入替


「ありがとう。帰っていいわ」

 少女がにこりともせずに言うと、シュムたちを先導してきた兄弟は、取り分け大きな方が何か言いたげな仕草を見せたが、結局は何も言わずに出て行った。

 待ち合わせ場所にするつもりだった屋根の下に、シュムとカイはいた。おまけに、入ってすぐの広間の階上から見下ろす少女は、カイに石を投げつけた子どもだった。なるほど服の質がいいはずだと、シュムは一人納得する。

 彼女が、二月ばかり前にこの屋敷を、ひいてはこの付近の領地一帯を受け継いだ人物だという。両親と兄を事故で失い、伯父が後見人として立っている。

 それらは、道々、あの兄弟から聞き出した話だった。

 彼女の両親は身分の違うものにも優しく、娘の彼女もこの町の人々と馴染んで育ってきた。だが両親を亡くして以来、ほぼ屋敷に引き篭もり、たまに外出しても誰とも口を利こうともしない。

 そういったことを語っていたのは主に弟の方だが、心配している様子は兄からも窺えた。そんな二人にとっては、先ほどの尊大な態度は、余計に気がかりではないだろうか。

「あなた、名前は?」

「自己紹介しもしない不審人物にはあんまり名乗りたくないなあ。それに、挨拶するならまず下りて来たら?」

 少女は、ほんの一瞬だけ顔を歪め、すぐに見下すように表情を繕った。

「不審人物はそちらじゃなくて。悪魔なんてつれて、どういうつもり」

「へえ。よく判ったね」

「認めるのね」

「カイの事をそう呼ぶ人がいるのはね。それで、何の問題が? あたしたちは旅人だからすぐに出て行くし、こんなお屋敷に一生引き篭もって暮らしてそうなあなたには関係ないと思うけど?」

「悪魔なんて――滅びればいいのよ」

 シュムとは違って、見掛け通りに十年そこそこしか生きていないはずの少女は、遠めにも判るほどに荒んだ目を向けた。シュムの隣に立つカイは、その視線を真っ向から受け止めながら、揺るぎもしていない。

 思わず、シュムはその手を掴んでいた。視線は、少女に据える。

「頑張って。応援はしないけど。そろそろ失礼しようか、カイ」

「…俺に振るなよ」

「だって、他に誰に訊くの? ここにいる義理も義務もないし、それとも残りたい?」

「まさか」

「じゃあ行こう。遠回りだけど、別の街探して荷物揃えて」

「……いいのか?」

 屋敷に入ってからほぼ存在を無視され、滅びろと言われ、その前に石も投げつけられていると言うのに、少女を気遣う様子を見せるカイに、シュムはつい苦笑した。本当に、どんどん人間臭くなっている。

 とりあえずシュムは、黙って手を引いた。

「――待って!」

 切羽詰った声がかかるのを待って、足を止める。にっこりと笑顔で振り向くと、詐欺だ、と、隣で呟く声が聞こえた。詐欺ではなくて作戦だ。

「話があるなら、降りて来なよ。あたしたちがそっちに行こうか? とりあえず、盗み聞き防止のために結界張らなきゃね」

 びくりと、少女の小さな体が竦んだ。見る見る、目に涙が溢れる。そのままへたり込んでしまう。

 シュムが足を踏み出すよりも早く、体が浮いた。気付けば、カイに横抱きに抱え上げられ、軽々と少女のところへと跳び上がっている。

「お人よし」

「うるせえ」

 少女の前に下ろしてもらうと、シュムは、驚きにか見開かれたものの、涙に濡れた紫紺の瞳を覗き込んだ。

「話があるなら、街中か…人目が気になるなら、ここの庭でもいいや。建物を出よう。あたしがうろ覚えの結界張るよりは、その方が確実」

「何…」

「この建物の中のことは全て、あなたが悪魔と呼ぶ誰かに筒抜けってこと」

 さっと、少女の顔から血の気が引く。シュムは、そんな少女ににっこりと笑って見せた。

「これで、話すしかなくなったでしょ」

「悪魔か」

「それはカイじゃない。さあ、どうする?」

「あ、あなたたちっ、何なの…!?」

 怯えるように後ずさる少女に対し、シュムは、カイと目を見合わせて首を傾げた。

「そこまで怯えられるようなこと、まだやってないよね?」

「ああ。まだ、シュムの悪魔よりも悪魔じみた手口しか披露してないな」

「…どういう意味?」

「そのままだ――おい!」

 じりじりとシュムとカイから距離を取ろうとした少女は、踊り場の二辺が下り階段につながっていることを失念していたようだった。後ろ向きのまま、足を踏み外す。悲鳴さえ上がらない。

 カイの叫び声は間に合わなかったが、手は届いた。

 引いた反動で抱き締める形になった少女の無事にカイが安堵の息を吐く閑も与えず、シュムがその名を呼ぶ。丁度いい。

「そのまま連れ出そう。とりあえず、庭」

 呆気にとられているカイと、おそらく硬直している少女の返事を待たず、シュムは、少女が落ちかけたのとは反対の階段へと足を向けた。

 どこへ行く目的もないんだし、と呟くが、やや詭弁めいている。結局のところシュムは、厄介事に首を突っ込みたがる性分をしているのだ。

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