「あ。お帰り」
「ッ!」
洞窟の入り口で待つシュムの姿に、一瞬、息が止まった。それが安堵なのか怒りなのか、緊張が解けたのか、どうにも判らない。
夕暮れの光の中で、少女は微笑む。
「お城から、使いが来たよ。何度か。ご当主が話があるって、キールを呼んでる。疲れてるだろうけど、とりあえず行ってあげたら?」
延ばしても面倒だしねと、シュムは、世間話をするようなかおで続ける。
「あ…うん」
驚いてか、ぎくしゃくと頷いた青年は、行きかけて、振り返った。
「リー導師、どうする? 嬢ちゃんとにーさんは?」
「迷惑でなければ、同行させてください」
「堅っ。リー導師さ、酔っ払ったり疲れてるときのが、地が出ててよくない?」
「ところでシュムさんは、どうなったか聞かなくていいんですか?」
あっさりと無視を決め込まれた青年は、拗ねるように頬を膨らませた。しかしエバンスは、そこには、ちらりと一瞥をくれただけだ。
空気が、一瞬ごとに闇色を深める。
「楽になったから、見当つくよ。詳しいことは、まあ、時間あるときにでも聞けばいいし」
「別に、今、時間がないわけではないでしょう?」
「そうかな。考える時間って、気付くと物凄く経ってるんだよね」
必要じゃない?と、シュムは、無邪気そうに首を傾げた。エバンスは、顔をしかめる。
「…知ってるんですか」
「気付いただけだよ。だって、この件を一任されたんでしょ? つまり」
周囲の耳を気にしてか、シュムは、ぐるりと視線をめぐらせた。しかしこの場所には、四人しかいない。
「あの国王は、魔導師が政に関わることを禁じた慣習を、変えようとしてるってことだよね。実際はどうであれ、総長たちだって、提言しか許されなかったのに。エヴァは、いつ気付いた?」
「…つい最近です。いや――気付こうとしてなかっただけけど」
最後は、呟きに消えた。
ついと、エバンスはシュムから目を逸らした。
「行きましょう」
「え。あ――うん?」
おそらくはよくわからないままに、青年が、エバンスの後を追う。
二人が立ち去るとようやく、シュムはカイを見た。微笑した。何故か、泣き出す手前のように見えた。
「お帰り」
「シュム」
「宿、戻ろうか。借りてたもの全部、ちゃんと返したし。ここにいても意味がない」
「シュム!」
思わず、肩を掴んでいた。確かに、ここにいる。
「――二度と、あんなことはするな」
シュムは、顔を上げた。にこりと微笑む。そうして、笑みを消した。
「約束できない」
「シュム!」
「だって、カイにはいなくなってほしくない。あたしより先に、いなくならないで」
それは、見届けろということだろうか。凍りついたようにシュムを見つめたカイは、だが、急に腕を掴まれ、面食らった。
「ねえ、カイ。待ってる間、あたしが何考えてたかわかる? 色々考えて、ちょっと頭の中ごちゃごちゃなんだけど、一つ、決めたんだ」
「……何、を?」
聞きたくない。耳を塞ごうかと、本気で考えた。だがここで聞かなくても、シュムの意思が変わることはないだろう。だから、自分にとって悪いものとは限らないと、カイは、一心に言い聞かせた。
外見はどうであれ、その眼差しだけは、幼くは見えない。
「今の状態は、やっぱりよくないよ。カイ。厭だって言っても、戻ってもらう。また、全部が落ち着いたら、遊んでね」
「待っ――」
シュムが何をするわけでもないのに唐突に、魔法陣が開かれた。当人さえ少し驚いた顔をして、それから、苦笑した。
「丁度いい。ほら、入り口も開いたし」
「――待て。シュム、これはどういうことだ。お前、魔方陣を」
「うん、意識しては開いてない。言ってなかったけど、時々こんなことが起きるんだ」
あっさりとばらしたのは、これ以上関わることがないと思うからか。だがカイは、違うものをみていた。師に就いて学んでも制御できない、無駄な魔力の放出。解決策はないと、シュムやシュムの師匠は判断したのだろう。
ひとつ、考えが浮かぶ。
だがそれは、言ってしまってもいいのだろうか。もしその案をシュムがのめば、これまでの関係とは、根の部分で確実に違ってしまうだろう。
だが――逃せば、二度と会えないかもしれない。
「シュム、悪い」
「え?」
頚の太い血管に、手を当てる。独特の感覚で、流れる血液から、力だけを盗み取る。契約で繋がっていない分、取り込むのに苦労した。だが結局は成功し、シュムの足元に広がった魔方陣は、何を喚ぶことも還すこともなく、閉じた。
驚いた表情のまま、かくりと、膝の力が抜けたのか、シュムの体が沈んだ。
掴もうとして、シュムから掠め取った力に酩酊し、貪欲に求める自分に気付き、カイは、愕然とした。
「った…」
「…あ。大丈夫か」
「いや、うん、大丈夫だけど。えーと。まさかカイに襲われるとは思わなかった。そんなに疲れてたの?」
恐れるでもなく、持っていたパンを横取りされてしまっただけかのような反応に、脱力した。何か、馬鹿馬鹿しくなる。
ふうと、息を吐いた。
「なあ、シュム。俺と契約しないか?」
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