少女は、マリアと名乗った。後見人の名は、ノーマンといった。
「なるほど、あなたがノーマン」
外出先から戻った男に、シュムは正面切ってそんなことを言った。厳しい顔の四十ほどの男は、不愉快気に顔を顰めた。それは、礼儀知らずの子どもを心底迷惑がる大人の域を出ない。
ノーマンは、部屋の奥で身を竦めるようにしているマリアを睨みつけた。
「マリア、何があった? 友人は選んだほうがいい。君は、ただ遊んでいればいい身の上ではないんだ」
「とか言って、親しい人たちから距離を置かせたんだよね。使用人も、呼び寄せるって言って解雇して。その方が、入れ替わっても気付かれにくいから。小賢しいなあ」
「マリア、帰ってもらいなさい」
ノーマンはあくまで、マリアに話しかける。シュムは目の前にいて、マリアは離れているというのに。
シュムは、わざとらしく首を傾げて見せた。
「全部ばれてるんだし、もう止めたら?」
「…マリアがどんな話をしたのか知らないが、ここは、君のような者が気安く入ってきていいような場所ではない。出て行きなさい」
「依頼、受けちゃったんだよね」
くすりと笑って見せると、ノーマンの整えられた眉がわずかに、動いた。それを受けて、シュムはくすくすと笑う。
見上げた瞳は、マリアと同じ紫紺だった。
「悪魔を退治して欲しい、って」
「たわ言を」
「でもないんだよね。契約書、見つけたし」
「馬鹿な! あれは…」
言いかけて、それが契約書の存在を認めてしまったことに気付き、口を閉ざす。シュムは、よくできました、とでも言うようににっこりと笑んで見せる。
「やっぱり屋敷のどこかに置いてるんだ。不思議なんだよねえ、肌身離さず持ってるのが一番だと思うのに、どうして契約者の傍に置こうとするのか。破られたりしたら終わりじゃない」
ノーマンは、ぎりと歯軋りすると、シュムに手を伸ばした。見越して、距離を置く。
更に掴みかかってきたところを、身体を沈めて、おまけに足払いをかけてかわす。食卓として使われているテーブルに、ノーマンは無様にぶつかった。
そこではじめて、シュムは顔をしかめた。
「まだ人のふり、するの? あれ、それとももしかして…」
「黙れ! 出て行け、小娘!」
罵声に、益々シュムの顔色が曇る。次の言葉を口にしていいものかと躊躇っていると、食堂の戸を開けて、のんびりとカイが入って来た。手に、皮紙を二巻き持っている。
ノーマンの眼が、これ以上ないくらいに見開かれた。シュムは、困ったようにカイに視線を向ける。
「ねえカイ、間違ってないんだよね? ここで違ってたら間抜けすぎるんだけど。ノーマンは召還した契約相手に乗っ取られてる、で合ってるんだよね?」
「ああ。予想以上にあほらしいことになってるけどな」
「は?」
うんざりとした声音に、シュムの困惑が深まる。手っ取り早く、皮紙を手渡した。
この国には存在しない言語の綴られたそれは、一枚には別々の筆跡と名の二つの署名があり、一枚は一つしかない。契約が完了している二つの署名入りのものにざっと目を通したシュムは、うわ、と声を漏らした。残る一枚も読み終えると、やや同情のこもった様子で、ノーマンを見た。
「何をどうやったら、人の体に同化するなんてことになるの? てっきりそれ、化けてると思ったら生身なんだね。そのせいで使える力も制限されちゃって…人になりたかったの?」
どうもノーマン、乗っ取られる前ではなくマリアの実の叔父の方は、マリアの両親を亡き者にするために今ノーマンとなっているものとの契約を望んだようだった。それは、予想していた。召還した魔導師がひどい三流だったのか、契約書が現ノーマンのいいように書かれていることに気付かず、今に至ったのだと推測していた。
それは、外れていないようだ。ところが、その契約書を読んでみると、生命を全て譲り受けるとすればいいところを、存在全てを譲り受けるとしてしまっている。つまり、現ノーマンは、元ノーマンになってしまった。今目の前にいるのは、人と悪魔の融合体という、中途半端なものになってしまっている。
そしてもう一枚の未使用の契約書は真っ当に、生命を譲り受けるもの。
カイとシュムの視線の先で、ノーマンは苛立たしげに首を振った。
「手違いだ、返せ!」
「質問に答えて。あなた、今は何がしたいの?」
カイは、シュムから契約書を受け取ってノーマンから遠ざけた。中年男の顔が歪む。
「力を得て、元の姿に戻るんだ! 返せ!」
「うーん、ごめん、むざむざ依頼人死なせるわけにはいかないから。て言うかさ、力欲しいだけなら、相続の契約書とかに紛れさせてとっととサインもらえばよかったんじゃない? こんな回りくどいことする必要、どこに?」
「あ」
「…気付かなかったんだ」
はあ、と落ちた溜息は、ふたつあった。
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