巡逢


 この夜村は、いつになく騒々しかった。

 本来であれば、日の昇り沈みと共に生活をするような暮らしだ。だがその夜は――一言でいえば、混乱、だった。

 村では、たまに訪れる旅人を湖の怪物に生贄として捧げていた。それは開拓以来のことで、十数年に亘って続けられてきた悪習だった。

 そして、この日も村人たちは、一部の事情を知らない子どもらを除き、皆がこぞって示し合わせ、旅人たちの食事に薬を盛った。

 ここで既に、誤算が一つ起きていた。薬の量は、成人男性が一晩は確実に昏睡しているだけの量を使ったにもかかわらず、途中で切れてしまっていた。もっとも、村人たちがそれを知るのは大分後のことになる。

 村人たちは複数の旅人が訪れた場合、一人ずつ生贄として差し出すことにしている。そこでこの日も、暴れられると厄介そうな方を先に選び、もう一人も眠らせ、一室に閉じ込めておいた。

 ここでも問題があった。残した方には、貴重なこともあってあまり薬を飲ませず、子どもと侮って武器こそ取り上げたものの拘束もしなかった。それでは、猛獣と一軒家にいるのと大差ないと気付くまでにはしばしの時間を必要とした。

 そして悪魔は、笑顔で君臨した。

「先ほどはご歓待、ありがとうございました」

 一部の家の屋根が崩れ、火の始末をしていなかったのか小火を起こしたところもある。そして泣き叫ぶ、子どもたち。星空の下で大人たちは、あるいは虚脱し、あるいは怒りに満面を朱に染め、あるいは血の気を引かせて青ざめている。

 髪を下ろしたシュムは、大型をとって巨大狼のようになったカイの背に乗り、巨大蛭に似た湖のヌシの隣に並んでいた。ヌシの全身はぬめり、月光を反射している。

「折角良くしていただいたことですし、私たちもこちらに移り住ませていただこうかと、話をしていたところです」

「っ…?!」

「ああ、大丈夫ですよ。頻繁に旅人を生贄を寄越せなんて言いませんから。一年に一度でよろしいですよ、それも、あなた方の中から。簡単でしょう?」

 にっこりと終始笑顔で一方的に告げると、シュムは、見せ付けるようにカイとヌシに合図をすると、何かを叫ぶ村人たちに背を向けた。すすり泣く声も聞こえる。

 ヌシの尻尾が、厩舎の壁を打ち抜いたりもした。

「…で、何なんだこの茶番は」

「うん、少しくらい慄いてもいいと思わない? まあ、だからってあたしが裁いていいものじゃないし、そんなつもりもないけどね。――ありがと」

 村を出ると、シュムはカイの背から飛び降りた。そうして、ヌシの先に立って誘導する。

 湖のほとりに、地面に枝で書いた魔方陣があった。その境界線でヌシを止まらせ、シュムは片膝をついて線に触れる。

「混迷の王よ、深き漆黒の淵より覗きて眼を開け。眠り深き黒の番人、夜の前に跪きて鍵を差し出せ。前に立つは影の城、後ろに在るは幻影の庭、右に行くは永久の森、左に開くは忘却の川、上に海原、下に大空――」

 延々と、意味のつかめない言葉が続く。カイとヌシは、それをただ黙って聞いていた。まったく意味はわからないが、徐々に、カイらの住む世界が近付いて来るのが感じられる。それに伴い、嬉しいのか、ヌシがそわそわと身をくねらせる。

「――深き深き紅の淵に打ち込む楔。目覚めし赤の番人、暁に月を昇らせよ」

 長い詠唱が終わると、巨きな魔方陣が青く発光した。異界――カイらの住む世界への扉が開く。

 ヌシが身を躍らせ、頭から飛び込む。

 そうしてシュムは、身じろぎすらせずにまた、呪文を口にし始めた。

「…何かいるか?」

 扉を開くのと同じくらいの時間をかけて詠唱を終わらせ、魔方陣をただの落書きに戻したシュムは、ぐったりと地面に座り込んでいた。いつもよりもゆっくりとした動きで水筒を引っ張り出そうとするのを見かねて、人型に戻ったカイが引き出し、蓋を開けて口元にあてがう。

「ありがとー」

「いや。他には?」

「だいじょーぶ、喋りつかれたのとそー変わらないから。あんまり強いのじゃなくてよかったー。どれだけ詠唱続けなきゃいけないか」

「あれ以上にか?」

 思わずしかめた顔を、水筒の栓を戻したシュムが見上げて苦笑する。 

「そう、あれ以上。んー、カイをこうやって還すとしたら、半分だけで数時間ってとこかなー。ディーだと、下手したら一日がかり?」

「げ」

「だから嫌いなんだよ、正式。面倒くさいったらない」

 なるほどと納得したカイだが、だからといって迂闊に同意すれば、だから自己流でいいじゃない、という話に転がりかねない。というよりも、ほぼ確実になるだろう。そこには踏み込みたくないカイは、肩をすくめるに留めた。

 ふわぁと、シュムがあくびをこぼす。

「まあこれで、彼は故郷に還って、村人は生贄を捧げる必要がなくなって、旅人も勝手に命をとられることもなくなって、めでたしめでたしかな」

「村人から生贄出せって言っただろう、シュム」

「出されても困るよ、ここに住むわけじゃないんだし」

「じゃあ、何故あんなことを」

「嫌がらせ」

 きっぱりとした笑顔で、シュムはカイを見上げた。完璧すぎて、感情がろくに読み取れない。

「慄けばいいって言ったじゃない。まあ、ここの人たちが誰もいなくなってることに気付くのと、近くの自警団か何かが来るのと、どっちが先かって話だろうけど」

 どういうことかわからずシュムを見ると、今度はこちらが肩をすくめて見せた。

「ここ、結構有名になってて。さっきのヌシ、生贄の命を全部吸い上げてたわけでもないらしくて、逃げられた人も多いし、この方面に向かった人ばっかり消えるんだから、怪しすぎだよ」

「あー…なるほど」

 つまり遅かれ早かれ、村人たちの責任転嫁は露見したというのか。

 それなら手を出すこともなかったような気がするが、その場合、あのヌシが殺され、しかも何人かを殺すことになっただろう。打算もなく、あの長ったらしい詠唱をしてくれるような馬鹿は、そうはいないだろう。

 笑顔を崩さないシュムを見て、カイは、その小さな頭をはたいた。

「っ何?!」

「移動するぞ。ほら、乗れ」

「歩くよ」

 かがんで背を向けると、予想通りの答えが返ってきた。が、半ば無理矢理におんぶする。

「子どもは寝る時間だからなー」 

「喧嘩売ってる? 買うよ?」

「いいから、寝とけ。寝言くらい聞かないで置いてやる」

「…言わないって」

「どうだか」

 背負うと、小さな体だとつくづく実感する。それなのに意地を張る。

 だからせめて、今くらいは顔を見ないでいようと思った。表情を作らないで済む分だけでも、気は抜けるだろうか。

「カイ」

「ん?」

「…ありがと」

「お前一人くらい、軽いもんだ」

 そうして月下の夜を、二人は歩いて行った。

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