鼓動


 エバンスは、溜息を押しつぶした。

「あんたたち、ちゃんと金は持ってるんだろうね?」

 歩き通しでくたびれているせいか、それともそういう性質なのか、取り仕切っているらしい老婆は、疑わしげにエバンスたちを睨みつけた。

 あばら家だというのに、老婆は、宮廷の門番かのような威圧感を漂わせている。

 エバンスは、不満げな表情をつくった。姿は見えないものの、近くに多数の人の気配がするのが落ち着かない。おそらく女性たちが、こちらを品定めしていることだろう。

「あるよ。俺たちは駄目だってのか?」

 苛立ちに任せたような素振りで、一晩には充分に足りるだろう金を叩きつける。もちろん、手は離さない。ちらりとそれを見た老婆は、ふん、と息を吐いた。

「そんなこたぁ言ってないよ。さあ、どれにする? 今日はあんたたちが一番乗りだ」

 そういって、すっと、仕切ってあった布を引く。そこには、着飾った女性たちが控えていた。誰もが、くすくすと笑いながら、興味があるようにこちらに流し目を向ける。

 背後で、青年が慌てているのがわかった。

「ちょっ、なん、宿だけっっ、て!」

「そうだなあ」

 小声で訴える青年を無視して、エバンスは女性たちに目を向けた。

 高級なところであれば、もっと形式張っている。二人きりで食事をするにも、数度の手続きを経なければならないほどだ。だがここは、そんなことはないのだろう。しかし、まだ上の部類だろう。

 彼女たちは、露骨に秋波を送ってくる。

 ふと、種類の違う視線に気付いて、エバンスは目を向けた。小さな影が、奥の暗がりへと消えた。

 ――子供?

 こんな場所に、なのか、こんな場所だから、なのかは判らないが、まだ幼い子供がいるようだ。

 訝しくは思ったが、視線を女性たちに戻す。そこに、見知った顔を見つけた。二十歳そこそこに見えるが、もう三十に近いはずだ。別れてから数年が経っているから、多少面差しは変わっているが、確かに知っている。

「―――」

「おや、ローズかい。眼が高い。うちでも一番の売り子だよ。ただ、その分――」

 値が張るよ、とはっきりと言わずにぼかす。だがエバンスは、頷いた。そこでようやく、我に返る。

「お前はどうする?」

「どうって」

 女性らの視線や、扇情的な仕草にどぎまぎとなってか、あからさまに挙動不審な青年を、見やすいようにと位置を変わる振りをして、背を押して上体のバランスを崩させた上に、足をかける。それらと同時に、小さく文言を唱えた。

「ぅぎゃ?!」

 びたん、と音を立てて前のめりにこけた青年は、ぶつけた額を押さえて呻いている。だがやがて、起き上がろうとして、普通には起き上がれないことに気付く。エバンスは青年の左足を、膝の下から丸ごと、動かないように術をかけた。

「え? え?」

「あーあ、筋を違えたな。今は痛みがなくっても、下手したら歩けなくなる。馬鹿だなあ、舞い上がって焦るからだぞ」

「え、ええっ?」

「悪いんだけどこいつ、どこか適当に寝かせてやってくれない? 一晩でいいし、手当てくらいなら、俺がやるから」

 反論を待たずに、金を握らせる。

 老婆は肩をすくめ、受け取った金を仕舞い込むと、掌を差し出した。

「先払いだよ。――ローズ、奥に案内してやりな」

「はぁい」

 いつもと同じように振舞おうとしたのか、気だるそうに応えた声が、わずかに強張っているのを感じた。だがエバンスは、それには無視を決め込んで、青年に手を差し伸べて引き起こすと、肩を貸してローズと呼ばれた女性の先導に従った。

 奥と言っても、同じ建物ではなかった。小さな集落があったのだろう、小屋のような家々を一軒ずつ使っているらしく、案内されたのは、外れの一層うらぶれた小屋だった。

「布団もないけど」

「いいよ、これまで野宿だったから。ほら、これで宿は確保できたでしょう?」

「…なんてーか、あんた、結構いい性格してるよな」

「それはどうも。行こう」

 青年を床に転がして、ローズを促す。彼女は、一瞬躊躇う素振りを見せたが、素直に従うと、隣の――と言っても離れていたが、先ほどよりはいくらかましな小屋を示した。そこが、今夜の「宿」になるらしい。

「さっき、何かしたの?」

 ぽつりと、知りたいというよりも無言が気詰まりかのように訊かれ、エバンスは、無表情に応えた。戸を引くと、立て付けの悪さに、思っていたよりも大きな音がした。

「まあね」

「……何を?」

 暗がりの小屋の中に、薄汚れた寝床が見える。エバンスが入ると、ローズは、慣れた足取りで隅にあるランプに明かりを入れた。小さく、転ばないようにするくらいの効用しかないだろう。

 エバンスは、戸を閉めた。

「リリア。それとも、ローズと呼んだ方がいい?」

「――どっちでも。まさか、ぼっちゃんにこんなところで会うなんてね。何、お忍び? まさかね。あなたなら女遊びだって、いくらだっていいところに行けるものね」

 エバンスは、苦い唾がこみ上げるのを、無理矢理飲み込んだ。

 リリアは、弟子入りした魔導師の生家の、隣に住んでいた女性だった。エバンスよりも十ほど年長で、城に寝泊りしているような状態だった師の家の、手入れを頼まれていた一家の娘でもあった。修行のために弟子を連れて戻ってからも何くれなく世話を見てくれ、末娘だったリリアは、お姉さんぶって声をかけてくれたりもした。

「嫁いだと、聞いてた」

「ええ、その通り。その後で売られたのよ。――あなた、あたしのこと、ちょっとは好きだったでしょ? よしみで、少しくらいなら」

「リリー」

 口にする内容の予想はついて、エバンスは、静かに遮った。何故この人を選んだと、今更に後悔する。

「俺は、あなたを抱くつもりはない。本当を言うと、その為にここに来たわけじゃないんだ。俺も、あいつみたいに床だけ借りられたら良かったんだけど、二人ともになるとさすがに不自然だから」

「そう。ぼっちゃんは、こんな下賎な女は女とも思わないってことね」

「違う。俺は――好きだったよ、あなたのことが」



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