目が覚めると、なんだか星空の下にいた。足首が冷たいのは、金属が嵌められて当たっている気がする。
野宿だったか、と考えかけたカイは次の瞬間に、いやいやこんなに水気のある空気で――つまりは木のありそうな場所で、その陰でもない場所で眠るはずがない、と否定した。おまけに足首の、この感触。
「…厭な予感が…」
これはあれだ。とてつもなく、人身御供っぽい。
「…誰だ?」
近くで人の動く気配があって、体を起こそうとしたカイは、急に動いたせいか薬でも盛られたのか、眩暈と軽い嘔吐感に襲われて小さく呻いた。
こちらの薬はあまり利かないはずなのだが、どうもあたりを引いてしまったらしい。運が悪い。きっと自分は、努力の半分以上を運の悪さで相殺しているに違いない、と思う瞬間だ。シュムの呆れ顔が目に浮かぶ。
「だ、大丈夫、ですか…?」
おずおずとした声がして、少し離れた位置でおろおろとしている人がいるのが判った。
周囲は薄暗いが、夜空に満月が浮かんでいるおかげで、全く見えないわけでもない。元より、カイの視力のよさは人とは桁違いだ。
自分よりは二回りくらい小さいかと、カイは声に出さずに推測した。まだ若いだろう。ひょろ長い成長途上のような体といい、下手をすれば、十代というのもありだ。
気の弱そうな声だが何者だと、カイは暢気に首を傾げた。
そろりと身を起こすと、やはり足は、鎖に繋がれていた。鬱陶しい気もするが、いつでも外せるだけに、まずは相手の出方を見ようと決める。
「あ、あの…吐き気とか…その…ごめんなさい!」
何を勘違いしたのか、若い声は焦った様子で謝る。必死というよりも、今にも泣き出しそうだ。
「謝ってすむ話じゃないけど…ごめんなさい!」
「あー…とりあえず、状況説明してくれるか。それと…つれは?」
たしかシュムと共に行動していたはずで、小さな村で、宿はないがと村長の家に泊めてもらえることになったはずで。旅人は珍しいからと、過分なもてなしを受けて。
それがこの状態とは、何事か。先ほどの合いの手から推測はつくが、はっきりと聞いてみたい。
まとわりつく違和感めいた不調をゆっくりと体を動かして振り払い、足元を見ると、間違いなく両足に、別々にではあるが鎖が伸びている。その先は今カイが横たわる石の寝台だ。
見回してみると寝台のすぐそばに、小さいとは言わなくても大きくもない湖があり、あとはひたすらに空が広がり、離れた位置には木々。森の中らしい。
うなだれた人影は、寝台からは鎖を精一杯伸ばしても手が届かないだろう位置で膝をついている。
そうして、思い切ったように顔を上げた。
「ごめんなさい。…村では、旅人が訪れたらこの湖に捧げる決まりになってるんです。けど、一度に一人きり、最低一月は間を空けて。だから…あなたの連れの人は…今はまだ、生きてます」
「はあ」
何だその胡散臭いしきたりは、と突っ込みたいところだが、あまりにも惨めったらしい口調に、下手に横槍を入れれば口を閉ざしそうだと判断をした。
だがそれでも、うっかりと呆れは声に出たらしい。わずかに、むっとした感じが返って来た。
これにはもう、笑うしかない。詫びながら、そして今から生贄にしようとする関係のない者を相手に、そう思われたからといって怒れる権利があるはずがないというのに。
だが音のない微笑は、相手にはわからなかったようだ。
「そうやって、村を、守るしかなかったんだ! この村には…先住者がいたから」
先住者というのは、元々この地に棲んでいた獣か怪物だろう。つまりは、餌をやる代わりに大人しくしていてくれと、そう頼み込んだわけだ。
ふうんと、合いの手を返したカイは、酷薄に笑んだ。
「開拓時に何があったのかは訊かねーが、それならそれで、ここを諦めるなりギルドにでも紹介を頼むべきだったろう?」
「僕らに死ねって言うのか?!」
「俺たちには死ねって言ってるだろう」
感情を載せずに即座に返した言葉に、相手は黙り込んでしまった。随分と甘っちょろい見届け役だと、カイは呆れた思いで人影を見つめる。
