第九場


「あ。お帰り」

「ッ!」

 洞窟の入り口で待つシュムの姿に、一瞬、息が止まった。それが安堵なのか怒りなのか、緊張が解けたのか、どうにも判らない。

 夕暮れの光の中で、少女は微笑む。

「お城から、使いが来たよ。何度か。ご当主が話があるって、キールを呼んでる。疲れてるだろうけど、とりあえず行ってあげたら?」

 延ばしても面倒だしねと、シュムは、世間話をするようなかおで続ける。

「あ…うん」

 驚いてか、ぎくしゃくと頷いた青年は、行きかけて、振り返った。

「リー導師、どうする? 嬢ちゃんとにーさんは?」 

「迷惑でなければ、同行させてください」

「堅っ。リー導師さ、酔っ払ったり疲れてるときのが、地が出ててよくない?」

「ところでシュムさんは、どうなったか聞かなくていいんですか?」

 あっさりと無視を決め込まれた青年は、拗ねるように頬を膨らませた。しかしエバンスは、そこには、ちらりと一瞥をくれただけだ。

 空気が、一瞬ごとに闇色を深める。

「楽になったから、見当つくよ。詳しいことは、まあ、時間あるときにでも聞けばいいし」

「別に、今、時間がないわけではないでしょう?」

「そうかな。考える時間って、気付くと物凄く経ってるんだよね」

 必要じゃない?と、シュムは、無邪気そうに首を傾げた。エバンスは、顔をしかめる。

「…知ってるんですか」

「気付いただけだよ。だって、この件を一任されたんでしょ? つまり」

 周囲の耳を気にしてか、シュムは、ぐるりと視線をめぐらせた。しかしこの場所には、四人しかいない。

「あの国王は、魔導師が政に関わることを禁じた慣習を、変えようとしてるってことだよね。実際はどうであれ、総長たちだって、提言しか許されなかったのに。エヴァは、いつ気付いた?」

「…つい最近です。いや――気付こうとしてなかっただけけど」

 最後は、呟きに消えた。

 ついと、エバンスはシュムから目を逸らした。

「行きましょう」

「え。あ――うん?」

 おそらくはよくわからないままに、青年が、エバンスの後を追う。

 二人が立ち去るとようやく、シュムはカイを見た。微笑した。何故か、泣き出す手前のように見えた。

「お帰り」

「シュム」

「宿、戻ろうか。借りてたもの全部、ちゃんと返したし。ここにいても意味がない」

「シュム!」

 思わず、肩を掴んでいた。確かに、ここにいる。

「――二度と、あんなことはするな」

 シュムは、顔を上げた。にこりと微笑む。そうして、笑みを消した。

「約束できない」

「シュム!」

「だって、カイにはいなくなってほしくない。あたしより先に、いなくならないで」

 それは、見届けろということだろうか。凍りついたようにシュムを見つめたカイは、だが、急に腕を掴まれ、面食らった。

「ねえ、カイ。待ってる間、あたしが何考えてたかわかる? 色々考えて、ちょっと頭の中ごちゃごちゃなんだけど、一つ、決めたんだ」

「……何、を?」

 聞きたくない。耳を塞ごうかと、本気で考えた。だがここで聞かなくても、シュムの意思が変わることはないだろう。だから、自分にとって悪いものとは限らないと、カイは、一心に言い聞かせた。

 外見はどうであれ、その眼差しだけは、幼くは見えない。

「今の状態は、やっぱりよくないよ。カイ。厭だって言っても、戻ってもらう。また、全部が落ち着いたら、遊んでね」

「待っ――」

 シュムが何をするわけでもないのに唐突に、魔法陣が開かれた。当人さえ少し驚いた顔をして、それから、苦笑した。

「丁度いい。ほら、入り口も開いたし」

「――待て。シュム、これはどういうことだ。お前、魔方陣を」

「うん、意識しては開いてない。言ってなかったけど、時々こんなことが起きるんだ」

 あっさりとばらしたのは、これ以上関わることがないと思うからか。だがカイは、違うものをみていた。師に就いて学んでも制御できない、無駄な魔力の放出。解決策はないと、シュムやシュムの師匠は判断したのだろう。

 ひとつ、考えが浮かぶ。

 だがそれは、言ってしまってもいいのだろうか。もしその案をシュムがのめば、これまでの関係とは、根の部分で確実に違ってしまうだろう。

 だが――逃せば、二度と会えないかもしれない。

「シュム、悪い」

「え?」

 頚の太い血管に、手を当てる。独特の感覚で、流れる血液から、力だけを盗み取る。契約で繋がっていない分、取り込むのに苦労した。だが結局は成功し、シュムの足元に広がった魔方陣は、何を喚ぶことも還すこともなく、閉じた。

 驚いた表情のまま、かくりと、膝の力が抜けたのか、シュムの体が沈んだ。

 掴もうとして、シュムから掠め取った力に酩酊し、貪欲に求める自分に気付き、カイは、愕然とした。

「った…」

「…あ。大丈夫か」

「いや、うん、大丈夫だけど。えーと。まさかカイに襲われるとは思わなかった。そんなに疲れてたの?」

 恐れるでもなく、持っていたパンを横取りされてしまっただけかのような反応に、脱力した。何か、馬鹿馬鹿しくなる。

 ふうと、息を吐いた。

「なあ、シュム。俺と契約しないか?」



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