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「悪魔!」

 声と共に投げつけられた小石を、カイは難なくやり過ごした。その上で、飛んで来た方を見詰める。子どもが睨みつけていた。

 丁度その場面を目撃したシュムは、外見年齢だけなら自分と同じくらいの子どもと、無表情に立つ青年とを見比べ、首を傾げた。少し離れていた間に、何が起きたのか。

「どうしたの?」

「いや――俺にもよくわからん」

 視線を外さずに、踵を返して走り去る子どもを見つめながら答えたカイは、角を曲がってその姿が見えなくなるとようやく、シュムを見た。赤い瞳を隠すための黒眼鏡で表情が判りにくいが、口元でわずかに笑んでいると判る。

 人を避けた壁際で、並んで寄りかかりる。

「買えたか?」

「あ、うん」

 薬草類の補充で別行動を取っていたのだが、何か問題が起きたとすれば、一緒に行った方が良かったのか。質のいいものを扱っている店には魔導に長けた者もおり、下手にカイを見られれば厄介かと分かれていたのだが。

 その戸惑いを読み取ったものか、今度はカイが首を傾げる。

「どうした?」

「さっきの子、何かあったの?」

「さあ」

 興味がない、と言わんばかりに素っ気無い返答。シュムは肩をすくめ、それに応じた。

 どうせ、この街に長居はしない。捨て置ける厄介事なら、わざわざ首を突っ込むこともない。気にはなるが、そう、半ば言い聞かせる。質素な格好ではあったけど随分と質は良さそうだったな、などというのは無用の詮索だ。

 それよりも、と、カイを振り仰ぐ。

「じゃあ、食料買い込んで、あ、服も見よう。良さそうな防寒服があったら買って、どこか泊まるかどうかは時間みて、でいいかな」

「服?」

「うん。これから冬だし、今より北寄りに行くから。あたしは持ってるけど、カイの分調達しないと」

「…少しくらい、寒くたって」

「駄目」

 わずかに戸惑った言葉が終わる前に否定し切って、シュムはカイを見上げた。

 短いオレンジ色の髪に、赤い目を隠すための黒い色眼鏡。無駄のないしなやかな筋肉のついた体は、肉食獣を思わせた。実際、本性はそれに近い。何も知らなければ黙って道を譲りたくなるくらいの威圧感は、常に漂わせている。

 だが今は、困っていた。

「カイが丈夫なのは知ってるけどね、些細なことでも明暗を分けることはあるでしょ。備えはちゃんとしよう」

「いや、でも」

「でも、じゃない。今まではせいぜい一月とかだったから気付かなかったけど、カイ、自分のことに構わなすぎ。いくら頑丈な人だって、他愛もない風邪こじらせて死んじゃうこともあるんだから。カイは丈夫でも、不死じゃないでしょ?」

「…お前のが無茶やってるだろ」

 眼鏡で判らないが、今、きっとカイの目は泳いでいるに違いない。

 カイが、気遣われることに慣れていないと気付いたのはいつだっただろう。そのこと自体は、割合早く知ったような気がする。ただ、それぞれの事情でそう長い時間を一緒に過ごすことがなかったために、ここまでとは思っていなかった。

 それ以前に、シュム自身に気遣うだけの余裕もなかった。

「あのね、カイ。どうしてあたしが一番に薬草補充しようとしたか判る? 服だって、気候や地域に合わせてるんだよ。あたしは、出来る限り自分の身を守ることはやってるの。いつ死んでいいって思ってた時だって、最低限、自分のことを大事にはしてたんだよ」

「俺は、お前よりずっと頑丈だ」

「それは知ってる」

 頷いく。無性に、眼鏡を毟り取りたい衝動に駆られた。炎に似たその眼を真っ向から睨み付けたい。

「カイ、洞窟で命令したとき怒ったよね。二度とするなって言ったけど、あたし、肯かなかったよね。どうしてだかわかる?」

 凍りついたように動きを止めるが、カイは、答えは見つけられないようだった。周囲を行き交うざわめきが、妙に空々しく聞こえる。

「カイは自分のことに無頓着だから。知ってる? 死ぬ覚悟をした人は強いけど、死んでもいいって思ってる人は強そうに見えて弱いんだよ。似てるけど、その二つは違うの。カイがどんなことをしたって、あたしの幻なんかが出てきたって、それが本物だったとしても、生き延びようとするなら手は出さなかった。どうしてでも生きていてほしいっていうのは、あたしの勝手なわがままだけど」

 うっかり死ねたらそれでいいと思うのは、やめることにした。だが、そのときも今も、カイを見送るのだけは厭だった。はじめて、長生きする体質の自分よりもずっと長生きの存在がいると教えてくれた。カイ自身がそうだと言った。約束を、してくれた。

 そのカイにまで置いて行かれるのは厭だった。

 ごめんねと胸の内で呟いて、シュムは、どうにか微笑を浮かべた。

「覚えてて。あたしは、カイが大好きなんだよ」

「なっ…何、言ってんだよ」

「だから突っ走るなってこと。置いていったりしたら恨むからね?」

「あ、ああ…」

 居心地悪げに身じろぎするカイをぺしぺしと叩いて、シュムは笑った。

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