鼓動


 ああもう酷いよなあ、と、キールは一人でぼやいた。何か、見捨てられたような気分だ。あっさりといなされたのも、悔しい。

 やはり若作りに違いない、というのは、ほとんどやっかみだが。

「あー、なんかホント、生きててもいいことない」

 ぼそりと、呟いた。

 仰向けに寝転んで、埃っぽい薄い布を肩まで被っている。どういった仕組みか利き足の膝から下が全く動かないが、これはあの魔導師の仕業なのだろうから、大して心配はいらないだろう。ただどうにも、寝るしかないのがつまらない。夕飯は荷物の中の干し肉で済ませたが、今までの旅食以上に味気なかった。

 しかしそれらは全て、目の前のことだ。

 このまま歩き続けて無事に到着して、キールはそこでどういった扱いを受けるのか、何の説明も受けていない。都合のいい嘘ばかり聞かされるよりはましのような気もするが、何も知らないのも、同じくらいに不安にはなる。

 隙を突いて逃げるという手は、何度も思い描いた。だが、その後をどうするつもりか。何もなく生きていくなら、いっそ死刑にでもしてもらったほうが楽かもしれない。その可能性を考えながら心底厭だと思えないなら、逃げても同じだ。

「…えー?」

 気付くと、人がいた。まだ子供だ。何歳なのかは判らないが、おそらくは一桁の年齢だろう。先日別れた少女よりも、さらに幼い。だが、髪はきちんと梳かれ、服も、派手ではないがそこそこいいものを着ている。

 しかし何故、子供。

「お兄ちゃん、死にたいの?」

「いや、生きたくないと死にたいの間には大きな壁があるんだけどさ。嬢ちゃん、名前は? なんでこんなとこに?」

「あたし、ここしかいるところがないの」

「…?」

 とりあえず、体を起こす。痛みはないのだから、上体を起こしている分には問題ないし、やろうと思えば、這って行くこともできるだろう。

 子供は、近くにやってきて、うずくまるように座った。

 長く伸ばした髪を編みこんで纏め上げている。ぱっちりとした目は可愛らしく、育てばさぞ美人になるだろうなあと、暢気な感想を抱く。

「上に座れば? 痛いだろ」

「ありがとう。お兄ちゃんは、あそぼうって言わないのね」

「は? いや、遊んでもいいけど、俺今動けないからあんまり…」

 言いかけて、はたと気付く。待て、ここはどこだ。

「嬢ちゃん、……厭なことされてないか? その、へんに体触られたりとか」

「フツウのことでしょ?」

 絶句する。

 そして即座に、考える。村に、数日前に自分が後にした村に連れて行こう、幸いにもあそこには友人や親しい人たちがいる。誰か一人くらい、面倒を見てくれるだろう。引き返すと言って、あの魔道士は反対するかもしれないが、そのことで死刑の判が押されるならそれでいい。

 だが、それでいいのかと囁く声もある。村の生活も、楽というわけではない。

「…嬢ちゃん、ここの生活は、どうだ?」

「いいところよ。ちゃんと、ごはんも食べられるし。いい人たちばっかりだし」

 薄い布団の上にちょこんと座る子供は、何の含みもないかのように、キールをじっと見た。その回答を聞いて、キールは、自分が卑怯なことをしたと気付いた。

 キールは、人とは違ったところで大変な生活をしていたが、所詮は、衣食住には困ったことのない身だ。食うにも困る生活を体験したものにとっては、それが満たされるだけでもましなのだ。あるいは、そこしか知らなければ。

 ああ、何をしてるんだろう、俺は?

 声には出さず、へらへらとした笑顔のままに、胸の内で呻く。

「ねえ、お兄ちゃんは、生きたくないのよね? それなら、あたしがもらっちゃってもいい?」

「え?」

「だって、いらないんでしょ? あたしは、生きたいの。このまま死んじゃうなんて、いやなの」

「いや、あの、ちょっと待っ…!」

 淡々として、ろくに表情すら変えないその子供の首に、何か光るものが見えた。灯りもともしていない薄暗がりのせいで見えないのかと思ったが、目を凝らしてみようと意識を集中させると、途端に、「それ」は見えた。

 ぴたりと少女の首を包み込む輪と、それに繋がって伸びる鎖。鎖の先は、部屋の入り口に延びていた。

 一瞬だけ、虐待を受けているのかと思った。だが、鎖のこすれる音は聞こえず、そして何より、それがこの世の物質ではないと悟った。

 キールの身に流れる、人のものではないもう半分に属するもの。この子供は、魔族と契約を交わしている。しかも、生半可な方法ではなく。

 呆然としているキールに、少女は、するりと唇を重ねた。

 くらりと、眩暈が襲った。重ねられた唇と絡められた舌から、何かが吸い取られていく。そのまま意識を失いかけたキールは、咄嗟に、相手がまだ子供なのも忘れ、力をぶつけていた。小さな体が、部屋の隅まで容易く吹き飛ぶ。

「あっ」

 慌てて駆け寄ろうとして、足のことを忘れて立ち上がり、バランスを崩して前のめりに倒れた。どうにか顔は庇ったが、みっともなさに呻き声すら出ない。しかし、動く足と両腕だけで、少女のところまで這い進む。

「怪我、してないか? ごめん」

「お兄ちゃん――アイリスとおなじなの?」

「そいつが、嬢ちゃんの契約相手か?」

「おなじなら――たすけて。このままじゃ、アイリスが死んじゃう」

 床に這いつくばったキールを見つめる瞳に、涙があふれた。



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