シュムが目を覚ましたのは、昼過ぎだった。身体を起こすと、傍らに寝そべっていたオレンジの小獣が、容易く転げ落ちる。
「カイーお昼だよーご飯食べに行こー」
昨夜行った契約の一時支払いで体がだるいが、動けないほどではない。しかし疲れているのか、獣が起きる気配がない。
「…あたしももうちょっと寝てようかな」
考えてみれば、今は、起きなければならない理由があるわけでもない。一食くらい抜くか遅くなるかしても、問題もないだろう。
シュムは、再び枕に頭を落とした。高い位置についた小窓が、外の晴天具合を教えてくれる。
昨日は、色々とあった。洞窟探検はさて措いて、その後だ。カイが突然に契約を持ちかけてきて、それを細かく問いただし、エバンスに会いに城に行き、その後で、カイと契約を交わした。
疲れた――多分、心身ともに。
カイから話を聞き、ひとつの仮説に至った。命とでも呼ぶのか、生体エネルギーとでも呼ぶのか、とにかくそういったものは、魔力と同質なのだと。但しこの魔力は、とりあえずは人のもの限定で、それ以外はどうなのかわからない。
魔力の強弱は、その変換機関の問題だろう。酒に酔いやすいか否か、長い距離を走りやすいか短距離の方が向いているか、そういった違いだ。シュムの師範のように、一切持たない者もいる。
だからこそ、魔力を使えば疲れる。長期の放出は、死にも繋がる。
『側に、居させてくれないか。お前が――死ぬまで。ずっと』
どんな状況でも、頑なに、シュムからの命の提供を拒んでいたカイ。契約することで魔力の放出がなくなるなら、そうしてその解決法が見つかればすぐにでも解約することを前提としての、申し出ではあったが。
ごめんと、シュムは声に出さずに呟いた。カイには、随分と甘えている。
「おい。起きないのか」
「あーカイ。いつ起きたの?」
「さっき。もう昼だろ」
「うん。ご飯食べに行こう。ここも発ちたいしね。エヴァたちはきっと、もう出てるよ。朝一番でって言ってたから」
いつもよりもいくらか素っ気無い気がする声に、そちらを見ないで返事をする。一度目を閉じて、開くと、撥ね起きた。数少ない荷物をまとめて立ち上がる頃には、カイも、ヒトガタをとっていた。
階下に降りて、具沢山のスープとパンケーキを頼む。そうすると、たのんでもいないのにはちみつ入りのミルクと果実酒が運ばれて来て、首をかしげる。
にっと、髭面の主人は笑った。
「キールが世話になったらしいな」
「いや、特には何もしてないんだけど」
「とにかく、飲んで行きな」
あの青年に関しての感謝があれば、こちらよりはむしろ、エバンスだろう。そう思うのだが、一体どんな話がどう伝わったのか、主人は、笑って手を振っていってしまう。
カイと顔を合わせて、苦笑した。
「こっち飲むか?」
「いやいや、あたしはこっちでしょ」
当然のように、カイの前に酒が置かれ、シュムの前にミルクが置かれている。ここは、便乗してご馳走になってしまおう。
カップに口をつけ、料理に手をつける。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「ひとつ約束、してね」
「…何を」
約束と自分で言って、初めて会ったときのことを思い出した。今は、そんなことは願わないだろうと思う。少なくとも、たのむ相手にカイだけは選ばない。
そう思うだけの年月は共に過ごしてきて、これからも過ごしていけるのかもしれない。
警戒するようにこちらを見据えるカイに、シュムは視線を返した。
「カイは、自分が生きることを優先して。あたしも、自分が生き残ることを真っ先に考えるから。それで余力があるなら、お互いを助けよう」
一緒にいる事を目的とした、互いになるべく負担にならないよう気を払った契約書を作り、それぞれに名前を書き入れた。それは、人と人外の契約としては常識外のものだろう。
「まあ、こっちでの自由を手に入れて悪事でも働くって言うなら、叩きのめして送り還すけどね?」
「やらねぇよ」
「そう? それなら、動力を得たいときはいつでもどうぞ。それはそうと、どこか行きたいとこある?」
師範の墓参りは済ませたし、特にこれと言って行く必要のあるところもない。いっそ、国を出ての観光じみた旅行もいいかもしれない。
カイは、パンケーキをかじって首を傾げた。
「城に行かないのか?」
「え。だって、今あたしが行っても厄介なことになるだけだよ。規格外の契約をしたから、なおさら。って、昨日エヴァと話してたの、聞いてなかった?」
「…お前ら、勝手に話して勝手に納得してただろ。あれでわかる方がおかしい」
「えー、そうかなあ」
こくりと、素朴な甘みのあるミルクを飲む。
「じゃあ、エヴァが国王に嵌められたのはわかる? 嵌められたっていうか、ぼけっとしてたって言うか」
「いや。なんだって嵌めるんだよ。国王って、あれだろ。……兄馬鹿」
兄馬鹿。
妙な造語に、思わず大笑いする。何事かと数人の客の視線を浴びたが、押し殺すのがやっとだ。
ひとしきり笑い終えてカイを見上げると、どこか拗ねたように、黙々とスープを口に運んでいる。ようやく開いた口からは、笑いの余韻を残した声が出た。
「兄馬鹿だからこそなんだよ。魔導師は、それだけで過大な力を持っているからって、政に直接関わらないのが原則になってるの。だからどの国でも、補佐としての魔導師は置いても、直接、国王や宰相に就くことはない。そうなりたかったら魔導師としての才を封じる――ってまあ、昨日発覚した仮説に当て嵌めると、命の変換機を使えなくするってことだけど。魔導師になる道を選ぶなら、例えどんな家柄の出でも、それを捨てる。完全には無理なんだろうけどね」
だからエバンスも、本来はリードの姓を捨てるべきなのだ。しかしそれができずに、尚且つ宮廷魔導師の地位に就いてしまっている時点で、既に兄王の策略に絡め取られているようなものだ。
カイは、まだ納得のいかない顔をしている。
「今回、エヴァはこの件の判断を一任されてる。魔導師の分野と考えれば、まあそうだろうけど、でも、彼の身柄は、人と人外に対するこの国の関わり方にも発展していくんだよ」
「大袈裟な」
「どこが? だって、彼は言わば、人と人外の間に立ってるんだよ。今までの順当な解法としては、殺すか奥深くに封じる、徹底的な黙殺、ってとこかな。間違っても、国の体制側が保護したり取り立てたりしちゃいけない。そんなことをしたら、悪魔と手を結んだなんて言って、槍玉に上げられるのは目に見えてるよ。本音は、それらの勢力まで取り入れて強大になられてたまるか、ってところだろうけど」
あの国王は、その政治判断まで、エバンスに委ねている。エバンスが公衆の面前で報告だけしてキールの身柄を王に一任したところで、王が受け入れずエバンスに任せたことを暴露してしまうかもしれない。
「そんなごちゃごちゃしてるところにさ、言ってみれば人よりも人外に近いあたしが行ってみなよ。王家は人外と仲良くしてますー、って喧伝するようなものだよ」
「じゃあ…もうあそこには行かないのか?」
「さあ、どうしよう。この国が他を敵に回しても頑張るなら協力くらいしたいし、今まで通りに行くとしても、素知らぬ顔でご機嫌伺いくらいはできるかな。でも、今は駄目だよ」
ミルクを飲み干して、食事を片付ける。ふうと息を吐いて、先に食べ終えていたカイを見る。
「ってことだから、行きたいところがあるなら行けるよ?」
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