくと、アルは微苦笑した。それだけで、張りつめていた何かが、わずかに緩む。

 不意に、アルは何かに気付いたように顔を上げて、立ちあがった。椅子を元の位置に戻す。そうして、シュムの右側を指差した。

「呼んでるの?」

「ああ。――好きなだけ抵抗すればいい」

「うん、そうする」

 左側の扉に笑顔で消えていったアルの姿を見送って、顔を天蓋に向ける。枷は、なるべく手首が痛まないように布を挟んでくれているとはいえ、長さに余裕がない。横を向いているのも少し、辛かった。首の筋が強張っている。

 アルの気配が遠離ってから、シュムは溜息をついた。

 アルへの敵意は消えていた。示してくれた言葉に、今の拘束も方法も、依頼者の意図と知る。

 「契約の獣」という呼称の由来は、彼らが契約を絶対視しているところにある。シュムの推測では、それは肉体的なものではなく、精神での絶対だった。

 判りにくいあれが、精一杯だろう。対峙したときに遠慮はいらないとの言葉に、甘いのはどっちだと言いたくなる。どんなものであれ、確実に好意を抱いてくれているのは本当らしいが、その理由が判らない。何故だろう。

 今日何度目になるか数える気にもなれない溜息をついて、シュムは、とりあえずどうしようかと考えるのだった。     


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