第二場


 まずはカイを起こして、女主人にはごく簡単に経過を報せて、人のまばらな食堂で軽く昼食を取ると、三人は宿を出た。

 今日もシュムは荷物を全て背負っているが、カイとセレンは至って身軽だ。セレンなど、大きな布を日除けに頭から被っている以外、護身具すら持っていない。もっとも、カイの腰にあるのも飾り程度のなまくらにすぎないのだが。

「おいシュム、なんだってこいつが・・・」

「協力してもらったの。惰眠むさぼってた奴が、後で文句言わない」

「そんなこと言ったって、仕方ないだろ。体質なんだから! そもそも俺は、あいつは苦手だって言ってるだろ」

 小声で言い合う二人に遠慮して、一歩下がっていたセレンの肩が、ぴくりと怯えたように持ちあがる。声が届いてしまったらしい。それに素早く反応して、シュムは拳骨を降り上げた。しかしそれを使うことなく下ろすと、ひたと、冷たい目でカイを睨みつけた。

 更に文句を言い募ろうとしていたカイが、思わず身を引く。

「な、何だよ」

「それ、本気で言ってる?」

「冗談なんかで言わねえよ」

「そう。でも、嘘は言うんだ?」

「何でそうなるんだよ!」

 思わず、声を押さえることも忘れて半ば叫んだカイは、氷点下の瞳に見つめられ、勢いを失って黙った。

 子供に呑まれる遊び人風兄ちゃん、というのはなかなかに珍しい図式だが、本人たちはそれに構うでもない。少ないながらある人目も、あまり気にしていないようだった。

 シュムは、眼差しに見合った、冷たい声を出した。

「苦手だって言う前に、ちゃんと向き合ったことある? セレンからも、カイと向こうで会ってるなんて聞いたことない。二人が出会ったのはこっちで、あたしがいたときで、顔を合わせるのもいつもあたしがいるときでしょ。でもそんなときのカイは、苦手だとかって言って、逃げてばかりじゃないか」

 押さえた声ではあるが、殊更に声をひそめているわけでもない。大分離れたところにいる通りすがりの人たちには聞き取れないだろうが、少し離れているだけのセレンには十分聞こえた。  

 セレンとカイの顔が強張ったのは判ったが、シュムは淡々と言葉を継いだ。

「何を、怖がってる?」 

「シュム!」

 叫んだのは、セレンだった。碧の瞳に涙を浮かべて、幼い子供のように首を振る。

「もう、やめて。はじめから、無駄だって判ってたの。それでも・・・夢を見てた私が悪かったの」

「セレンは悪くない。悪いのは・・・セレンじゃない」

「いいの、それでも。もうこれ以上責めないで」

 セレンが、止めようとするようにシュムの腕を掴んで泣いている。

「・・・ごめん」

 止まらない大粒の涙を見て、シュムはただ、綺麗だとだけ思った。本当に、綺麗だ。

 さすがに、これだけの美人が泣いていれば注目が集まる。わざわざ見に来た者もいて、中には、昨日もシュムたちを目撃していた人がいたらしく、「また兄ちゃんか。泣かすなよ」と声をかける者さえいた。    

 カイは、ぴたりと口を閉ざしてしまったシュムと泣いているセレンを見比べて、密かに、溜息をついた。そうして、セレンの肩に手を伸ばす。

 びくりと、その肩が揺れた。

「少し話、しよう」

「・・・」

 顔を上げたことで表れた、ふちが少し赤くなった碧の瞳には、不安や恐れの中に、わずかに喜びが映っていた。それと気付いて、躊躇いが頭をもたげるが、無理矢理に押し込める。

 カイがセレンの肩を抱いて森に消えていく様は、平凡な画家が描く恋人の絵のようで、シュムはそれをぼんやりと見送ってから、ふう、と溜息をついた。集まっていた人たちも、シュムに何か話しかけたり仲間内で話をしたりしながら、方々に散って行く。ずっと遊んでいられるほど、暇ではないのだろう。

 そうして人がいなくなると、二人の行った方に背を向けて、大きく伸びをした。深呼吸を、一つ。

「さあて、しばらく雲隠れでもするかー」

「お嬢さん。僕が、お供しましょうか?」 

「一体いつから、立ち聞きも趣味になった?」

 振り返りもせずに冷たい一言を投げかけた相手は、昨日と同じくアルだった。昨日と同じ姿のままということは、まだ契約中なのだろう。

 アルは、わざわざシュムの前に回り込んできてから、心外だと言うように大袈裟に肩を竦めて見せた。

「修羅場だったから、気を利かせたんだよ。それなのに立ち聞きだなんて」

「じゃあ聞いてなかった?」

「聞こえたけどね」

「やっぱり立ち聞きだ」

 あっさりと斬って捨てて、シュムは目の前に立ち塞がるアルを押しのけて歩き出した。その後を、当然のようにアルが追う。歩幅の差で、わずかな距離はすぐに埋まって、二人は肩を並べていた。

「置いていくなんて、ひどいな」

「先に言っとくけど、今、機嫌悪いから。邪魔でもしたら、叩きのめす」

「つれないなあ」

 笑って、アルはごく自然に指を弾いた。軽い音がして、シュムの顔のあたりに白いもやのようなものが出現した。咄嗟のことで吸い込んでしまい、シュムは意識が遠退きそうになるのを感じた。

「邪魔、するなって、いうのに」

 声に出すことで必死で意識を保とうとするところに、鳩尾への一撃がくる。昏倒したシュムの体を抱き止めて、アルは微笑した。

「少し、眠ってもらうよ」

 そう言って、シュムの小さな体を大切そうに抱き上げると、そのままの方向に、ゆっくりと歩いて行く。途中、村人などともすれ違ったが、彼らは何故か、アルとシュムが見えていないかのように振舞っていた。実際、見えていなかったのだろう。


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