彼が生贄がきっちりと捧げられたことを確認する役目にあることは、まず間違いないだろう。だがいくら気付かれたとはいえ、話しかける必要は全くない。その上、中断してしまったが苦労話でもしようとしていたのは、同情でも買って、身の上を諦めてもらおうとでも思ったのか。いきなり死ねと要求された者に、まさか慰めてもらおうと思ったのだろうか。
なんだかなあと、溜息がこぼれた。
――突然湖で、何かが湖面を突き上げたような、大袈裟な水音がした。見届け役が、無様に息を呑む。一方のカイは、もう一度深々と、溜息をついた。
「っとに、貧乏くじばっか当たるな。誰のせいだ」
ぼやきたくもなる。が、誰かのせいにすれば自分かシュムの二者択一で、どちらにしても一生近い付き合いになるだろう。
気を取り直して湖を見れば、先住者がぬらりと首をもたげている。カイは、さてどうしたものかと考えた。
足の鎖を引きちぎるのは簡単だが、ここで目の前の怪物を倒して、それで得をするのは、卑怯にも行きすがりの旅人を捧げてきた村人たちだ。湖のヌシにも言い分はあるはずで、それをこの地で生きる為と切り捨てるのに文句を言うつもりはないが、たまたま通りかかった自分が、結果としていいように利用されるというのは腑に落ちない。
悩んでいる場合ではないと判っていても、どうにも危機感が薄い。
「オマ…エ…」
「ん? 言葉通じるのか」
拍子抜けして、カイは、湖のヌシをまじまじと見詰めた。
月光にぬらぬらと光る体を持つそれは、カイの体さえも簡単にひと呑みできるだろう大きさで、こちらの世界の生き物に例えるなら蛭に似ている。大きさを桁違いに大きくして、横に引き伸ばせばこんな感じかもしれない。
ヌシは、図体の割りに小さな瞳をカイに向けた。だが、よくよく見てみれば動いているのは、蛇に似たつるんとした鼻。視覚よりも嗅覚が発達しているのだろう。
「ナツカシイ…ニオイガ、スル」
「あぁ?」
何のことだとカイは首を傾げた。
「ナツカシイ…ムカシ、ノ…」
「カーイ! 何大人しく捕まってるの!」
「シュム」
声を先に駆けて来た小さな人影はカイのよく知るもので、安否を確かめるのではなく叱咤の声に、思わず苦笑がこぼれる。立ち上がろうとすると、鎖は、あっさりと引きちぎれた。その間襲われることはなく、隣にシュムが滑り込んで来る。
シュムは、闇を挟んで湖のヌシと睨み合った。が、ややあって、困ったようにちらりとカイを見上げる。
「…殺意も敵意もないんだけど?」
「え? あ。なるほど、言われてみりゃその通りだな」
「カイ…ぼけるにはまだちょっと早くない?」
無言で、カイはシュムの注意をヌシへと向けた。ヌシは、ふんふんと二人のにおいをかいでいる。意気地なしの見届け人の気配は感じられず、ヌシの出現に逃げ出したのだろうか。
「ナツカシイ」
「…お前、こっちの出身じゃないな?」
「ナニ…?」
その言葉にぴんと来たのはシュムの方で、あ、と短い声が上がった。
シュムたち魔導師は、魔法陣や呪文を用いて、ヌシに二つのことをする。ひとつは、魔界と呼ぶ異世界から、カイのようなそこの住人を召還すること。もうひとつは、この世界に息づく力、例えば風や火などといったものを借り受けて動かすこと。
そして、今問題になるのは前者だ。
魔界から召還された者は、いつかは還される。だが時として、召還者が急に死亡したり被召還者が逃げたりして、こちらに帰化してしまうことがある。ヌシもそうなのだろう。
シュムは少しの間思案していたかと思うと、ヌシに顔を向けた。
「言葉が通じるなら有り難い。一策あるんだけど、とりあえず聞いてみない?」
村人たちは青年に見えるカイよりも子どもに見えるシュムの方が扱いやすいと見てシュムを後にすることを選んだのだろうが、それは間違いだと断言できる。むしろうっかりと、気の毒だと同情さえしそうになる。
星空の下で、姿だけは少女のシュムは、にっこりと微笑んだ。悪魔と呼ばれるならこいつの方だ、と、カイは思う。
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